【ビビ】
【ビビ】1
なりたい自分に変身できる。
そんな魔法を、なによりも望んでいた。
扉の開く音。
小さな悲鳴のような、錆びて鈍くなったような重々しい音は、裏口の扉だ。そこから入ってくるのは、自分以外に一人だけ。
「砂上さん、グラス磨いておきました。」
「あら、ありがとう。本当に気が利くのね。」
顔を上げずにそう言うと、予想通り、砂上さんの声が返って来た。大入りの袋菓子がぎゅうぎゅうに詰まったビニール袋を四つも抱えて、しかもそれを軽々と揺らしながら、カウンターに入ってくる、ピンクの髪。見上げるくらい大きな身長に、「昔柔道をやっていたのよん」と言われて、とてもしっくりときた身体つき。惜しげもなくさらけ出された、なにをしても折れそうにない足には、シンデレラの両足が入りそうなほど大きく、暗闇で光りそうな赤色をしたハイヒールが履かれている。初めて砂上さんを見た時は、思わず「喰われる」と思ってしまった。
けれど今は、砂上さん以上に女性らしい人はいない、と断言したくなるくらい、彼女に惹かれている。この小さな店に通うたくさんの人だって、自分と同じように、砂上さんに惹かれてやって来るのだ。
大きな海に包まれているような、暖かく柔らかな毛布に包まるような、どうしようもないほどの安心感が、砂上さんにはあった。
「この前のイケメンくん、また来てくれないかしらん。」
「え?あぁ、ふふ、どうでしょう。」
ビニール袋からお菓子を出して、棚に補充する。お菓子と言っても、子供が喜ばない類のものばかりだ。
「あ、また黒飴。本当に好きですね。」
「美味しいじゃなぁい。食べていいのよん。」
小さなバスケットに、大粒の黒飴を入れる。いちごみるく、レモン、ソーダ。色んな飴が入っているバスケットの中で、黒飴だけが異彩を放って、全体的な雰囲気を禍々しくしている。
「よっし、これでオッケーね。じゃあ今日も頑張りましょう。ケンちゃん明日休みだから、今日は早く帰んなきゃ。」
「ラブラブですね、ご馳走様です。」
「んもう、何歳だと思ってるのよ。息子みたいなもんよぉ!」
「へぇ、じゃあ息子と一緒に寝るんですね。」
「あらやだ!んもう!言うようになったわねぇ!」
「そりゃあ、もう二十歳になりますから。」
「あらぁ、もうそんなになるのねぇ。」
砂上さんは酒瓶を並べながら、湿っぽい溜息を吐く。
「ここに来たときはまだ、高校生だったのにねぇ。」
懐かしそうに細められた目。少しだけ、目尻の皺が目立つようになってきた。
四年。そんなに長い時間が、確かに流れたのだ。この町で、確かに。
「……あら嫌だ!私ったら、お店にお財布忘れてきちゃったわ!」
「え、大変!」
「いつものダービー商店だから、きっと気付いてくれてると思うけど。急いで取りに行かなきゃ。やだわぁ、もうっ、開店の時間なのに!」
「店番してますよ。お給料日前の水曜日だから、開店直後に来る新規さんなんてそう居ないだろうし。」
「ありがとう、助かるわぁ。誰か来たらすぐに電話頂戴!飛んで帰って来るから。」
「はぁい。」
毛皮の上着を羽織って、裏口から出ていく砂上さんを見送る。ぴゅうっと入り込んだ冷たい風に、思わず肩が上がった。タートルネックとストールで口元まで隠して、ヒーターの一番当たるカウンターの椅子に座る。
予想通り、外灯を点けて店を開けても、変態通りを歩く人影すらない。冬の匂い。高松宮よりも、中山大よりも、この町が一番、鼻がツンとくる。
「四年。」
声に出して、改めてその長さを感じた。お客さんが来ないのを確認して、カウンターの下に隠した少し大きめなクッキーの缶を開ける。
中は、クッキーじゃなくて、たくさんの手紙。
「先輩。」
高校一年生の夏休みから、ずっと書き続けていた、届かない手紙だ。
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