【乾師寿一】8


 今まで付き合ってきた人たちには、別れを切り出すより切り出されるほうが圧倒的に多かった。理由は決まって「寿一は私のこと好きじゃない」だった。俺はそのたび、あぁそうだったのか、と思って、「わかった」と頷くと、「ほら!やっぱり!」と泣かれた。でも、好きだと思っていないのに付き合いを続けさせるよりはこのほうがずっと良いのだろう、と思って、罵声も全て、黙って受け止めた。最後に「好きになってあげられなくて、ごめんね。」という本心を告げると、大抵は鬼のような顔で怒られた。わからなかった。最初から、最後まで、『好き』というものの正体が、よくわからなった。いつも同じような問題を出されるのに、正解が、間違いが、わからなかった。ただ答えに大きなバツをつけられるだけで、長く長く書き込んだ途中式のどこから外れていたのかを、教えてくれる人はいなかった。

「先輩は僕のこと好きじゃないから。もう、やめましょう。」

 敏和も、みんなと同じように、ただバツをつきつけた。だから俺も、いつものように頷いた。敏和がそう感じたのなら、俺の敏和への気持ちは、『好き』ではなかったのだろう。俺の公式は、またしてもどこかでなにかしらのミスを犯したのだろう。また一からやり直しだ。また、これで、真っ白な紙に戻るんだ。

 でも、頷いてから、今までと違って、すごく眉間が痛くなった。敏和を抱きしめたくなった。キスがしたくなった。そしてそのまま時が止まって欲しいと願った。紙が白に戻らない。どんどんと染みが増えて、無理やりに大きなバツを、間違った公式と共に塗りつぶそうとしていた。好きじゃないというなら、この気持ちの理由を教えてほしかった。明日が来るのが怖くなった。今、目の前にいる敏和に背を向けられるのが、震えて立っていられないくらいに、怖くなった。

 ねぇ、これは、どうして。

「さようなら。」

 そう言って、足早に、敏和は去っていった。

 涙が出ないから、悲しくないはずなのに、何故か毎日茶碗三杯食べていたご飯が三口くらいしか食べられなくなって、一か月で5キロ、体重が落ちた。

(恋人じゃなくたって、キスやセックスが出来ないだけで、会いたいだけ会えばいいんだ。)

 そう思ったけれど、別れた日以来、敏和を学校で見ることは、無くなった。

 松葉がいないから、居場所を聞くことも、様子を知ることも出来ずに、部屋はいつも鍵がかかっていて、チャイムを押しても無反応だった。

 受験生である俺には、それ以上敏和に時間を割くことが出来ず、結局そのまま、卒業式を迎えた。

 けれど、密やかに最後の望みを懸けていた卒業式にさえ、敏和は姿を見せなかった。

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