第107話 あなたは私を本当に殺すつもり?

 あの音だった。いや正確には音ではなく空気のふるえだ。幻影をまきちちすアトンの卑劣きわまりない心理攻撃の武器。レイは深呼吸すると、コックピット内を冷静な目で見廻した。また、母が、あのえげつのない女がここに邪魔をしにくるのだろうか。

 レイは息をこらした。

 足元に目をやる。母はいない。すぐに顔をあげ、モニタ画面に目をむける。狭いコックピット内を映しだしているカメラは三基。

 レイはその映像にすばやく目を走らせると口を開いた。

「無理よ。母さん」

 レイの母親は、レイを正面から映すカメラに映っていた。彼女は天井から逆さまにぶらさがって、背後からレイの首を絞めるような仕草をしていた。

「あなたには実体がないから、私の首を絞めようとしてもできない」

 母親が頭を下にして天井からぶらさがった状態のまま口を開いた。

「そう思うかい」

 口元からボタボタと血がしたたり落ちる。逆さまになっているので血は彼女の口から鼻、目、額の順に顔を赤く染めていく。

 レイは、喉がじんめりと締めつけられるのを感じた。

 どういうこと?

 思わず侯もとに手をやるレイ。だがその首元はすこしづつだが確実にしぼられていく。

「どうだい、レイ」

 にたあっと口元をだらしなく口を開いて笑みをうかべると、今度はどぼどぼと大量の血が吐きだされ、顔を伝って滴たりおちていく。

 ものに触れることができない『ゴースト』が、『素体』になった、と解釈すればいいのだろうか。

「さあ、レイ、こっちへおいで」

 レイは目の前の母親をにらみつけた。

「あなたは私を本当に殺すつもり?」

「ああ、殺すとも」

「お母さん、あなたは私を殺せないわ」

「おや、なぜそう思うのかい」


「だって、私……、あなたが命がけで産んだ子だから」


 母親は何も言わなかった。表情の変化や目の動きもなかった。ただただ時間が止まったように身じろぎもせず、フリーズしていた。レイは力の限りアクセルを踏み込むと、セラ、サターンが猛ダッシュで走りだした。コックピットが揺れる。

 しかしレイは今度は急ブレーキでセラ・サターンが前につんのめりそうなほど勢いよく、走るのをとめた。

 上からぶらさがっていたレイの母親は、ストップ&ゴーに体を揺さぶられた。彼女はレイの首をつかんでいた手に力をこめた。

 だが、それは加速にふり落とされまいとレイのからだに、しがみついているだけでしかなかった。レイは自分の首に手を回したまま身動きできない母親にむかって言った。


「ねぇ、母さん。私を殺せないなら、邪庵をしないで」

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