第282話 金田日の顔はあきらかに引きつっていた

 地球を赤い斑点がくまなくおおい尽くしていくさまは、まるで死斑しはんが浮かびあがっていくようだった。

 金田日は顔がゆるみそうになって、あわてて気をひきしめた。

 だが、この死斑は自分にとっては、まさにラッキーアイテムのようなものだった。ついに自分にも幸運の女神が微笑んだのだ。金田日は研究している日々、増えつづけていく点と見ながら、そういう思いを募らせていった。

 だから、目の前で驚愕の表情でうろたえているエドの姿は、滑稽こっけいなほど爽快そうかいだったし、草薙大佐があわてて各所に連絡をとるのに、慌てふためく姿は、とてもいい気分だった。

 おそらくこの場所をモニタリングしていたであろう国連軍の兵士は肝を潰し、お偉方は泡を喰っているにちがいない。それを直接目のあたりにできないのはしゃくだったが、今はまだ民間の研究機関であり、相応の権限を持ちえていないのだから、それを臨むのは贅沢ぜいたくでしかない。

 だが、そんな高揚感も地球儀をじっとみている、ヤマトタケルの態度を見てたちまちえていった。


 ヤマトタケルの顔は冷静そのものだった。ただぼうっと地球を眺めていた。そこに驚きも、焦りも、恐怖も、緊張もなかった。

「ヤマトタケルくん。君は驚いたりしないのかね」

 ヤマトは目をくれようともせず「ヤマトでいいです。フルネームで呼ばれると、無用な混乱をひきおこします」とぼそりと言った

 こちらが声をうけた意図がわかった上での、あからさまなはぐらかしだった。

「ヤマトくん、そう言えば君はこの女を亜獣じゃないと言ったね。どういう意味かね」

「文字通りの意味だ。この女の人は亜獣じゃない」

 あまりにも意外な返事に消沈していたはずのエドがふっと顔をあげた。エドはわざとらしくメガネをすこし持ちあげる仕草をすると言った。

「タケルくん、だけど、この人はまさに移行領域(トランジショナル・ゾーン)のベールを自分のまわりに張っていた」

「そうだともまさに亜獣じゃないか」

 金田日は腹だたしさを内に秘めながら、エドの意見を加勢した。自分が集計に導きだしたたったひとつの真理を、こうもむげに否定されるのは堪え難かった。

「やれやれ、二人とも亜獣の専門家がきいてあきれる。そうですよね。リンさん」

 そう中空に呼びかけると、その場所にウィンドウが現れ、女性の上半身が映しだされた。

「おひさしぶりね、ハジメちゃん」


 春日リン——。

 久しぶりの顔合せだ。最後にあったのは亜戦対策の国際会議の場だったはずだ。

 その時は亜獣に対抗するための大胆な仮説を発表したのだが、春日リンの矢継ぎ早の反証で、恥をかかされることになった。

 嫌な思い出と抱き合わせでしか、思いおこされない女——。

「春日リンさん、こちらこそご無沙汰です。で、リンさんは、この女が亜獣でないと言うのですね」

「そうね。タケルくんが言うまでもなく、私もそこにいた魔法少女は亜獣じゃないと思うわ。だって、こちら側の世界の銃に撃たれて死んだんでしょう」

 そこに威勢のいい声が飛び込んできて追従した。

「あたしもわかるわ。その女が亜獣じゃないって。もしわかんないなら専門家失格よ」

 リンの横にウィンドウが開いて、龍・アスカの映像があらわれた。だが、アスカはその舌鋒ぜっぽうをエドのほうにむけた。

「エド、あんた、ボカぁ。そんな民間の教授ごときに、ご高説を垂れられて言い負かされてんじゃないわよ」

「あ、いや、アスカ、すまない」

 金田日はどさくさにまぎれて、教授ごときとさげすまされたことにカチンときた。

「きみは、龍アスカさんだったかな。ずいぶん失礼じゃないかね。いったい全体、この女が亜獣じゃないとしたら、いったい何だと言うんだね?」

「デミリアン」

 すぐ脇からヤマトが力強く言った。


 金田日はヤマトからの不意打ちを、できるだけ冷めた目で受け止めた。もしかしたら、冷笑を浮かべていたかもしれない。

 まったくばかばかしい見解だ——。

 金田日はその気持ちのまま、ふっと顔を横にそむけた。

 そこにあった鏡面の壁に、自分の顔が映っていた。

 

 その顔はあきらかに、引きっていた。


 さきほどまで自分がみんなにむけていた見下したような目。それをむけられるのが、今度は自分の番になったことが、今わかった——。

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