【乾師寿一】Ⅱ
【乾師寿一】1
全部話すよ。全部。
事の始まりは、俺が菊花高校に入学する、前日だった。
乾師家には、人間を始め、数多くの生き物が暮らしていた。人間のなかでは最後尾の俺がこの家に来た時には、既に居場所と呼べるスペースなど空いてなくて、いつもどこかしらの隙間に身を置いては、なにかしらの生き物と争ってみたり、身を寄せ合ってみたりした。
自分のものは何ひとつなくて、クタクタに伸びきったボロボロの服を着るのが恥ずかしくて、抵抗してやろう、とカルシウムを山のように取った。乾師寿一なりの反抗期だ。結果身長は馬鹿みたいに伸びたけれど、体重が増えず、妖怪のような身なりになった。しかも、思惑は見事に外れて、いつでも七分丈を着ている人みたいになって、冬はよく風邪を引いていた。狭いスペースに、毎日毎日身を縮めて、騒がしい家の中、少しでも気を抜いたら、どこかに消えてしまうような、そんな気持ちを抱きながら、毎日をやり過ごしていた。
そんな俺が初めて手に入れた『自分だけのもの』は、庭に迷い込んできた、弱弱しい子猫だった。
今にもどこかに溶けて消えてしまいそうなその姿が自分を見ているようで、放っておけなかった。今更こんな小さな猫一匹増えたところで誰も気付かない。ボロボロのジャージに猫を隠し入れて、当時の俺の住処だった洗濯機の横のスペースを、その猫にあげた。
拾ってから三日経って、姉にそれがバレた。姉は内緒にする代わりに、と猫の名付け権を強奪し、『ビアンカ』だか『ビビアン』だか、とにかくビのつく名前を付けて、
俺は、その猫を『ビビ』と呼んだ。
今思うと、家族はビビの存在に気付いたけれど、黙っていてくれたのだろう。俺は誰に何を言われることなく、家のなかではいつもビビと一緒に居た。一人分の居場所さえなかったけれど、どんなに窮屈な態勢になろうと、ビビと場所を分け合った。ビビの全てが好きだった。匂いも、感触も、仕草も、声も、威嚇も、噛みつきも、全て。
ずっと一緒に居られるものだと思っていた。心臓さえも、共有している気でいた。
高校入学の前日。ビビは死んだ。
元々体が強くないほうだったから、十年生きれたのは充分だった。毎日一緒に居たから、ビビが長くないのは誰よりも先に気付いていた。餌を食べれなくなって、目もよく見えなくなって、歩き方もおかしくなって、いつどうなってもおかしくない状態になって。
最後の夜。俺は一番狭い部屋から生き物を全て追い出して、そこでビビと二人、ゆっくり静かに眠ろうと思った。けれどビビは、何度布団に入れても飛び出て、部屋から出ようとして。
翌朝、ビビは部屋から姿を消していた。誰かがドアを開けてやったのだろう。ヨロヨロのビビが最後の力を振り絞って行ったのは、洗濯機の隣。いつも俺と身を寄せ合っていた、俺たちの居場所だった。
冷たくなったビビを抱えて、ただひたすらに泣いた。泣きながら、「ビビが生まれ変わったら必ず見付けて、今度こそ絶対に幸せにしてあげよう。」と誓った。
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