第二章 宇宙《そら》に届く機械
第13話 宇宙に届く機械
「……おまえ、ここで何をしてるんだ?」
ドアベルがカランと鳴り、反射的に「いらっしゃいませー」と声をかけながら見やると、真弓先生が目をまん丸にして固まっていた。
「何って、ウェイトレスですよ。どう? 制服似合ってますか?」
ショート丈のエプロンをはためかせ、その場でくるりんと回ってみせる。
「……一体何が起きたんだ? それよりシェフは?」
「シェフはおりますが、まずはお客様、お席にご案内させていただだいてもよろしいでしょうか?」
「……あ? ああ」
真弓先生はまだ狐につままれたような表情のまま、促されていつもの席に腰を下ろした。
「お食事はコースのディナーでよろしいですか? それともシェフのおすすめ高級和牛サーロイン——」
ミネラルウォーターを出しながらそう問いかけると、
「っだぁ、そんな訳あるかいっ! いつものでいい、いつもので! あ、あと」
急に我に返ったように私の言葉を遮る。
「コーヒーを追加でございますね。はい、ではしばしおくつろぎを」
銀色のトレイを胸の前で抱えてぺこりとお辞儀すると、さっさと厨房に逃げ帰る。
「身内コース一つ、真弓先生来ましたー」
コンロの前でフライパンを振っていたシェフがニヤリと笑う。
「驚いてたでしょ? っと、はい三番テーブルよろしく」
バジルペーストと軽くなじませたパスタをくるくると手早くお皿に盛り付け、最後にバジルの若葉とトマトをあしらってこちらに押しやる。
「はい」
トレイに乗せ、付け合わせのサラダが既に出ていることを確認すると今度は完璧な接客スマイルで三番に向かう。
「お待たせしました、ジェノベーゼでございます。ご注文はおそろいですか?」
「おい」
「はい、ではごゆっくりー」
「おいってば!」
後ろからドスのきいた声がする。真弓先生だ。
「五番テーブルのお客様、お呼びですか?」
「お前、なにちゃっかり馴染んでんだ?」
「さぁ、何のことでしょう?」
とりあえずすっとぼけてみる。途端にイラッとした顔つきになったのでからかうのはこの辺で止めておく。
「シェフにスカウトされたんですよ。あるいは公園で拾われたとも言う」
「ああ、店の名前が
鮮やかなノリ突っ込みを見せる先生。後ろからクスクス笑い声を上げながらシェフが前菜を持ってくる。
「はい、本日のコース、前菜のサラダでございます。でも、公園で拾ったのは本当よ。何だか死にそうな顔をしてベンチにうずくまってたんだもの」
シェフの軽口に先生はさらにむっとした顔になる。
「生徒のメンタルケアはこっちの領分なんだけどな」
「あーら、こちらも若い労働力の確保は必要ですもの」
相変わらず笑顔に似合わないエグいやり取りが火花を伴ってビシビシ飛び交う。
「ナツ、お前、騙されてるぞ。蟹工船だぞ、ここは」
「そんなことありません。ちゃんとまかないもつけるわよ」
「食い物に釣られているんじゃない!」
「先生、私ちゃんと納得してますから大丈夫ですって」
このままでは際限がなくなりそうだったので、私は慌てて二人の間に割って入る。
「でもお前……」
真弓先生はなんだか自分の方が捨てられた子猫のような表情を浮かべる。
「ロケット作るって言ってたじゃないか? そっちはどうするんだよ?」
ああ、そうか。真弓先生は文句が言いたいわけじゃなくて、これでも心配してくれてるんだ。ちょっと嬉しい。
「大丈夫。その為にバイト始めたんですから。後で詳しく説明します……はぁい、いらっしゃいませ」
新たなお客様の来店をきっかけに私は話を打ち切ると、とりあえず仕事に専念する。
ディナータイムが一段落すると、後はほとんどが軽食目当ての常連さんの来店となった。
ここは周りが住宅街なので、駅前の繁華街のような夜遅い飛び込み客の来店はほとんどないのだ。
シェフは顔を見せた常連一人一人に私を紹介し、九時を少し回ったところで「今日はもういいわ」と五番テーブルを指さす。
「あっちで待ってて。まかない作ってあげる」
「ええ? 私まだ全然元気ですよ」
「そうじゃなくて、高校生は労働時間が厳しいのよ。ブラックな職場だとお目付役がうるさいから……ほら」
目線の先には猛烈にむくれた顔で面白くなさそうにスマホを覗き込んでいる真弓先生の姿。
「はぁい、じゃあお疲れ様です」
三角巾代わりのベレー帽とエプロンを取り、真弓先生の向かいにちょこんと座る。
「……」
「先生、終わりましたよ」
「……」
「説明、聞いてくれますか?」
「ああ」
真弓先生は面倒そうにスマホから目を起こし、私の顔をじろりと睨みつけてくる。
「私、星川家に食生活を全面依存してたじゃないですか。だから、家に夕食の準備がないんですよね」
「親父さん、今日も遅いのか?」
「ええ。今日も、というか、この先ずっとというか」
私は目線を落とし、手元のエプロンをちまちまと折りたたみながら答える。
「神戸にね、転勤になっちゃいました」
「は? 三日で帰るって……」
「確かに一度戻っては来たんですけど、会社の都合で急にそういうことになって。だから、当面一人暮らしなんです」
「まあ、家庭の事情に口は出せんが。大変だな、お前も」
「それに父はまだ星川家の事情を知りませんから」
「え! じゃあ食事とか生活費、どうするんだ?」
「とりあえず、毎月ある程度の額を仕送りしてもらう事になりました。でも、それ以外にも近々物入りになりそうで」
「だからここ、か?」
つぶやくように尋ねる真弓先生に私は小さく頷く。
「シェフが誘ってくれたのは本当に偶然なんですけど、ご飯が食べられてバイト代がもらえて、それにここなら先生も安心でしょ?」
「まあな。他よりかなりましな蟹工船だ」
「またそれを言う」
私は少し呆れながらため息をつく。
「どうせ夏休み明けまでにはアルバイト申請を出さなきゃいけないし、だったら先生もよく知っている店がいいかなって」
「え、ずっと続けるつもりなのか? 休み中だけじゃなく?」
「はい、そのつもりです」
「はーっ」
真弓先生は大きくため息をつくと、諦めたような口調で言った。
「シェフを呼んでくれないか。私からもきちんとお願いしておかないとな」
真弓先生の赤いちっちゃなスポーツカーが走り去ると、星空を背景に何の明かりもなく真っ黒く浮かぶ二軒の家はかなり異様に見えた。
トラットリア・ガッティーナはバス路線から外れているので、家まで歩くとなるとそこそこ時間がかかる。今日は真弓先生が送ってくれたけど、なるべく早く自転車でも買おうかなと決意する。
暗闇に目が慣れてくると、星川家のポストからDMらしい郵便物がはみ出しているのに気付く。裏に回り、教えられている番号でロックを解除すると、ポストの中はDMやら無料で全戸配布される雑多な情報誌で一杯だった。郵便物がはみ出していると防犯上良くないと聞いたことがあったので、とりあえず全部取り出し、うちにも来ている
暗い中手探りで鍵を開けながら、明日からはせめて玄関灯は付けて家を出ようと思う。
玄関を開けると、昼間の熱がこもったままの室内はむっとむせかえるようだった。リビングのエアコンを入れ、手に持ったままの郵便物の束から不要と思われる物をゴミ箱に放り込む。
私信は案外少なかった。水道料金や電気料金のお知らせがいくつか、あとは走パパ宛の手書きの封筒が一通。
私はソファーにドサリと座り込み、メッセージアプリを立ち上げた。
ロケット花火爆発事件の時に送った顔に傷を負った自撮り写真は走的にも結構ショックだったようで、あれほど頑なに連絡を拒否していたのが嘘のように、すぐに返事が来た。
まあ、かなり本気で怒られたけど。
それ以来、時たまぽつりと返信が来るようになった。
彼が受けている治療は相当辛いらしく、体調の波がそのままメッセージの数に比例する。丸一日来ないこともあれば、インターバルの日には数通まとめて来る事もある。私はひふうみと指を折り、今日はインターバルに当たるはずだと信じてメッセージを送る。
〝ポストに手紙が一杯だったから回収しておいたよ。預かっておくからママに伝えて〟
〝了解〟
うわあ、早いけれども素っ気ない。まあ、病院はもう消灯時間過ぎているだろうしね。
小さくため息をつき、ふと、思いついて聞いてみる。
〝ねえ、走にとって、『ロケット』ってどういうもの?〟
彼がロケット好きなのは知ってるけど、なぜ、どこが好きなのか、詳しく聞いてみたことは一度もなかった。
〝人類の作り出した物の中で、ただ一つ、宇宙に手が届く
返信早いな。
多分ずーっと考えていたんだろうな。
短い返信の中に、走の想いがこもっているような気がした。
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