第14話 挑戦状と応援歌

 翌朝、職員室に呼ばれてアルバイト申請の用紙を受け取った私は、そのまま学校のそばの小さな郵便局から父の職場宛てに速達で送った。

 昨晩のうちに真弓先生から父に電話で確認は取ってもらったけど、一応正式な書類として親の捺印が必要らしい。

「まあ、形式だけどな」

 真弓先生はそう言うと、私にもう一枚の用紙を手渡した。

「それとこれ、火気使用許可申請書。今週中に天文地学部長名義で出せ」

「え?」

「私も色々調べた。何でも世の中には安全な自作ロケット用の燃料があるらしいじゃないか?」

「ああ、モデルロケットの事ですね」

 ロケット花火で懲りたあと、由里子に後ろ頭をはたかれながらちょっとだけ私も調べてみた。ただ、なんだか難しそうなのでそのまま放りっぱなしになっていたやつだ。

「一番小さいエンジンで打ち上げ三回。その実績で最初のライセンスが、その後試験に合格すればもう一つ上のライセンスがもらえるそうだ。さすがにその上になるとなかなか難しいらしいが」

「えー、面倒じゃないですか?」

「お前みたいなド素人がやるんだから、一歩一歩段階を踏んで行くしかないじゃないか? 文化祭の出し物として、私が校長に掛け合ってなんとしても許可を取る。実績があれば先も見えてくる」

「先生……」

 ちょっと驚いた。この前までは「難しい」の一点張りだったはずなのに。

「ちょっとな、お前のバカが感染うつった」

 そう言って先生は照れ笑いをした。

「あとな、今朝、生徒会が内々に打診してきたんだよ。文化祭のイベントとして天文地学部に打ち上げを頼みたいと。一方、お前はお前でロケットのためにバイトまで始めやがった。単純に禁止すればお前はまたどこかで勝手にやるだろう?」

「え?」

 ドキリとした。なんだか、つい最近も同じようなやり取りがあった気がする。

「前会長が言ってたぞ、お前のバカは止めても絶対に止まらない真性だって。だったらうまくコントロールするべきだとさ」

「気軽にバカバカ言わないで下さい。私だって多少は傷つきます。それに誰ですか生徒会長って? 私の知っている人ですか?」

 みんな他人を捕まえて色々言い過ぎだ。私は拳を握りしめ、せめて一言文句を言ってやろうと決意する。

「〝前〟会長、だな。お前も顔くらい知ってるだろう。真壁建設の社長令息だよ」

「あー」

 昨日のぬりかべ男だ。何を考えて私にしつこくちょっかいをかけてくるのだろう。とっくに決裂した話だと思っていたのに。

「うー、面倒くさいなー」

「バカを言うな。本気でロケットをやるんなら、交渉事だって何だって手順シーケンスはこの程度じゃ済まないだろう。今から慣れろ!」

「えー」

  

 昼からは図書室にこもった。

 昨日の一件もあって、部室には顔を出しにくかった。それに、深沢先生のおすすめリストを少しでも消化しておこうと思ったのだ。

 で、五冊ほど根を詰めて読み、つくづく思い知った結論。工学はともかく、理論は私には無理だ。

 いくら理解しようと努めても、数式は頭を素通りするばかり。説明されている概念はなんとなく判るのだけど、それをどう数式に当てはめ、どう展開すればいいのかちっとも判らない。

 私は頭を抱えた。この先ロケット作りが経験則やヤマ勘で済まなくなったとき、一体誰に助けを求めればいいのだろう。

「……底なし沼だ」

 それが率直な感想だった。

 数時間粘ってろくな収穫はなかったけど、いつまで呆けていても始まらない。大きく頭を振ってモヤモヤを吹き払う。

 ため息ついでにふと見上げると時計の針はもう四時に近い。

「とりあえずバイトに行くか」

 つぶやきながら勢いよく立ち上がると本を返却し、気持ちを切り替えて図書室を出る。

 ところが、廊下のT字路を右に折れてすぐ、後ろから誰かに勢いよくぶつかられてつんのめった。

「!」

 振り向いて見ると、目の前にはギターケースを担いだすごく小さなが転がっていた。茶色いふわふわの細い髪が特徴的だ。というか、どう見てもギターケースの方が大きく見える。

「ごめん! 大丈夫?」

 慌てて助け起こそうと手を差し伸べるが、それをパンと乱暴にはたかれた。

「え!」

 彼女はつり目気味の挑戦的な目つきで私をねめ付けながら前転するように勢いよく起き上がり、パンパンとスカートのほこりを払うと、よっこらせという感じにギターケースを担ぎ直した。

「天野奈津希、あなたに、助けて、もらう、必要はない」

 そう一方的に言い放つ。

 だけでなく、そのままスカートのポケットをごそごそとまさぐり、小さく折りたたんだ紙片を取り出して私にずいと突きつけた。

「挑戦状!」

「へ?」

「だから、挑戦状」

 勢いに飲まれて思わず紙片を受け取る。私をキッと睨みつけるその目の下には徹夜でもしたのか、濃いくまが浮かんでいる。

「受け取ったわね。ちゃんと、聴いて」

 それだけ言い残し、彼女はすごい勢いで階段を駆け降りていった。

「何?」

 もらった紙片を開いてみると、A4サイズのコピー用紙の真ん中に、伸びやかな筆跡でどこかのウェブサイトのアドレスが一行走り書きされているだけだった。

「なんだぁ?」

 向こうは私の名前を知っていたけど、こっちには全く心当たりがない。あれだけ特徴的な娘だったら、たとえ校内のどこかですれ違っただけだとしても絶対に記憶に残ると思うのだけど、あいにくそれすら心当たりがない。

「っていうか、制服、違ってたよね。ウチのじゃない」

 見間違いだろうか? 私の他に目撃者がいないかと見回してみるが、あいにく全く人影がない。

「一体誰?」

 どうも最近、こういう不可解なことが多すぎる。

 頭にはてなマークがいくつも浮かぶが、ちょうどその時、放課のチャイムが鳴り始めた。

「やば、遅刻する!」

 とりあえずもらった紙片をポケットにねじ込むと、私も猛スピードで階段を駆け下りた。


「ネットかどこかで私のこと、晒されてるんですかねぇ?」

 私の予想を遥かに超えてひっきりなしに訪れるお客様。だけど、それでも時々エアポケットのように一瞬客足の途絶える時間がある。

 そんな時にはシェフ特製の疲労軽減ドリンク(レシピは極秘らしい)を振る舞われながら雑談に花が咲く。

「昨日、今日と立て続けに知らない人からいきなりフルネームで呼ばれてちょっとビックリしてます」

 ズズズッとストローを鳴らしながら、なんとなしにそう切り出すと、シェフは思いがけず深刻な顔で考え込む。

「うーん、あり得ない話ではないわね。相手が同年代だけならともかく、一般人に広がるようだと注意が必要よ」

「まあ、今日の相手は女子高生でしたし、今のところ友達の友達的なつながりだとは思うんですけど」

「ねえ、どうしても自分だけじゃ手に負えないときは遠慮せず言ってね。お姉さんにちょっと考えがあるわ」

 シェフはフフフと黒い微笑みを浮かべながら物騒なことを口走った。

 ああ、さすが。あの毒舌マシンガンと一歩も引かずやりあえる訳だ……と、変なところで納得する。とりあえず、バイト中何があっても逆らうのはよそう。そう心に決めた。

「そんなに気になるなら調べてみようか?」

 と、店内に設置されている大型モニターを指さされる。

「レジの所のPCと繋がってる。ちょっと検索してみれば?」

 あ、そう言えば忘れてた。私はユニフォームの胸ポケットに移していた紙片を取り出しながら尋ねる。

「それなら、ちょっと見てみたいサイト、あるんですけどいいですか?」

「何?」

 私は図書館前での一件を説明し、渡された紙片を広げてみせる。

「うーん、独自ドメインね。これだけじゃなんとも」

 シェフにも見当が付かないらしい。仕方ないのでひょいと勢いを付けて立ち上がり、レジそばのキーボードからURLを打ち込んでみる。すると、真っ白な画面にグレーがかった細身のフォントで一行〝Терешко́ва〟とだけ表示され、砂時計マークが一瞬だけ表示されたかと思うと、YouTubeのページに自動転送リダイレクトされた。

「お、何だ?」

「限定公開のムービーね。最初のページを経由しないと見れない様になってる」

「無駄に凝ってるなー」

 目線で尋ね、シェフが小さく頷くのを確認して画面中央の再生ボタンをクリックする。と、途端にアップテンポのイントロが店内に流れ始めた。画面は真っ黒いままで何も映らず、イントロの終わりに曲のタイトルだけが白い文字ですっと現れた。

〝ロケットガール〟

「う!」

 驚く間もなく、打ち込みっぽい演奏に生声のヴォーカルが乗ってくる。

「あれ、この声?」

「聞き覚えが?」

「多分、さっき話した女の子の声です」

 透明感のある高い声。でも、か細いという感じではなく、むしろどこまでも突き抜けていくような伸びやかさと力強さがある。

 そうか、あの子がヴォーカルだったのか。でも、ギターを抱えていたと言うことは、別のパートも兼任してるの、か?

 そんなことを考えているうちに曲は最初のサビに差し掛かる。多重録音らしいコーラスに乗って、明るいけど切ない旋律が次第に盛り上がる。


〝たとえ宇宙の果てより君が遠くても、

 全力噴射で追いついてみせる。

 たとえあらゆるものをすべて捨て去ってでも、

 秒速17キロで君を捕まえる。

 私は、ロケットガール〟


「ああ!」

 これは、私だ。

 聞いた瞬間に直感した。

 あの子が挑戦状だと言っていた意味がようやく判った。

 私が酷評した灯籠流しっぽい曲バラードを、たった一晩で作り直して来たらしい。

「これは……」

 何が彼女をそこまで突き動かしたのかは判らない。でも、あのぬりかべ男が関わっているのは間違いないだろう。

「……応援歌だね」

 シェフが何かに感じたように謎めいたつぶやきを漏らした。

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