【松葉緑】8
『ちょっとミドちゃん!敏和の恋人って誰!?どんな奴!?まさかミドちゃん!?ねぇそうなの!?』
夏休み。敏和が帰省した、その日の夜。急にかかってきた美々からの電話は、携帯を耳から離すくらいの大声で始まった。
「あー……なに、トッシーが出来たって言うたん?」
『キスマーク!服脱がせたら、いっぱいついてんの!どんな肉食と付き合ってるか知らないけど、まるで男みたいなの!敏和はどんな猛獣に捕まったの!?』
「えー、あー、とりあえず落ち着きぃや。あと、年頃の弟の服脱がせんの、どうかと思うで?」
『お風呂!一緒に入りたかったの!でも嫌がるから無理やり……ってそれは別にいいのよ!ミドちゃんのみならず敏和の童貞も奪われるなんて!あ、そういえばミドちゃん、高校生になってから彼女出来てないの?』
「出来とらんねー。なんか今は、いいかなって。俺にはトッシーがおるし。」
『わっ!やっぱりミドちゃんが恋人なのね!?敏和!裏がとれたわよー!』
携帯の向こう、微かに敏和の声が聞こえる。馬鹿、とか、うるさい、とか。やっぱり家族には、少し違う声色だ。
(あぁ、高松宮に飛んでいきたいなぁ。)
本当に、キスマークの犯人が自分だったら。
ぼんやりと、そんなことを考えて、ハッとした。
(いけない。)
これ以上考えてはダメだ。なにか、他の話題を。
『もー、敏和ったらミドちゃんの話ばっかりしてるの。彼女はきっとミドちゃんにヤキモチ妬いてるわよ。暗い夜道は気を付けてね。』
「なんや、ヨッシーに刺されそうやわ。」
『彼女とミドちゃんは、知り合いなの?』
「んん、まぁ、ボチボチやな。」
先輩が『敏和の彼女』と呼ばれるのに物凄い違和感を覚えつつ、適当に濁して会話をやり過ごす。美々の興味が反れ始めたころに、何の気なく、
「せや、三年の寿一いう、長身の男知っとる?」
と聞いてみた。
それまで大声でゲラゲラ笑っていたのに、不自然にピタリ、と言葉を止めて、
『あー、うん、乾師くん、だっけ?』
と答えた。
その言葉に、そのタイミングで、俺は、気付いてしまった。
(ビビ。)
いつか、先輩が敏和に向かって言った、名前。
(美々。)
それは、もしかして。
あぁ、そうか、そういうことか。
(俺は、先輩を、見たことがある。)
いつかの既視感の答えが、ようやく現れた。
その日。
「緑、ごめんな。」
夏休み明け、二年暮らしたこの町から引っ越すことが、決まった。
「トッシー、知っとる?」
見送りに来てくれた敏和は、たくさん泣いてくれた。その姿を、こうして見つめることになることを、俺は何となく知っていた。だから、その姿にかける言葉を、ずっと考えていた。
「菊花高校にはジンクスがあるんよ。」
敏和に着いてきた先輩は、視線を忙しなく動かして、たまに横目でこちらを見る。
「生徒手帳にな、ずっと一緒に居たい人の写真を入れると、叶うんやて。」
敏和は目をまん丸にして俺を見上げた。先輩に切られたギザギザの前髪からは、隠してしまうのが勿体ないくらい綺麗な顔が覗く。
「すぐに迎えに来るから。」
ベルが鳴りだした電車に、敏和を引き入れたかった。いや、本当にそうしていたら、よかったのかもしれない。
菊花高校の生徒手帳。
引っ越してからも、ずっと大事に持っていた。
挟んでいたのは、敏和の写真。
(会いたいよ。)
こんなジンクスに頼るくらい、切実な願い。
(どこに居るんだ。)
高校を卒業して、一人暮らしを始めて、ようやく自由になったのに。
(なにがあったんだよ。)
高松宮で、ようやく、気が済むまで暮らせるのに。
(ねぇ。)
敏和が居なくなって、四年の時間が経とうとしていた。
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