【ビビ】2

『乾師寿一様』

『貴方と付き合って、一週間以上会わないのは初めてですね。貴方から馬鹿みたいにメールが来て、返事を考えているうちに次のメールが来てしまうから、面倒なので手紙にしようと思います。「なにしてんのー」というメールが届きました。僕は今、自室で貴方への手紙を書いています。』

『いざ、手紙を書こうと思っても、なにを書いたらいいのかわからなくて、ついつい筆をサボってしまいます。そんな矢先、見ていたかのように貴方からメール。「会いたいよー」それって本当?』

『先輩。僕はきっと、この手紙を貴方に渡せないでしょう。貴方がこれを見る日は、きっとこない。「実家ってどんなところー?」うんとね、貴方の好きな人が生まれ育って、今も僕のそばに居るようなところ。』

『先輩。今日ね、姉の部屋に入ったんです。僕の本、勝手に持って行かれていて。そしたらね、机に高校の生徒手帳があって。その中に、先輩の写真が、』

『結局、貴方に手紙を渡せないまま、ロクに枚数書かないまま、夏休みが終わりました。先輩。僕は知ってしまいました。自分の罪の重さに。あの日、何も考えずに吐いた嘘の大きさに。先輩。姉は。八木美々は、貴方の、ことが、』

『先輩。今まで本当にごめんなさい。僕は貴方に、最低なことをしました。もうこれ以上貴方のそばには居られない。心のどこかで、僕はずっと、貴方はもう姉のことを諦めたのだ、と、このまま僕の罪は僕だけの中で消えるのだ、と、そんな都合よく考えていました。でも、貴方は秋華大学へ行くと言った。姉のいる、大学へ。貴方の気持ちは消えてなんかなかった。僕が一方的に、力づくで消そうとしていただけだった。僕は貴方を、どうしたって、苦しめてしまう。だから逃げます。こんな僕を、消し去ってくれる場所へ。』

『先輩。中山大から電車で四時間離れたこの町は、もう雪が積もっています。いつも通学に着ていたコートでは、とても寒くて。外に居ると、手が悴んで、ペンもまともに持てません。とても、とても、寒いです。でも、寒さを凌ぐのにはお金が必要で。グーグー成るお腹を満たすのも、眠る場所を確保するのも、何をするのも、お金が必要で。そのうち、自分がどうしてここにいるのか。ここにいるのか、というか、そもそも生きている意味はあるのか。とか。そんなことをダラダラと考えていたら、さっきね。優しそうなおじさんが、連絡先が書いた紙をくれました。不思議とね、ちっとも怖くありません。貴方に「嫌いだ」「最低だ」と言われることに比べたら、貴方と向き合うことに比べたら、知らない人に抱かれるなんて、少しも。』

『あんなに毎日お金に怯えていたのに、あっという間に、貯める余裕さえできるようになりました。たくさん、たくさんたくさん、お金を貯めて。僕は、僕を、全て変えてしまおうと思います。』

『部屋を、借りました。初めて僕を買ってくれた人が、プレゼントしてくれました。本当は、大きくて立派な部屋を用意してくれたのだけれど、どうせ持て余してしまうし、勿体ないから、一番狭くて、小さな部屋にしました。そこは、中山大での僕の部屋みたいで。あの頃と同じくなにも置いていない部屋はとても殺風景で。あの頃は、先輩が来るたびに汚れる部屋が、落書き帳を埋めていくみたいで、とても、好きでした。』

『色んな人と出会いました。色んな人の肌に触れて、色んな声が、色んな言葉を放って。真面目で物静かそうな人のほうが、乱暴だったり、マニアックだったり。厳つい見た目の人が、とても甘えん坊だったり。たくさん、たくさん、経験しました。でも、そのたびに僕は、セックスが好きじゃないと思い出すのです。どんなにやっても、やっぱりお尻は痛いし、トイレがツラいし、病気は怖いし。なのに、独りになると、とてもセックスがしたくなります。何人と出会って、体を交えてもたどり着けない。僕の体が思い出すのは、いつだって、先輩の温もりなんです。』

『先輩。隣の部屋にね、オカマが住んでいるんです。髪の毛がピンクで、いかにも、って感じの。そのオカマにね、今日初めて話しかけられました。「アンタ、可愛い顔して乱れているのね。」って。「今のまま続けていたら。アタシみたく、年取ってから後悔するわよ。オムツにお世話になりたくなかったら、早いとこ足洗いなさぁい。」って。でも、もう僕には、こうすること以外生きていく方法がわからないんです。僕は、僕を変えたくてこの町に来たのに。』

『いつかは、って覚悟していたけれど、今日ついに悪質なお客さんに捕まりました。プレイが変質的とか、そういう方は何人か居ましたが、そういうのでは、なくて。マンションを出てすぐに殴られて、無理やり犯されそうになりました。なんとなく見覚えがあったので、きっと以前に普通にお客さんとして接したことのある方なんだと思います。なんでも、僕を買ったことが会社でバレて、居づらくなって辞めたとか。それを聞いて、僕はこの町でも誰かの人生を壊してしまったということに絶望しました。彼の言うことをなんでも聞いて償おう、って。でもね、隣の部屋のオカマが気付いて、僕を助け出したんです。僕が、なにするんですか、って言ったら、アンタは償い方が間違ってるって、彼女の経営している飲み屋まで連れて行ってくれて、ホットミルクを淹れてくれました。ハチミツが入っていて、とっても甘くて、温かくて。僕は、いつの間にか泣いていました。あんなに泣いたのは、松葉が居なくなったとき以来です。でも今回は、泣いた後にとてもスッキリしました。そんな僕を見て、彼女は、砂上さんは、「もう売春なんてやめなさい。アンタみたいな子を見るのは、もうたくさんよ。」って言って、それ以外生き方がわからないって言ったら「ウチで働きなさい。」って、笑ってくれて。』

『初めて、化粧をしました。砂上さんに教えてもらいながら、色んな液体を顔につけて、目の周りをたくさんの道具で描いて、グロスはなんだか違和感でつい舐めてしまって。髪の毛は、エクステをつけました。砂上さんに理想を聞かれながら飾り付けた自分は、初めて女装した姿は、鏡の前に立った自分は、あぁ、姉さんに、そっくりで。この姿なら、貴方に会いに行けるのにって、思いました。僕が、本当に女なら。姉さんみたいに、貴方を幸せに出来る自信があったなら。貴方との関係に、未来があったなら。貴方に、抱き締めて、って、好きだよ、って、言いたかった。でも出来ない。だから僕は、逃げ出したんです。もう一度、貴方の前に立つことが出来る僕になれるまで。でも、とても簡単に、僕は生まれ変わることが出来ました。理想の姿になることが。そうして、そう思って、この時になってようやく、わかったのです。僕はもう、どうしたって、貴方と再会出来る立場にないことに。』

『女の姿で、砂上さんが経営する「さんたまりあ」で働くことになりました。とても大変だったけれど、僕を買ってくれた方とは縁を切って。初めて買ってくれた方を含めた一部のお客さんは、さんたまりあのお客さんになってくれました。未成年であることは、内緒です。砂上さんが「新しく生まれ変わったアンタに新しい名前をあげなきゃね。」と言いました。「なりたかった名前とか、ある?」と聞かれました。だから、僕は今日から、この町で、「ビビ」として生きていくことにしました。』

『さんたまりあでの毎日は、とても楽しいです。楽しくて、時間の経過がとても早くて。新しいことを覚えるたび、消えていく記憶が、どんどんと、先輩との日々に侵食していって。僕はいつか、貴方の顔も声も、思い出せなくなるのでしょう。でも、貴方のことを忘れる日は、きっとずっと、来ないのです。たとえ、自分のことすらわからなくなる日が来ても。』

『先輩。今何をしていますか。誰といますか。どんな顔で笑っていますか。その声を誰に向けて、何を話していますか。その温もりを誰に伝えていますか。先輩。決して口にしてはいけない言葉だから、ここに吐き出します。先輩。会いたい。』

『僕が忘れていくように、僕を忘れていく。先輩。貴方が高校三年生の時、少しだけ付き合った男のこと、覚えていますか?』

『貴方だけ、だったのに。』

『あぁもう、すっかり手紙を書くのをサボっていました。最早、手紙と呼んでいいのかもわかりませんが。貴方と別れて、もう何度目の夏でしょうか。僕は、ビビは毎日忙しくて、貴方のことを想うのを、たまに忘れてしまいます。貴方の顔は、こんな感じ、だったっけ。』

『松葉が、松葉と、あぁ、手が震えて、字が。』

『今日、松葉がさんたまりあに。知り合いと、たまたま、えっと、ダメだ、まだ頭が、ごちゃごちゃしていて。』

『たまに来てくれる、僕と同じ年のお客さんが、「偶然、小学生の時のクラスメートと再会したんだ。数か月だけだったけど、めちゃめちゃ美少年だったから覚えていて。今も変わらずイケメンでさ、ビックリしたんだよ。」と言って、砂上さんが「あら、是非会ってみたいわぁ。」って笑ったら、今日本当に連れてきてくれて。もしかしたら、なんて冗談みたくうっすら考えていたけれど、まさか、本当に松葉だなんて。松葉は目を丸くして、固まって、かと思うといきなり飛びついてきて、泣き出して。久しぶりに見た。相変わらず、綺麗な顔。砂上さんが気を利かせてくれて、三畳くらいの店の物置で、話をしました。松葉がずっと抱き着いて離れないから、砂上さんは恋人だと思ったって。本当、キスしても可笑しくない空気で。「ずっと探していた。」って言ってくれました。「ずっと会いたかった。」って。嬉しかった。松葉がなにを、どこまで知っているかは怖くて聞けなかったけれど、僕を、八木敏和をまだそんな風に想ってくれる人がいたことが、とても嬉しかった。少し落ち着いて、それでも僕を抱きしめたまま、「どうして居なくなったの?」と聞かれました。素直に答えました。「先輩と姉さんが再会するのが怖かった。」って。それから、嘘を吐いてしまったこと。嫌われたくなかった僕の弱さが全ての原因であること。松葉はずっと、黙って聞いていてくれました。松葉のことも聞きたかったけれど、「敏和が本当に知りたいの、俺のことやないやろ。」って笑って。久しぶりに、自分の名前を呼ばれて気付きました。どうしたって生まれ変わるなんて出来ないんだって。変わることしか、出来ないんだって。僕は、ビビになれても、ビビとして生きていくことは出来ないんだ、って。』

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