第15話 緊急入院
バイトがちょうど終わる頃になって、トモヒロからスマホにメッセージが入っていた。
明日午後一時にミーティング。議題は文化祭の展示についての打ち合わせだ。
「ああ、行きたくないなー」
バイトのユニフォームから私服に着替えながら、どうにかサボる口実はないかと考える。
部室に顔を出せば当然由里子もいるだろうし、今はちょっと彼女と顔を合わせたくない。
結局うまい言い訳は見つからないまま、タイムカードを押して更衣室を出る。
「ナツ、まかない出来たわよ」
いつものテーブルでほかほかと湯気を上げているのは野菜がたくさんのリゾットと金色に澄み切ったスープ。
「今日はちょっと顔色が悪かったものね。うち、エアコンの効きキツいかしら?」
「いえ、そんなことはないです」
慌ててぶんぶんと顔を振る。仕事中鏡をみるチャンスは何度もあったけど、自分では全然気付かなかった。
「もし疲れているんなら明日はお休みでも……」
「いえ! それはないです。むしろそれは困ります」
「そっか。食費、節約してるんだったわね」
口に手を添えてフフフと笑うシェフ。
「じゃあせめてゆっくり召し上がれ」
そう言い残すと厨房に下がっていった。他のお客さんはいない。私は一人ゆっくりとスプーンを口に運びながら考える。
実を言うと、さっきシェフがつぶやいた〝応援歌〟という言葉がずっと胸に引っかかっていた。
謎の少女が発した〝挑戦状〟という言葉と、シェフが発した〝応援歌〟では言葉の持つニュアンスが百八十度違う。それなのになぜそう感じたのか不思議に思って聞いてみたのだけど、シェフはなぜか柔らかく微笑んだだけで答えなかった。
色んな人が、まだ影も形もない私のロケットに様々な想いを託そうとしている。それはきっととてもありがたいことなのだろう。でも……
胸の中がなんだかモヤモヤする。
うまく考えがまとまらず、上手に言葉にできないのがもどかしかった。
「お、もう上がれるか?」
ドアベルが鳴り、外の熱気と共に店内に入ってきたのは真弓先生だ。
「あら、今日はもう閉店よ」
物音を聞きつけて厨房から顔をのぞかせたシェフに仕草で応え、
「迎えに来た」
と言う。
「えー、大丈夫ですよ。一人で帰れますから」
「それは判っている。ちょっとばかり業務連絡があって」
「私にですか?」
「打ち合わせならここ使ってもらってもいいわよ」
「いや、それだと間にあ……遅くなる。帰り道で話そう」
それだけ言い残すと外で待っていると言い残して出て行った。
「……なんか変ですね」
普段の豪快な真弓先生らしくもない。なんだか少し焦っているようにも見えた。シェフもどうやら同じように感じたみたいで、
「片付けはいいから早く行ってあげて」
と私の肩を押す。ありがたく言葉に甘えることにして、私はナップザックをつかんで小走りに外に出た。
私が店を出ると同時に駐車場から赤いスポーツカーが滑り出てきて目の前で急停止。
「なんだか送り迎え付きの芸能人みたいです。私」
調子に乗って軽口を叩くが真弓先生はにこりともしない。うっすら嫌な予感を感じ、私はそれ以上何も言わずそそくさと助手席に滑り込んだ。
「出すぞ」
四回目ともなると、複雑なシートベルトにもそろそろ慣れた。でも、真弓先生は私がベルトを装着するわずかな時間すらも惜しいようで、サッサとアクセルを踏み込んだ。
「どうしたんですか?」
車が猛スピードで幹線道路に出たところで、私は違和感に耐えかねて問いかける。
「ああ」
「それに道、違いません? 私の家なら多分反対方向ですけど」
「……新横浜に向かってる。お前はスマホですぐ神戸行きの新幹線をおさえろ。支払いはこれを使え。立て替えといてやる」
言いながらクレジットカードを私にぽいと放る。
「え、神戸? どういう事ですか?」
胸の中で嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
「おまえの親父さんが倒れた。市民病院に緊急入院したそうだ」
「え!」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
「私、何も聞いてない! それになぜ先生が?」
「ああ、昨晩私がお前の親父さんに電話しただろう。その時の着信履歴が残っていたんだろうな。お前にも何度も電話したらしいが出なかったと聞いた」
「え、ええ?」
慌てて着信履歴を確認すると、確かに078で始まる番号で何度も着信があった。ちょうどバイト中の時間だ。
「病院の場所は判るか? 新神戸から地下鉄で三宮、三宮からポートライナーの神戸空港行きに乗り換えて医療センター前で降りてすぐ。面会時間は外れているが、後で電話しておいてやる。病室に入れるかどうかはわからんが、とりあえずナースセンターに直行しろ」
「は、はい!」
そこから先のことはよく覚えていない。
車が新横浜駅のロータリーに停まった瞬間、礼を言うのも忘れて弾かれるように駅に飛び込み、ちょうどホームに滑り込んできた最終ののぞみにどうにか乗り込んだ。
新幹線の中では両手を握りしめとにかく父が無事でいてくれることだけ祈り、地下鉄でもポートライナーでも出入り口に張り付いたまま、ドアが開いたらすぐに駆け出す。そうして日付が変わる頃、私はようやく市民病院にたどり着いた。
「あの! すいません!」
当然入り口は閉まっている。守衛室のドアを叩き、怪訝そうな表情のガードマンにしどろもどろになりながら事情を説明すると、話が通っていたのかすぐに当直のナースが迎えに来てくれた。
「病棟にはもう消灯を過ぎていますから入れません。ナースセンターでお話ししましょうね」
ショートカットの若いナースは汗みどろの私をいたわるように肩を抱く。
「あ、でも、父は大丈夫なんですか!?」
「大丈夫、命に別状はありません。朝になったら会えます。普通に話もできますよ」
私は思わずその場にへたりこんだ。
「わぁ、ちょっと大丈夫!? あなたの方が重症みたいよ」
抱え起こされ、ナースセンターそばの待合椅子に座らされる。ちょっと待っててと席を外したナースは、すぐに冷たい水の入ったコップと消毒薬の香りがする清潔なタオルを持って駆け戻って来た。
私はひったくるようにして渡されたコップの一気に水を飲み干し、長いため息をついてようやく人心地ついた。
「父が倒れたと聞いて。もう心臓が止まるかと思いました」
「……天野さん、今日はどちらからここへ?」
「横浜です」
「え!」
「最終の新幹線で」
「え、じゃあ、泊まるところは?」
「あの、そういうのは何も……」
ナースは鼻をならすように小さくため息をつくと、ポケットからPHSを出して誰かと話し始めた。
「ちょうど担当の先生がいらっしゃいますから呼びました。すぐに来ますから、このままちょっと待ってて」
それだけ言い残すと、パタパタとナースセンターの中に駆け込んでいった。
途端にあたりはしんとした静けさに包まれた。
明かりを減らされた暗い廊下がどこまでも続いている。その向こうからペッタンペッタンと足音を立てながら長身のひょろっとした男性が歩いてくる。
「天野さん、でしたか?」
と、まだ顔も見えない距離から親しげに話しかけてくる。
「あ、はい」
とりあえず立ち上がり、どう答えていいか戸惑っていると、男性は私を押しとどめるような仕草をしながら小走りになった。
「あいや、そのまま、どうぞそのまま」
まるで歌舞伎役者のようなセリフを口走りながら目の前まで来ると、ずり落ちかけていたセルフレームのめがねをぐいと押し上げる。
「梶谷です。消化器科を担当しています」
と自己紹介をしながらさっと右手を差し出して来た。私もつられて右手を出したけど、梶谷医師は握手というより、私の手を上からちょこんとつまむように握ってすぐに放した。なんだか変わった人だ。
「どうも、天野です。このたびは父がご迷惑をおかけして……」
「いや、なに。お父様はそれほど重篤な症状ではありませんからまずはご安心を。ところで、とりあえず座りませんか?」
確かに立ち話をするシチュエーションでもない。私は促されるままにストンと腰を下ろすと、少し距離を開けて梶谷医師も腰を下ろす。
「お父様ですが、病名は胆嚢結石です。胆のうという臓器の中に石が出来る病気で、まあ、それほど珍しい病気でもありませんね。中年以降の方なら男女問わずまあ、五人に一人くらいの割合で大なり小なりお持ちです。ただ、石の居どころが悪いとこれが悪さをしまして、胆のうが腫れて突然とんでもない激痛に襲われることがあります。今回がそれでした」
「あの、治るんでしょうか?」
「間違いなく治ります。ただ、お父様の胆石はかなり大物ですので、薬で溶かすか、手術で取り除くか、いずれにしても炎症がおさまってからの話になりますね。今はパンパンに腫れ上がってしまった胆のうの大きさを元に戻す薬を点滴しています」
「そうですか」
「まあ、私の予想では十中八九手術ですが、その場合でも今日、明日すぐという話ではありませんから、落ち着いたら一旦は退院できますよ。ま、一両日というところですかね」
「良かった……」
私はようやく安堵のため息をついた。
「では、私はこれにて。ナースが参りますから今しばらくここでお待ち下さい」
梶谷医師はまたペッタンペッタンと足音を響かせながら、暗い廊下に消えていった。
どこかで誰かが小さく咳をしたり、ナースステーションで電話の鳴る音がかすかに響く。だんだん心細くなってきた所で、先ほどのナースがメモを片手に再び現れた。
「天野さん、こちらのホテルに部屋を取りました。お父様への面会は明日のお昼からできますので、それまではどうぞお休みになって下さい」
そう言って渡されたメモには簡単な地図とホテル名、電話番号が書かれていた。
「何か、こちらで準備する物はとかは…」
「大丈夫ですよ。すぐ退院できるみたいですし。それより、お持ち合わせは大丈夫ですか?」
「えー、まあなんとかいけると思います」
「ホテルまでは歩いても五分くらいですから」
「あ、どうもありがとうございました」
ナースに礼を言って病院を出る。いかにも埋め立て地らしく広く整然とした街路、立ち並ぶ近代的なビル。
でも人通りがほとんどない。まるでCGみたいな風景だなあと思いながらてくてく歩く。
ナースの言葉通り、五分もしないでホテルにたどり着いた。
用意された部屋にチェックインし、シャワーを浴びてようやくほっと一息ついた。
でも、濡れた髪を乾かし、ベッドに腰掛けた瞬間、なんだかとても心細くなった。
誰かの声が聞きたい。以前だったらこんな時は真夜中だろうと構わず走に電話をかけていた。
彼も明らかに迷惑そうにはしてたけど、私が気が済むまでは付き合ってくれていた。
でも……
今日、神戸に向かう新幹線の中で、私は不安で胸が張り裂けそうだった。
走が私の前から姿を消した今、もし父の身に何かあれば、私は本当にひとりぼっちになってしまう。
私は楽観的すぎた。
あるいは、あの日母が突然姿を消して以来、そのことから無意識に目をそらし続けていたのかも知れない。
家族として、あるいは家族同然に、いつもそばにいるのが当たり前だった人たちが次々と私の前から姿を消していく事がこれほどまでに孤独と不安で心をかきむしるのだということに、私はようやく気付いた。
〝走、あなたの顔が見たい。お見舞いに行ってもいい?〟
発作的にそうメッセージを送る。でも、帰ってきた答は、
〝ごめん〟
ただその一言だけ。
〝だったら、せめて声が聞きたい。電話してもいい?〟
既読はついたけど、返事は戻って来なかった。
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