【ビビ】3



 机に並べた手紙を、クッキーの缶に戻す。ようやく残りが僅かになってきた便箋を取り出して、レジ横に置かれたボールペンを握る。

『貴方と別れた季節が、またやって来ます。』

 店内に小さく流れる、英語の歌。

『先輩、僕は』

 なにを歌っているのかはわからない。

『貴方に』

 けれど、きっと悲しい恋の歌だ。

『会いたい。』

 それだけ書いて、ボールペンを元の場所に戻すと、チリンチリンと、鈴が鳴った。これは、裏口ではなく、店の戸が開いた音だ。

「いらっしゃいませ。」

 砂上さんに電話しなきゃ。そう思って顔を上げた。

「あ、ビビ。」

 その顔を、捉えるよりも前に。

「えっと、三年だった、トシカズ、なんだけど。」

 その声が、記憶を引き出した。

「ビビが居なくなっちゃってから、俺、色々考えて。」

 相変わらずだ。

 その言葉が、とてもしっくりきた。

「今更、なんだけど、その、やっぱり俺、その、ビビとこれからも、関わっていたくて。」

 握られた手。

 微笑む顔。

「これからも、側に居て、いいですか。」

 僕が、恋した、先輩。

「……どう、して……。」

「はは、あの頃と返事が違うね。」

「なんで、先輩、が!」

 さぁっと体から熱が抜けて、握られた手を振り払う。

(だめだ。)

 震える足を、下げる。

「敏和!」

 一歩、一歩、先輩と距離を開ける。

(こないで。)

 触れられた、手だけが熱い。

「逃げるな!」

 下げた足が、カツンッ、と壁に当たる。

(もう一度、触れられたら、僕は、)

 先輩は、ゆっくりと近付いて、いつかのように、僕をすっぽりと、覆い隠した。

「お願い、もう、これ以上離れていかないで。」

「せん、ぱい。」

「お願い、だから。」

「!」

 掴まれた腕。肩に顔を埋められて、先輩の吐息が、当たる。

「ダメ、です、」

 必死に吐き出した、声が震えた。

 魔法の呪文を唱えられたみたいに、体が動かなくなる。

「これ以上、先輩に触れられたら、僕は、」

 手のひらが、先輩を、捉えて、

「貴方を、離せなくなってしまうから。」

 滲む視界。先輩と、目が合って。

「拒めなくなって、しまうから。」

 いっぱいに、貴方を写して。

「敏和……っ!」

 重ねられた唇。ダメだよ、先輩。僕たちは別れたんだから。僕は貴方を騙したんだから。先輩も、もう知っているのでしょう。僕に幻滅したのでしょう。

「んんっ、ん……。」

 僕にはね、貴方と触れ合う資格なんて、もうないんだ。だから、こんなことをしてはいけない。いけないんだよ。

「せん、ぱっ、」

 なのに腕が、先輩を掴んで、離せなくて。

「とし、かず、」

 この唇を、伝わる熱を、絡み合う舌を、混じり合う唾液を、僕の体は、ずっと待っていた。四年間、ずっと。拒めるわけが、ないでしょう。

「敏和。」

 頬を伝う涙が、舐められて。

「会いたかった……!」

 そこに含まれた僕の気持ちが移ってしまったみたいに、そう言って、抱き締められた。

「敏和。俺はね、初めて君の声を聞いた時から、ずっと君に恋していたんだ。君が、ビビだった時から、八木美々じゃないって気付きながら、ずっと。」

「え……?」

「ごめんね、俺、初めてで、わからなくて、ずっとちゃんと、言えていなかったね。」

 先輩は、目を真っ赤にして、笑う。

「あのね、俺、敏和のこと、好きなんだ。」

 大きな掌が、頬を包む。

「君が誰になって、どこに行って、なにをしていたって、君のことを、探してしまうんだ。」

 先輩の顔を、ゆっくりと見上げた。

 記憶が溶けていくように、たくさんのことを思い出した。

「だからもう、どこにも行かないで。」

 僕は、この人を、愛している、と。

「お願い。」

 あぁ。拒もうと思うことが、浅はかだったんだ、と。

「先輩、僕、」

 どうしたって僕は、この人を求めてしまうのに。

「ずっと、貴方に、会いたかった。」

 腕を回して、抱き締めた。すぐに強く抱き返されて、もう一度唇を重ねた。四年の時間を埋めるように、色んな話をするように、ただただ夢中で、唇を、肌を、重ねあった。

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