第199話 あんた、気が狂う準備はしてきたかい?

 ウルスラ大将の紹介が終わってクルーが散会したのち、パイロットと各責任者が残るように言われて、アイダ・李子はため息をついた。

 今回の戦いは、この日本支部のクルーたちに多大な精神的外傷トラウマを残していた。次の日から、レイの母親に取り憑かれた女性クルーを中心に、びっちりと予約がはいっている。今日も朝からカウンセリングが詰まっているので、すこしでも時間が惜しかった。

 それだけではない——。

 今回のこの事態を招くことになった、肝心のブライトの診察ができてない。本部からもコンタクトを遠慮するように言われているし、リンからも時間が必要だから放っておくようにアドバイスされたので、見送っているが、どうにも心配で仕方がない。


 その苛立ちが顔にあらわれていたのか、ウルスラが声をかけてきた。

「アイダ先生、なにかお急ぎごとでも?」

「あ、いえ。このあと診察の予約がはいっているものですから」

「あれだけのことがあったのですから、お忙しいんでしょう。あ、そうそう、前職のことを持ち出すのは、大変非礼かと思いますが、わたし、あなたのファンだったんですよ。バスケット選手だった頃のあなたのね」

 李子はいまだに初対面の人に、過去の栄光の話を蒸し返される、このくだりにうんざりとした。相手が上長なので、顔に出すわけにもいかないが、いますぐこの場を立ち去りたい気分だった。

「ずいぶん前の話です」

 それで話を切りあげようとした。が、そうはいかなかった。

「あなたの偉大なお父様の アイダ・クロコ選手も、大ファンでした」

 毎度のごとく、かならずといってよいほど、そのあとに父の話が続く。わたしへの称賛は、父の話を持ち出すための『枕』にすぎない。

「トリッキーなパスや、変幻自在のドリブルで、相手ディフェンスを掻き回す姿から『ミックス・マン』と呼ばれた……」

「ありがとうございます、総司令。父のクロコは、選手としても、その後、身を転じた医者としてもわたしの理想であり、目標でした」

「いや、アイダ先生も、今、おなじ道でご活躍されているのですから、さぞやお父様もお喜びだと思いますよ」

 李子は心から感謝しているという表情を精いっぱい作って、会釈してみせた。それに満足したのか、ウルスラは突然興味をうしなったように、ヤマトのほうへ向き直った。


「さて、ヤマト・タケル、おまえに聞きたいことがある」

 ウルスラの表情が豹変した。ぞっとするほどの威圧感、表情を変えていないにもかかわらず、凄みが満腔まんこうから漂ってくるようであった。さきほどとおなじ人物だとは思えないほどの凄みに、李子は気圧けおされた。

 はらだたしい——。

 わたしとの先ほどまでのたわいもない雑談は、ヤマトを油断させるための『前置き』だったのだ、と悟った。

「ぼくの好きな食べ物、とかじゃなさそうだね」

 ヤマトがウルスラを見あげながら軽口を叩いてみせた。

「わたしはブライト司令のように辛抱強くない」


「四解文書の中身を教えろ!!」


 そこにいる全員が表情を変えた。もちろん自分もだ。

 あまりにもストレートすぎる。

 それがパワーハラスメントにあたると、爪の垢ほども考慮してないという物言いだ。

「ねぇ、なんか変なドラッグやって『フル・トランス』ぶっこいてる?」

 ヤマトは半笑いでそれに返事をした。

「ちょっとぉ、タケル君、失礼じゃないのぉ」

 ミサトが一歩前に進み出て、ヤマトを非難した。

 そういうポーズだ。李子はそう理解した。


「ミサトさん、この人に脅されるのは、これで二回目だ。そちらのほうが失礼じゃないのかな」


「脅しではない。国際連邦軍総司令官として命令している。四解文書の内容を話せ!」


 ウルスラはヤマトに掴みかからんばかりに近づくと、上から顔を近づけて睨みつけた。そのウルスラの剣幕におもわずミサトが止めようと身を乗り出し、ヤマトの両脇にいたリンとアスカは半歩うしろにたじろいだ。


「おかしいな。龍リョウマのパイロット・データが、全部揃って解析ルームに到着したんだ。ぼくに聞かなくても、いずれわかるはずだけど?」

 ヤマトは口元にいじわるな笑みをうかべて続けた。

「もしかして……、それを追体験しようという度胸がないのかな?」


 李子にはウルスラの顔がみるみる紅潮していくのがわかった。あれでは生体チップが感知して『異常値』として警告がでるレベルだ。ウルスラの網膜デバイスには、『アラート』の信号が瞬いているにちがいない。

「御託をぬかすな。命令だ。教えろ!」


「ウルスラ総司令……」

「あんた、気が狂う準備はしてきたかい?」


「なんだと?」

「気が狂う準備ができてるか、って訊いてる」

「ふざけるな!」

「生半可な覚悟で、ひとにものを尋ねないで欲しいな。でないと……」


「ブライト司令みたいになるよ」


 一瞬にして、そこにいた全員が硬直した。

 たぶんそうだ。李子はそう感じた。すくなくとも自分の肺に酸素ははいってこなかったし、思考はしばし停止した。もしかしたら数秒、心臓も脈打っていなかったかもしれない。


「ブライト司令は『四解文書』の一節を知ってしまった。だからああなった……」

「ま、まさか……、すべてを知ったのか?」

「そんなわけないでしょう。さほど重要ではない一節だけですよ。全部を知ってたら『休職届け』なんて常識的な手順をふむわけがない……」


「狂ってますからね」


「な、ならば、なぜ貴様は狂っていない」

 ウルスラはあきらかに動揺していた。だが、なんとか威厳だけでも保とうと、威圧するように言った。

 ヤマトは口元をおさえて、笑いをこらえるまねをした。

「ふっ、ウルスラ総司令、あなたはぼくが正常だと?」


「百万人もの人を殺して、ふつうに日常生活を送って、ここで談笑している人間がまともだと?」

「それって、とっくに『狂ってる』んじゃないですかねぇ?」


 せせらわらうヤマトに誰も声をかけられなかった。 

 あれほど威圧していたウルスラでさえ、それ以上のことばを発せられなかった。それほど重く、張りつめた空気がそこを支配していた。

 李子はこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。精神科の専門医だというのに、その場の緊張感に耐えられなかった。

 だがそれはできない。自分はプロフェッショナルなのだ。それにやるべきことがある。ブライトともう一度面談して、彼を救う方法を模索しなければならない。

 今、それを強く思う——。

 だが、もしブライトが聞いた『四解文書』の内容を告白された時、自分は正気でいられるのだろうか……。


 重たい空気を振り払ったのはミサトだった。ミサトはすこし冗談交じりに口を開いた。

 

「ねぇーー。それってまさか、そのー、人類が全滅するとか、宇宙が消えてなくなるとかじゃあ……ないわよね」


 ヤマトはミサトのことばに、思わず吹き出した。

「まさか、そんなものじゃないですよ」

 ミサトがホッとした表情を浮かべた。つられるように、いつのまにか、李子自身も胸をなで下ろしている。


 ヤマトは半笑いをしながら、ことばを続けた。

「人類滅亡?、宇宙消滅?……」


「そんな、生易なまやさしいものじゃない」

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