【乾師寿一】4


 それから、敏和が帰ってくる夏休みの終わりまでずっと、とにかくメールを送った。返事を待たずに何通も、何通も。敏和は必ず、十通毎に一言だけ返事をくれた。

 十通目には『うるさいです。』

 二十通目には『しつこいです。』

 三十通目には『ちょっと怖いです。』

 でも、なんだか堪らなくなって、何気なく三十八通目に『さみしいから浮気しようかな。』と送った直後に、『ご自由にどうぞ。』と返ってきて、四十通目の『冗談だって。本当にごめん。』には、返事がなかった。

 だから、敏和が帰ってきた日。俺は一時間前から駅でその姿を探して、バスから降りてくるのを見付けたときは一目散に駆け寄った。荷物を奪って無我夢中で抱きしめて「会いたかった。」と言うと、敏和は長い溜息を吐いて、何も言わずにただ目を閉じていた。

 小さくて、暖かくて、少しだけ汗ばんだ体が、もうどうしようもないくらい、居ても立っても居られないくらい、ただただ愛しく感じた。




「敏和のとこは学校祭なにやんの?」

 夏休みが終わってすぐ、学校祭の準備が本格的に始まりだした。

「なにかのアニメの、なにかです。」

「へー、俺のとこもね、うんちゃらって漫画の、なんかの、うんちゃら。一緒だね。」

 互いに初めてと最後だというのに、学校祭には興味がなく、準備時間になると中庭に避難していた。俺は別に、準備が嫌いなわけじゃないし、長身がそこそこ役に立つから仕事がないわけでもないのだけれど、敏和と二人きりでいる時間のほうがずっと大事で有意義で楽しかった。

「あのイケ眼鏡くんは、敏和のサボタージュについてなにも言ってこないの?」

「色々忙しいみたいで。僕がこういうの苦手なのも知っていますし。」

「へぇー、なんか意外。口うるさい姑みたいなイメージだったけどなぁ。」

「そんなことないですよ。」

 さりげなく、なにげなく、敏和と奴との間に変化がないかを確認する。認めたくないけれど、敏和は確実にあのイケ眼鏡を信頼している。正直勝てている自信は全くない。チラッと聞いたけれど、夏休み中敏和は、イケ眼鏡からのメールには全て返事をして、電話にも応じたそうだ。そこから既に完敗している。

 あの告白が本気なのか冗談なのか。どういう意図があって俺に告げたのか。とりあえず、あの日のことは互いに敏和には話していない。

「学校祭は、あのイケ眼鏡と回るの?」

「……いえ、まだなにも考えてなかったです。」

「マジで!?じゃあ俺と回る!約束ね!イケ眼鏡と約束したらダメだからね!」

「はぁ。」

 大人げなくても、格好悪くても、少しでも奴から敏和を引き離したかった。こんな気持ちになるのも、敏和が初めてだ。

(……いや。)

 違う。知ってる。この気持ち。今、この瞬間、独占できているという事実に安心する、こんな気持ち。

 そして、失ったときの、苦しくてツラい日々も。

「先輩?」

「!」

 ついつい考え込んで、不自然に黙り込んでしまった。敏和が心配そうにこちらを覗き込んでいるから、額にちゅっと、軽いキスをする。敏和は咄嗟に額を手で隠して、ぷくっと頬を膨らませた。

「学校祭のジンクスを思い出してたんだよ。」

「ジンクス?」

「学祭の最終日、校門に飾っていた造花を生徒会が学校中に隠すんだ。それを見付けて、誰かに渡すとその人とずっと一緒に居られるし、グラウンドでごみ燃やすために焚いている火に投げ入れると願いが叶うんだよ。」

「へぇ、ずいぶん凝ってますね。」

 学祭を盛り上げるために生徒会で作られた裏行事だけれど、これがなかなか盛り上がると評判だ。

「他にも色んなジンクスがあるんだよ。」

「へぇ、興味ないです。」

 敏和は紙パックのフルーツオレを飲みながら、ぶちぶちと中庭の雑草を抜く。本当に興味がないようだ。

 姉弟でこんなにも違うんだな、と心の中で笑う。そして、今もずっと鞄に入ったままの、ピンクの造花を思い出した。枯れることのない花は、水をあげなくても、日に当たらなくても、ずっと変わらずに咲き誇る。

(これ、学校祭の、ジンクス。)

 そうだ、二年前からずっと、あの花は変わらない。

(去年の花は、灰になったのに。)

 なんとういうことだ。俺は俺自身で、このジンクスを壊していた。俺は、俺は。

(ごめんなさい。)

 あの日の言葉。俺の生徒手帳。三年間ずっと差し込んだままの、ビビの写真。

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