第439話 アスカはまつ毛がチリチリとした

 アスカはまつ毛がチリチリとする感覚にとらわれた。


「サイテーで最高な日」


 そんなわけのわからないひと言で、撤退をほのめかすような決断を下すという神経がまったく理解できない。

 いや、納得いかないっ!!。


「タケルぅ、どういうこと?」

「アスカ、ユウキ、すまないと思う。だけど、ぼくは今回先陣を切ってでていくわけには、いかない」

「なぜよ」

「失敗するからだ」

「なんでさ、まだ戦ってもないじゃない」

「それがわかるんだ。ぼくにはその覚悟がまだ足りてない」

「タケルくん、失礼だが、今さらなんの覚悟がいるのかい」


「ユウキ、今は話せない。このことの深刻さがわかっているのは、ぼくと草薙大佐……。そしてリンさんだけだと思う」

 アスカは自分たちが来る前のグループで秘密を、それもタケルの秘密を共有していることが気に入らなかった。さらに身内だけで勝手に盛りあがっている感覚も、神経を逆なでしてくれる。

 アスカはその怒りの矛先を春日リンにむけた。


「メイっ!。いったいどういうこと!。知ってたら教えて!」

 突然名指しをされてもリンは落ち着いたものだった。モニタのむこう側からの返事は、まるで他人事ひとごとのようだった。


「あら、アスカ。前にも言ったでしょ。言えないって。脳内の生体チップにロックをかけられてるって」

 それは予想された答えだったし、悪びれる様子もなくリンに返答させた自分に腹がたった。だが、失敗したはずの問答は、アスカが思いがけないところに飛び火した。


「ちょっとぉ、リン。言えないってどういうこと!」

 語気を荒げたのはミサトだった——。


 意図したわけではなかったが、思いがけない自分への追い風を感じ取り、すぐさまアスカはたたみかけた。


「そうなのミサト!。リンも草薙大佐も隠しごとがあるの。問いただしても、タケルの『プライバシー・ロック』のせいで、話したくても話せないの一点張り……」

 さらにもう一撃。

「人類の存亡がかかってるっていうのによ」

 アスカはこれでマウントをとったと確信した。

 このあとはミサトが女のさがでも、上司の強権でも発動して、無理やりにでも、タケルが封印したメモリをこじあけてくれるはずだ。


 これはヤマト個人の問題ではなく、たった今、人類全体の問題になったのだから。


 だが、そうならなかった——。


「みんな、このことはあとでみんな話す」

 ヤマトが物静かな声で訴えかけてきた。

「今は……、今はそっと……しておいてほしい」


 それはふだんのヤマトからは考えられないほど、意気消沈した物言いだった。

 それはとても心を痛めているようにも、悩みを吹っ切れないようにも聞こえたが、アスカは次に吐き出そうとしたことばを、そのまま飲み込むしかなかった。


『サイテーに最高な日——』


 なにげないひと言。

 ふだんなら気にもとめないような、たわいもないことば。


 その程度のものが、あのヤマト・タケルを、これ以上ないほどに追い込んでいる。

 アスカにはどう考えても、出撃を拒むほどの威力をもつようなことばだとは思えなかった。

 そう、それならあの時のクララのひと言だってそうだ。


『下の方を見ないでもらえます?。私、恥ずかしいから——』


 ふいにアスカの頭の中に、エロチックな想像が頭の中にもたげた。

 もし、これが女絡みのことばなら、あたしはタケルに失望する。絶対に許さない——。


 アスカは自分にそう言い聞かせた。



 でも、そんな権利なんか、爪の先ほどもないこともよくわかっていた。


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