第93話 アスカ!、おっぱいが邪魔よ

 ヤマトの必死の視線がすぐ目の前にあった。すこし横揺れしたら頬と頬が触れそうなほどの距離。こんな非常事態なのに、顔を赤らめそうになる自分がいることに気づいた。

「な、なによぉ。だからどうなるの?」

「数十メートル垂直にあがっていくから、強烈なGがかかる」

「絶対にボクの体から手をはなさないで」

「こっちも命がかかってるの。嫌でしかたないけど、手だけははなさないわよ」

 アスカがそう言い放ったとたん、ガクンと体がゆれ、体が上へと上昇しはじめた。

 天井からぶら下っていたハンドルは、そのまま今度は壁から横にとびだしている状態へと変った。天井だった部分が壁に変わると、二人の背中がべたっと壁にくっついた。上昇と同時に背中が壁をこすりはじめる。縦穴はまるでちょっと大きめのダクトとしか思えないほど狭く、通路とは比較にならないほど暗かった。ナイトアイ機能の装置を装着していないアスカには、まったく何も見えなくなった。

 自重がズンとかかり、体がずり落ちそうになる。アスカがタケルの首に回した腕に、力をこめた。

「しっかり掴んで!」

「だぁからぁ、本当は嫌だけど、しっかり掴んでいるわよ」

 そう悪態をついたが、ちょっとばつが悪くなって下方に目をそらした。すでに十メートル以上も上昇していた。

 その時、縦穴の下方に何かがいるのが見えた。

 下方の通路から漏れでている淡い光を、何かが入口に張りついて塞いでいる。

「タケル、あいつが、下にいる」

「わかってる」

 その何かは狂ったようなスピードで、この縦穴を這い登ってきていることが、影の大きさの変化でわかった。

「タケル、追いつかれる」

「わかってる」

 その声色には焦りのようなものがにじんで聞こえた。

 その時、草薙大佐の声が耳をうった。


「アスカ!、おっぱいが邪魔!」


 アスカには何を言っているのかわからなかった。

「タケル、アスカのおっぱいが邪魔よ。何とかして」

「草薙大佐、無理を言わないで」

 アスカは混乱をした。この二人がこの非常時に戯れ言をかわしている神経が、理解できなかった。

「タケル、あなたが、アスカのおっぱいをひっこめて!」

「わかった!」

 タケルがやむなくといった口調で承諾した。

 アスカは下をのぞき見た。そこにはすでに通路から漏れでる光はなかった。

 光が届かないほど上昇した?。

 いや、ちがう。自分の真下に、そうすぐ足元に、あいつがいる。

 あいつが、この縦穴いっぱいに体を広げて、這いあがってきているのだ。アスカは目をすがめて見たが、どれくらい近くにいるのかわからなかった。

 アスカは見えないことに恐怖し、悲鳴をあげそうになった。

「アスカ、手を放すよ」

 タケルはそう言うなり、アスカの腰に回していた手をはなした。腰へのサポートをうしなって、アスカの腕に一気に自重がのしかかってきた。からだがだらんと伸び、下に落ちそうになる。タケルは、そんな無防備の状態のアスカの背中側から手を伸ばして、アスカの乳房をぐっと鷲掴みにした。

 アスカは反射的に叫んでいた。

「何するのよ!」


 その瞬間、目の前を何かが猛スピードで落ちていった。文字通り、目と鼻の先をかすめて、大きな何かが下へ通り抜けていったのだ。

 アスカがすぐさま下に目を向ける。そこにわずかな光が見えた。

 光の中でかいま見えたのは、エアーバイクもろとも追手に突撃した草薙大佐の姿だった。

「二人とも早く出撃レーン……!」

 草薙大佐の声は、すぐ真下からから突き上げくるような、衝激音と振動にかき消されて聞こえなくなった。

 アスカはあまりの事態の急変に、呆然として、ダクトの下の方を見つめていた。

「アスカ、草薙大佐は大丈夫だ。心配しなくていい」

 ヤマトにそう耳元で言われて、アスカは我にかえった。

 とたんに何が焼け焦げたような臭いが鼻をついて、思わずアスカは顔をしかめた。

「アスカ、もうすぐ頂上だ。また向きが変わる」

 ヤマトの手はアスカの乳房をぎゅっと押し潰したままだったが、アスカはその手からぶすぶすと煙があがっているのに気づいた。服の上腕部分が溶けていて、そこから嫌な臭いがしているのがわかった。服がこそぎ取られてなくなった部分からは、上腕部が露出していた。すり傷と軽いやけどで血が滲んでいる。先ほど草薙大佐のバイクとすれ違ったときに負った怪我。

 アスカはヤマトの腕のキズに、そっと指を這わせるとやさしく囁いた。


「あんたぁ……。ばかぁ……」

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