第40話 あの男は立場を利用して「希望」という面倒を押しつけてきただけだ
『ゴースト』での入室申請がはいっていると連絡があったので、アスカはそれを渋々と認めることにした。病院ではスタッフたちに腫れ物を触るようなあつかいをされて、少々うんざりしていたので、ロンドン時代の友人たちと昔話をすることで、良い気分転換になればありがたいと考えた。
しばらくすると、天井の一部が開いて、小さな消しゴムサイズの機器が飛び出てきた。全部で三機。その機械は天井近くにふわりと浮かぶと、すぐに床にむけて3D映像を投影しはじめた。そこに自分と同年代の少女たちの姿が浮かびあがった。
「はぁい。カオリ、おひさしぶり」
その名前を呼ばれると、たちまち懐かしさがこみあげてきた。
トレードマークの栗色のロングヘアをばっさりとカットしていたが、アスカにはそれがキムだとすぐにわかった。兄の一番お気に入りだった、仕切りたがり屋の学級委員。ジュニアハイスクールの時は、品行方正を絵に描いたような顔立ちだったが、今はその雰囲気がほとんど感じられないことに驚いた。
「カオリ……、リョウマさんのこと……聞いたわ」
まるで
最後のひとりシェルミーは、こわばった顔で一生懸命笑顔をつくって、無言のまま手を挙げて挨拶をした。この女には転校したばかりの頃、よく嫌がらせをされた。強い者にへつらい、弱い者を徹底的に見下すタイプの人間だ。
「カオリ、大丈夫?。リョウマくん……」
キムが口を開いたが、アスカは彼女たちに主導権を取られたくなかったので、彼女のことばに畳みかけるように答えた。
「仕方ないわよ。あたしたち軍人の端くれなんだから……。ただ、運が悪かっただけ」
ヴァネッサは何かを言いたげだったが、まだ口元を押さえたまま目だけで、
「あんな兄貴だったけど、あんたたちと好き放題やってたんだし、まぁ、生き急いだってとこかしらね」
「好き放題やってたって、どういうことよ?」
怒ったような声でシェルミーが訊いた。
「だって、そうじゃない。兄さん、いつもあんたたちと、取っ換え引っ換えデートしてたんじゃない。そのせいで妹のあたしは、すっかりほったらかされっぱなし……」
そう言い放って、アスカはすこし後悔した。その場がとても気まずい空気に包まれたのを感じたからだった。三人は笑いとばしてくれる、と思ってくれていただけに、予想外だった。やがて、キムがゆっくりと口を開いた。
「あのね、カオリ……」
そういうなり口ごもってしまった。言いにくい、ことなのだとわかった。
「なぁによぉ。言いたいことがあったら言ってよ」
アスカはその場の雰囲気を変えようと、軽口めいた口調で抗議した。
「リョウマに頼まれたの」
押さえきれずにシェルミーが強い口調で発した。
「妹と、あんたと仲良くしてくれって」
「みんなリョウマさんに頼まれたんです」
ヴァネッサも声を上げた。
「え?」
アスカは見えない張り手を頬にくらったような気がした。
「リョウマさん、みんなの憧れだったから……」
また口元に手をあてて、絞り出すようにヴァネッサが続けた。
「みんなデートしたい、彼女になりたいって思ってたわ」
キムは顔に手をあてて言った。うしろめたいところがある時に、思わずでてしまう彼女のあいかわらずの癖。
「あんた、学校来たばっかの時、全然みんなに馴染めなくてひとりぼっちだったでしょ」
「そうそう、生意気ばっかり言ってモン。だからわたしは気に入らなくて、ちょっと嫌がらせしたんだけど……」
シェルミーが苦言めいたことを口にしたが、それでもアスカには彼女が慎重にことばを選んで話してくれているのがわかった。
「わたしもあなたのこと苦手だった。寮の規則は守らないし、本当に手をやかされた」
キムもやんわりとカミングアウトしてきた。自分のやってきたことを思いだすと、もっと激しく憤る権利が彼女にはある。そこまで二人が話したことで、自分も告白しなければ、と思ったのか、ヴァネッサまでもが、自分は好きになれそうもなかったので、ずっと無視し続けた、と心情を吐露した。
「でも、リョウマくんは、わたしたちみんなに頼んできたの。ほらなんて言ったっけ、日本式の最大級の頼み方……」
「土下座」
キムの話しに、シェルミーが補足をいれた。
「そう、そんなんまでして頼まれたら、ねぇ」
キムはあとの二人に同意をもとめるような視線を送った。ヴァネッサもシェルミーも促されるようにかぶりをふった。
「リョウマくん、カッコよかったし、優しかったし……」とキムが言うと、ヴァネッサが「リョウマさんは、知性的で見識が深い上に、とても礼儀正しかったわ」と主張してきた。シェルミーは二人とは違う見解で「リョウマはスポーツマンでとてもたくましいのに、どこか放っておけない弱みがあって……」と各々が感じた魅力をアスカにぶつけてきた。
アスカにはわけがわからなかった。
「で、どういうことなのよ?」
「だから、あなたと仲良くして欲しい、っていうリョウマくんの願いをきくことにしたの」
アスカは突然、あたまのなかのもやもやが晴れたような気がした。だが、晴れたことで見たくも、知りたくもなかったものが見えてしまった。
ロンドンの寄宿舎になかば強制的に送られて、心ふさいだ日々が、ある時から突然嘘のように変化して、楽しい学園生活になったのは、兄のおかげだったのだ。裏工作とも言える兄の支えで、自分は充実した日々を送れたのだと今知らされた。あのハロウィーン・パーティーではしゃいだ時も、グレート・バリア・リーフでのスクール・トリップの時も、スポーツ・デーで活躍したときも、いつも自分がその中心にいれたのは、兄の力だったのだ。
アスカの目から涙がつたい落ちた。それに気づいたキムが声をかけてきた。
「カオリ、大丈夫?」
「えぇ、もちろんよ。あったり前じゃない」
「でも……」
アスカは指先で涙を拭うと、胸を張って言った。
「兄に、すてきな思い出をくれて、みんな本当にありがとう」
素直な感謝の気持ちを露にしたアスカのことばに、三人は皆とまどっているようだった。だが、すぐにアスカの元に近寄り、口々に慰めのことばをかけてきた。
アスカはいたたまれない気持ちでいっぱいになった。
バカ兄貴、バカ兄貴、バカ兄貴……。
こんな生意気な妹のために……、最高の……バカ兄貴だ。
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ブライトはその夜遅く、自分宛ての機密メールボックスに、最新データが届いているのに気づいた。網膜デバイス上で、アップデートをしめすアイコンがチカチカと点滅していたのだ。彼は空中に指をはわせると、網膜に直接投影されたデータを目の前の空間に展開した。
「969」と記されたアイコンがアップデート対象であることがわかった。それはクロックスのメンバー三人の経歴などのデータになにか変更点がくわえられたという知らせだった。
「おかしいな。リョウマのデータはすでに廃棄済だが……」
ブライトが思わず呟き、その中にアクセスすると、「RAY」と記されたアイコンにアラートマークがでていた。ブライトはそのアイコンに指をあてると、突然目の前に報告書がつきつけられ、勢いよく下にむけてスクロールをはじめた。それは訓練を受けた者か、動体視力をDNAレベルで強化された者でしか、追うのが困難なスピードだったが、ブライトはなんなくそれに追随した。が、数ページを読み進めたところで、手を前にだして制止するジェスチャーをして、その動きをとめた。
ブライトはハッとした。手が自分でも驚くほど震えていた。
「なぜだ、なぜ今ごろになって、こんな重要なデータを送ってくる」
ブライトは怒りを口にした。
「なぜ、こんな重篤な欠陥がある子供を、パイロットに任命したんだ」
怒りのあまりブライトは、横の壁に拳を打ちつけた。
「すでに、ひとりは欠陥品だったというのに……」
だが、ブライトはふいに笑いがこみあげてくるのを感じた。
そうだ、彼らは、あの国連事務総長が送りつけてきた人材ではないか……。なぜ、援軍などと勘違いをしていたのだろうか。あの男が自分にエールなど送ってくるはずなどないとではないか。
あの男は立場を利用して、「希望」という面倒を押しつけてきただけだ。
ブライトは大声をあげて笑いだした。
どうにもとまらなかった。
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