【松葉緑】7


「あぁ、そうだよ。僕は正真正銘、高松宮出身の、バレー部だった八木美々の弟だ。」

 敏和に近付いて、予想外の出来事が起きた。

 敏和は、美々の弟であることを、声を荒げるほどに、嫌がっていたのだ。

(どうして。)

 あんなに美人で、明るくて、優しいのに。

(だから、ここに来たんやろう。)

 美々の弟という立場を利用する以外に、敏和がわざわざこの高校に来る理由がわからなかった。なのに敏和は、それを隠したがった。

(あぁ、そうか。)

 それで、ようやく、俺は気付いた。いや、思い出した。

(おんなじや。)

 ずっと、俺は自分で嫌がっていたのに、無意識に敏和に、それを向けていた。

(自分自身を見てくれへんのに、腹を立ててるんや。)

 だから、周りを拒絶した。

(コイツの気持ち、きっと、俺が一番わかってあげられる。)

 最早、どうして近付こうとしたのかも忘れていた。ただ、側に寄りたかった。

「ビビ……!?」

 その気持ちを話そうとした途端、中庭に、誰かが飛び込んできた。

「っ……。」

 その人物を見て、敏和の様子は明らかに変わった。知り合いだろうか。確かめるために顔を見て、俺も息を飲んだ。

(知ってる。)

 その顔を、その人を、間違いなく俺は知っていた。初めましてではなかった。のに、どこでいつ出会った誰なのか、まったく思い出せなかった。

 敏和は明らかな嫌悪感を剥き出しにして、俺とその人を残し走り去っていった。気まずい空気が漂う中庭。改めてその人物を観察する。

(デカい……ってことしか浮かばんなぁ。)

 先輩、で間違いないだろう。履き潰された内履きのラインが青色だから、三年生だ。

「えっと、先輩?」

 呼びかけて、ようやく俺の存在に気付いたように、のそりとこちらを見た。

「あの、どっかで会ったこと、あります?」

 どうやっても思い出せそうにないから、失礼を承知でそう尋ねた。

「なに、ナンパ?」

 先輩はそう言って、細い目でじっと俺を見つめる。

「キミみたいな美人さん、会ったら覚えてると思うんだけど、ごめんねー。」

 先輩は俺を知らない。つまり、俺が一方的にどこかで先輩のことを知ったのだろう。なんだろうか。中山大で、だろうか。それとも。

「キミ、敏和の知り合い?」

「え、あ、まぁ、クラスメ……いや、友達、です。」

「ふぅん、じゃあさ、一個お願い。」

 立ち上がった先輩は、思ったよりずっと身長が高く、俺さえもすっぽり影に入れてしまった。

「敏和とナカヨシになる、手助けをしてほしいんだよね。」

「は?」

「一目惚れ、したから。」

「はぁ?」

「じゃ、よろしくー。」

「え、ちょ、」

 ひらひらと去っていく、名前もなにも知らない先輩。その背を見送りながら、溜息を吐いた。

(なんや、きっもちわるい。)


 奇妙な先輩のことは、すぐにどうでもよくなった。中庭での事件から、敏和と俺の距離はどんどん縮まっていった。

 美々が敏和を大事に想う理由を尋ねられたら、正直説明できなかった。でも、いつの間にか、敏和の隣が居心地よくて、ちょうどいい生ぬるさに包まれ、離れ難くなっている自分がいた。

 敏和にはなんにもなかった。その、なんにもないところに、俺の居場所を作ってくれているような、そんな存在だった。

 だから色んなことを話せた。父にも話したことないことだって話せた。大事な話だけじゃない。放つ声が勿体ないようなくだらない話も、いつだってうんうん頷いて聞いてくれた。そんなところが、大好きだった。

「10歳くらいの時に住んでた、安田いう街は、ここと比べられんくらい栄えてたんよ。ホンマ、夜もうるさくてなぁ。」

「僕はここの雰囲気、好きだよ。」

「へぇ、あ、じゃあな、皐月。ここからやと電車で四時間くらいの距離なんやけど、ここみたいな静かな町やねん。でもな、飲み屋街があってな、俺一回父さんに連れてってもらったんやけど、飲み屋街の奥にな、『変態通り』いう通りがあってな、なにあると思う?オカマのお店や!オカマ!」

「オカマ!?」

「せや!でもな、そこにいたオカマ、頭ピンクのオカマがな、言うてたんや。ここはな、なりたい自分に変身できる、魔法の場所なんや、って。素敵やない?」

「うん、素敵だね。」

「大人になったら一緒に行こうな。」

 指切りした。敏和の幸せを、切実に願った。

 深く知れば知るほど、敏和のことがわかった。敏和のことがわかって、気付いた。

(先輩のこと、好きなんや。)

 目が、視線が、顔が、それを物語っていた。大事な友達の、恋。叶えてあげなきゃ。

(先輩、敏和に一目惚れした言うてた。)

 それなら。もう、自分のやることは決まっていた。先輩と接触し、偶然を装って会えるように、手を回した。

 初めて出来た、『友達』に、俺の頭はのぼせていたんだ。

 気付かなきゃいけないこと。思い出さなきゃいけないことが、山のようにあった。

(ごめん、敏和。)

 あったのに。

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