第289話 底意地が悪そうな顔
武漢市はやたらと高い建物が乱立している都市だった。
200年ほど前に、毒性の高いウイルス性の疫病を流行させて以来、皆高いところに好んで住むようになったという。そのウイルスを培介した虫は、高いところにまで上ってこないというのが理由だったらしい。
クララ・ゼーゼマンはセラ・ジュピターで軍事用の『電磁誘導パルスレーン』を高速移動しながら、今からおもむく戦場の情報をすこしでも多く把握するようにつとめていた。ふと、上のほうのエリアに投映されているレイ・オールマンのコックピットの映像に目をやると、レイは腕を組んだまま瞑想に入っているかのように目を
ふいに中央の投映画面にエドが現われた。
「レイ君、クララ君、エドだ。最新情報を伝えるよ」
レイの目がパチリと開いた。ぐっと画面を睨みつける。これから告げられる情報を、まるで目からも聞き漏らすまいとしているかのようにさえ見える。
「今回の亜獣イオージャだが、その特性がある程度判明した」
「ある程度?。エド、あなたの私見でかわない。どれくらいわかったと考えるの」
レイがエドに
「レイ、あくまでも私見だが、まだ全体の30%もわかっていないと思う。だが重要な30%だ」
「わかったわ。聞かせて」
エドの映像が立体の3D映像に切り替わった。そこには兎ともねずみともつかないフォルムの生物が映し出されていた。ビー玉のような表情のない目に、切れ入みがあるだけのような小さな口。怖いとか凶暴そうというより、不気味さが先にたち、ことさらに不安感を
「底意地が悪そうな顔……」
レイが亜獣の印象をそう呟いた。
クララは思わずレイの映るスクリーンに目をやった。亜獣の印象をそう受けとれるレイの感性が理解できない、と感じた。が、そんな
「レイ、なぁに言ってンの。亜獣なんてみんな悪意の塊でしょうがぁ」
「そうだよ。レイくん。きみは底意地がわるい顔の亜獣でも戦えるだろう?」
ユウキがそれに
それほどユウキは執拗に抗議した——。
ヤマトがレイとクララの二人の先行を進言するやいなや、ユウキは自分こそが適任だと申し出た。
いや、そんな生やさしいものではない。言い張って譲らなかったというところだ。正直、これにはウルスラやミサトも手を焼いていた。
結局、3時間遅れにはなるが、第二陣として先行のふたりを援護するという形で納得して、現在、セラ・マーズのコックピットのなかで、超耐電液の塗布が終了するのを今かいまかと待っているところだ。
しかしユウキの気持ちもクララにはわからないではなかった。
亜獣との実戦をひとりだけ経験していないという疎外感を味わいたくないという思い半分、アカデミーの成績が五番目の自分は結局、重要な局面では後回しにされるのだ、という憤り半分、といったところだろうか……。
スクリーン画面のむこうからエドが説明をはじめた。
「さて、問題になっているこのイオージャの電撃だけど、この二本の尻尾から発せられている。この二本が一種の電極になっているようだ」
エドが3D映像を回転させて、うしろから見た映像を見せながら説明した。
「だったら対抗策はあるンじゃないのよぉ」
画面のむこうのアスカが、そんなの当り前だと言わんばかりの口調で言った。
「片方の尻尾をちょん切っちゃえばいいんでしょ」
「まぁそう簡単じゃない」
エドが苦りきった顔で言った。
「イオージャはその弱点を補完する強力な武器と、必殺技のようなものを持っている」
「必殺技?。なによぉ、それ?」
エドはアスカの難癖まがいの反応を無視するように別の映像を再生した。
「これはイオージャの出現直後の映像だが、注意してみてほしい」
映像ではイオージャが、空間からぬっと現われる場面が再生されていた。イオージャの体躯がこちら側の空間に全部現われると、すぐに雷鳴が
「問題は次なんですよ」
イオージャがすこし前傾した。尻尾部分をぐっとつきだすようにして、こころもち持ちあげると同時に、尻尾と尻尾の間から火の玉状のものが飛びだし、後方にあった高層ビルに直撃した。まるで見えない砲弾でも受けたかのように、ビルの外壁の一部が剥落し、その中央部分が数メートルの円周状にへこんだ。
だが、けっして強烈な破壊力ではない。強化ガラスにヒビこそはいったものの、割れたわけではないし、その周りを支える外枠もぐにゃりとへしゃげた程度だ。
むしろ砲弾が直撃した方が、もっとわかりやすく破壊されたであろう。
「今の『電気玉』というべき攻撃。それほどの破壊力はない。だけどこれは超絶縁体の外壁やガラスを通り抜けたんだ。今の一撃ですくなくとも20人は亡くなってるらしい」
「マジぃ?。あんなのコックピットを直撃したら、『プレート・アーマー』は大丈夫でも、なかのパイロットはひとたまりもないじゃないのさ」
アスカの歯に
くっ。あいかわらず自分ごとでないと、この女は無遠慮がすぎる——。
そう心のなかで舌打ちをした。
だが、ふっと今自分のなかに湧いた感情が本当に『怒り』だったのかと自問自答した。 そう怒りだ——、間違いない——。
けっして……恐れや……怯え……ではない。
「まるで『スカンク』っていう生き物の攻撃みたい」
レイがぼそっと言ったのを、ユウキが聞き直した。
「スカンク?。それは何かな」
「すでに絶滅した動物……。敵に襲われたとき、強烈な臭気をお尻から放った」
するとよほどそれがお気に召したのか、アスカがすぐさまアーカイブ映像をみんなの目の前に再生した。
「これね。おならで外敵をおっぱらう、クソみたいに変な生き物ね」
その映像は、黒い小動物が尻尾の根元から出した液体のようなものを、浴びせかけられ、獰猛な生き物がほうほうの
「では、人々が感電死したのは、この攻撃を受けたからですか」
ユウキがエドに尋ねた。
「いや、それが違うのだよ」
「どういうことですの?」
クララは思わずヒステリックな声をエドにぶつけた。腹立たしいことに、声がすこし裏返っていた。
「おかしなことに、さきほどの攻撃は一回しか実行されていない。それ以外は、その前に見てもらった落雷攻撃だけなんだ」
「それなら……、なぜ人があんなにも亡くなってるんですか?。おかしいでしょう。直撃しないただの落雷なら、街中を覆っている超絶縁素材が遮断しているはず。すこしは感電したとしても、命を奪われるようなことは……」
「それがわからないんだよ」
エドがメガネをわざとらしくずりあげながら言った。
「わからないって、どういうことですの!。そんなわからない攻撃を初見で防げと言われても、できるわけがないでしょう」
クララは声を荒げた。エドの眼鏡をずりあげる仕草が、なにかを隠しているサインのように思えて、自分でも抑えがきかないほど苛立ちが爆発した。
「クララ、静かに。声を荒げても、なにかをひらめくわけじゃない」
レイが珍しく厳しい口調で、クララを
「あ、ごめんなさい。レイさん」
画面のむこうのレイがじっとこちらを見ていた。観察している、といったほうが良いくらいの一方的な視線——。クララはすぐに恥じ入った。
「エド博士。二人がもうすぐ『武漢』に到着します。申し訳ないのですが、そのわからない、ということを教えていただけますか?……、包みかくさずに」
セラ・マーズのコックピットから、ユウキがエドに尋ねてきた。遠回しながらユウキが、自分に助け船を出してきたのだとクララは理解した。
エドはメガネの鼻梁部分に指をあてると、手のひらで顔の下半分を隠したまま言った。
「どうしても理解できないんだよ。イオージャは後方にむけて『電気玉』を放ったはずあのに……」
「感電死した人々は、イオージャの前方にいた人たちだけなんだ」
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