第280話 この女の人は亜獣じゃない 

 女が撃ち落とされてから約一時間後に、ゴーストを使っての、フーディアム内への立ち入りが許可された。

 入場を許されたのは三名のみ。

 国際連邦軍の要請、デミリアン専門家のエドの申し立て、そして草薙の個人的なパイプ、それらをぞんぶんに駆使したはずなのに、やけに時間がかかったのがヤマトは気になった。

 ヤマトと草薙はゴーストを使って、エドは現場の物体への接触が必要とのことで、『素体』を使って現場に入館した。

 

 フーディアムに足を踏み入れたとき、現場はまだすこしだけ混乱していた。医療系のロボットや医師アンドロイドが大量投入されており、手際よく負傷者の救護にあたっている。

ヤマトは、とくに入念に手当てを受けている顎髭をたくわえた男の人に注目した。かなりの重症なのだろう、頭の上にブレインスキャン装置をあてがわれている。

「あの人はダメそうだね?」

 ヤマトが呟くとはなしに口にすると、草薙がそれに同意した。

「そうね。彼の脳内の記憶やスキルのバックアップをとりはじめてる」

「たぶん高度な専門知識を、持った人だったんだろう」

 エドがすこし哀れむような口調で言った。もしかしたら、その専門家を自分と重ねているのかもしれない。だが草薙はそんなセンチメンタルな心情などおかまいなしに、端的に現実的な事実を言いはなった。


「当然でしょう。こんな高級料理館に、ふつうの人間が出入りできるわけないわ」

 あけすけな意見にエドはかえすことばもないとばかりに、わざとらしく肩をすくめてみせた。ヤマトはその仕草を目の端に捉えながらも反応しなかった。彼の目は死にかかっている男性を見つめたままだった。なぜか目がはなせなかった

「タケルくん、あなたもしかして、自分の戦いの時のことを思い浮かべてる?」

 ぼそりと草薙が尋ねた。そう言及されてみて、ヤマトは自分がなぜ、あの男性が気になっているのかに思いあたった。

「あぁ、そうかもしれない。ぼくが亜獣と闘った時はいつも、これと同じような光景……、いや、これの何倍も残酷な状況がうまれてるんだろうなって……」

「気になる?」

 ヤマトは草薙のほうに顔をむけて言った。

「いや、ぜんぜん」

 その毅然と言い放ったヤマトの様子に、エドは目をむいて驚いてみせたが、草薙は珍しく笑みを浮べた。

「そう。安心したわ。それでいい。何万人、何十万人、死なせても感傷なんかない。後悔など露ほども覚えない。それでこそ——」


「ヤマト・タケル!」

 草薙は不自然なほど、ヤマトの名前を大きな声で言った。叫んでいるかと一瞬勘違いするほどだったが、その意図はすぐにわかった。そこにいるほとんどの人間やアンドロイドやロボットまでがこちらを見ていた。

 今度はヤマトが肩をすくめる番だった。草薙のちょっとした茶番につきあわされたが、この場所の空気をたちまちのうちに自分のものにしている。すぐに近くにいた係官がとんできて平身低頭で、エントランス中央に落下した女のところまで案内してくれた。


 女の体は右腕が肩からねじれ、あらぬ方向に折れ曲っている以外は大きな損傷がないように見えた。ヤマトは死体の側にかがみこんだ。顎の下に小さな穴があいて血が吹きだしているのが見える。だが射入口になる後頭部には5cmほどの穴がぽっかりあいている。頭蓋骨が砕け、脳漿のうしょうが一部とびだしている。同じように腰を落として死体のほうにかがみこんでいたエドが顔をよせるようにして訊いてきた。


「タケルくん、この攻撃は君のアドバイスによるものじゃないのかな」

 先ほどから尋ねたくて、うずうずしている素振りだったので、なんとなく察していたが、それに答えたのは草薙だった。


「ええ、そうよ。タケルくんのアドバイス、的確なね」

「なぜわかったんだい。この亜獣の弱点が?」

「エド、残念だけど、これは、この女の人は亜獣じゃない」

 ヤマトはエドのことばにまるで誤謬ごびゅうがあったかのように、すこし強い口調で否定した。

「それは聞き捨てならないな」

 奥の方からあたりの空気を抑えつけるような声色が聞こえた。一瞬にして、エドの顔が不快一色にゆがむのがみえた。見なくてもわかる相手らしい。

金田日一きんだにち・はじめ、なぜきみがここにいる」

 エドが唾棄だきするようにその名を口にした。ヤマトはぼわっとした驚きとともに、声のほうを見た。エドがこれだけ表情をあらわにするのを見たのは、ヤマトははじめてかもしれなかった。

 そこに頭の良さをそのまま表情筋に刻んだような、いかにも知識人という男が立っていた。見た目だけならエドと同等の年齢に感じられたし、研究者然とした雰囲気も似ていた。だが、対象へのアプローチはまったく真逆であるように感じられる。

 エドが研究に没頭するあまり、身なりに気をつかうこともわずらわしく感じるタイプだとすれば、彼にとっての知識は自分の身なりをさらによくみせるためのアクセサリでありフレグランスのように感じられた。趣味の良い仕立ての服、その服をひきたてるためだけにまとわせたカフスやタイピン、時計は、でしゃばりすぎず、それでいてちょっとした所作に色気を感じさせるアクセントを与えていた。

 ヤマトにはそれらのアクセサリは高級であるばかりでなく、しっかりとした知識と磨きぬかれたセンスのもとに、チョイスされたものだろうとすぐにわかった。

 体躯も適度に鍛えられ、スーツの本来持つシルエットの魅力をひとつも損なわないように計算されつくしているようだった。

 スタイリッシュ——

 ふいにヤマトの頭に浮んだレッテルは、自分でも驚くほどポジティブなものだった。

「エド!、なぜここには、というのは失礼だな。亜獣研究の第一人者をつかまえて」

「なんだと、第一人者はこのボクだ!」

「お言葉を返すようで申し訳ないが、きみが私にまさっているのは、研究期間の長さだけだろう?」

「ばかを言うな。どれだけの論文を発表していると……」

「だったらお尋ねする!」

 エドが血相を変えて金田日に抗議をしようとしたが、彼は語気を荒げることもなく、その圧だけでエドの機先を制した。

「なぜ、私がここにいると思う。なぜこんなにも迅速に特殊部隊が投入できたと思う?」

「そうね、それは私にも疑問だった」

 エドが口を開くより速く、草薙がボソッと疑問を口にした。おそらくエドにもそれがわからないのだろう。悔しさを噛みしめた表情で、金田日を睨みつけたまま黙り込んだ。

 その顔色を見て、金田日はふっと余裕めいた笑みを浮かべて言った。それはまるで凱歌がいかを歌いあげるかのように、誇りと優越感に満ちていた、

「それは私が、今回のことを予測していたからなんですよ」

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