【乾師寿一】3
宣言通り、敏和は翌日にさっさと実家へ帰って行ってしまった。まだ付き合いたての恋人と初めて迎えた長期休暇だというのに、帰ってくるのは夏休みの最終日と言われたから、やることはやったけれど、敏和はまだ俺を恋人と認識していないのでは、と思う。いやでもちゃんと告白したし、されたし、んんん。
「あなたー、いつも曖昧に濁してー、私をもてあそぶのねー。」
「先輩。」
校舎の四階から中庭を見下ろしていると、くいっと制服が引っ張られた。振り返ると、敏和の友人であるイケ眼鏡くんが、ひらひらと手を振っていた。
「夏休みに学校におるなんて意外ですわ。あ、そっか、補習お疲れ様です、やなぁ。」
「補習確定かよ、生意気だなー。」
「仲間意識持たれたくないんで言うときますけど、俺はわざわざお金払うてお勉強しに来とるんで、勘違いせんといてくださいね。」
「本当に、可愛げがないよね。」
じっくりと見れば見るほど、整った顔をしている。好きとか嫌いとか、そういう話ではなく、そうだ、芸術品を見ているような気分になる。神様は彼を作ったとき、きっと物凄く暇で、髪の毛を一本一本手作業で作ってみたり、最高級素材を集めて何か月も掛けて目玉を作ったり、パーツの配置は全天使を集めて会議を行ってみたり、『人間を作る楽しさ』に目覚めた、一番楽しい時期だったのだろう。俺なんかは多分スランプ時期で、失敗を誤魔化そうと塗り重ねていくうちにサイズオーバーになって、もういいやって投げ出したんだと思う。敏和は、予定以上に可愛くなっちゃって、咄嗟にそれを隠そうとした感じ。
「先輩?俺の顔になんかついとります?」
「見惚れてたんだよ、綺麗だなーって。」
「わぁ、見事その言葉を貰って嬉しくなかったランキング上位に踊り出ましたわ。鳥肌立っとるやん、ほらここ。」
「可愛くないなー。」
ははは、と笑う顔も綺麗だと思う。けれど、仮にも恋人の友人に何度も見惚れるのはあまり宜しくないから、辺りを見回して適当な話題を探す。
「あ、そうだ、君にはお礼をしなくちゃね。」
「お礼?」
「一か月くらい前、君が手を回して敏和を有馬食堂に連れ出してくれたおかげでね、その日無事結ばれたからね。本当に助かったんだよ。」
「あー、それな。別に先輩のためとちゃいますから。トッシーがなんやあまりにも不憫だったからさっさとハッキリさせたかっただけなんで。」
「君はさ、いちいち三言くらい多いんだよね。」
ポケットの財布を開いて中を確認する。よし、500円玉が入ってる。今日は金持ちだ。
「可愛くない後輩に渋々ジュースを奢ってあげよう。なにがいい。コーラ?お茶?」
「なしてその二択なんですか。」
「これ以外になにがあると言うんだよ。」
「んー、あ、あの元気になれる炭酸がエエです。」
「元気になれる炭酸?……は!?ちょ、あれだけ250円とかするじゃん!無理無理無理!俺そんな大富豪じゃないから!」
「けちん坊やなぁ。」
「もっと他ので。」
「他のかぁ……。」
イケ眼鏡くんは顎に手を添えて自販機を見つめる。
「あ、せや。」
「欲しいの決まった?」
「はい。」
にっこりと微笑みながらこちらを見て、何気なく見返す。
「俺な、」
笑顔のままなのに、ふ、と目の色が冷たくなって。
「敏和が欲しいです。」
そう、言った。
(としかずが、ほしいです。)
たった今放たれたその言葉を、頭のなかでもう一度繰り返してみる。けれど、よく、わからない。理解ができない。なんとか、なにか。
「……。」
「……。」
「……あー、もー、仕方ないなぁ。そんなに俺が欲しいなんて、モテる男は、」
「高松宮出身、菊花高校一年3組、出席番号27番の八木敏和が欲しいです。」
言葉を途中で遮られる。見下ろした顔は、もう笑っていない。
「……なんで、」
「あー、大事なの言い忘れとりましたわ。」
俺を、食らい付くように見上げて、睨んで。
「菊花高校出身、秋華大学生、八木美々の大事な大事な弟でしたなぁ。」
「!」
心臓が、跳ねる。
「お前、何知ってるんだ。」
「さぁ。なんでしょうなぁ。わかりませんけど、もしも知られてまずいようなことがあるんやったら、せやなぁ、せいぜい俺の口が滑らんよう、がたがた震えながら祈っててください。」
さっきまでの顔が嘘のように、また見惚れる笑顔に戻って、「次の講習あるんで行きますわ。」と足早に去っていく。
暑さのせいか、背中にじっとりと汗が湿って、それが異様に気になって、何故だか無性に、敏和に会いたくなった。
会いたくなって、一年前のように、ここから高松宮までの遠さを呪った。
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