【松葉緑】9




「遅くなってごめんね、残業が長引いて。」

「なんもやで、その代わり奢ってな。」

 高松宮で暮らし始めて、二年。俺は菊花大学に通い、美々は社会人として毎日忙しく働くようになった。

 今年に入って、俺が成人すると、毎週のように飲みに誘われ、安い居酒屋でグダグダと時間を潰す。

 美々は、変わった。金髪や派手な化粧をやめて見た目が変わったのもあるけれど、敏和が居なくなってから、物静かで大人しくなった。その姿は、まるで敏和だった。

「今日はどっちの部屋に泊まる?」

「明日昼からやし、美々の部屋でもエエで?」

「そう、じゃあ私のほうね。」

 大学で再会して、敏和のようになった美々に驚いて、呆然としている間に、いつの間にか俺たちは裸になって重なり合っていた。ぽっかり空いた同じ穴を、互いに埋めるように求めあって、いつしかそれが、当たり前になった。

 でも、互いに『恋人』という感覚ではなく、しかしセックスフレンドと呼んでしまうほど軽い関係でもなく、友情をセックスで確かめ合う『親友』だった。

 美々を恋人には出来ないけれど、結婚ならしたいな、というのが、俺の気持ちだった。きっと美々も似たようなところだろう。それでもその一歩を踏み出す気が起きないのは、四年前に空いた穴が、今も互いに埋まっていないからだ。

「そういえば、この前買ってたあの、豚肉。賞味期限切れるよ。」

「別に食ってもよかったんに。」

「前ベーコン食べたら怒ったくせに。」

「あれは、チャーハンにする予定やったから。」

「チャーハンはひき肉でしょう。」

 長い黒髪を耳にかけて、よくわからないカクテルを一気に飲み干す。

「ん、湯気にやられた。眼鏡曇った。」

「コンタクトにしたら?」

「いやや、あんな不衛生なん。」

 眼鏡を拭こう、と、ぼやける視界で鞄を探る。

「緑、それ、菊花の生徒手帳。まだ持ってるんだ。」

「え、んん、あぁ。」

 眼鏡をかけ直して、生を一気に飲み干す。

「そうや。ずっと聞こう聞こう思っていたんやけどな、ちょうどエエな。」

「ちょうどエエ?なにかあったの?」

「うん、あのな。」

 携帯の画面を、見せる。

 美々の大きな目は、目玉が落ちそうなほど、開く。

「俺の質問に、素直に答えてな。」

 間抜けに口を開けて、でも言葉は溢さず、ひたすらに何度も頷く。

「乾師寿一について、や。」

 初めて会った時の既視感。

 言葉を濁したあの時の美々。

 敏和を見てビビと言った、先輩。

「なんで美々は、」

 初めての有馬食堂。

 拾った美々の生徒手帳に挟まっていた、写真。菊花高校の、あきれたジンクス。

「乾師寿一の写真を、生徒手帳に挟んでたん?」

(もしかして、としかず?)

(うん。)

 あの日の会話。

 あの日の言葉。

 美々はカクテルを飲み干して、ほんのり赤い顔で、微笑んだ。

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