【八木敏和】19


「古!ボロじゃん、なんでこんなとこにしたの。なんか出そう。これ壁殴ったら絶対突き抜けるって。うわ、なんもなーい。なんか置けよ。俺の部屋物でいっぱいだよ。めっちゃすげぇから!せっかくの一人暮らしなのに勿体ないなー。シャワー借りていい?汗でベトベトなんだよね。あ、冷たい麦茶ある?」

 そこまで一息で喋って、勝手に着ていた黒いTシャツを脱いだ。僕が着たら半袖じゃなくなりそうなほど、大きい。

「本当にシャワー浴びるんですか?」

「うん、あ。一緒に浴びる?」

「っていうか、なんで人の部屋来て堂々とシャワー浴びるんですか。」

「なんでって、敏和の部屋だからだよ。」

 中庭のように、壁まで追い詰められて、距離が縮まる。心臓の音が聞かれてしまいそうだ。誤解されてしまう。違う、僕は、単なる罪滅ぼしで。これは、恋とか、そういうものでは、なくて。

「こういうのやめましょうって、さっき、言いました。」

「なんで?嫌だ?」

「へ、変じゃないですか。付き合ってもいないのに、キスとか。」

「え?」

 先輩の、裸の上半身が、目の前に。僕の頭の位置はちょうど、先輩の胸辺りで。前を見ないようにしたいけれど、先輩の顔は、尚更見れない。

「付き合って、ないの?」

「……はい?」

「俺、ずっと、お前と付き合ってると思ってたんだけど。じゃないとキスなんかしないよ。こんなことだって。」

「付き合っ……!?え、い、いつからそんな!?」

 思わず大きな声が出てしまった。あまりにも予想外の言葉に、思考がショートしそうだ。

「俺、一目惚れしたって言ったじゃん?で、キスしたら拒否されなかったから、あー。両想いだって思って、それから付き合ってるつもりでいたんだけど。」

「そっ、その時から!?」

「敏和は違ったの?」

「!」

 迫る距離。もうほとんど、くっついているくらい。

 合わせられた、目線。もう、反らせない。

「じゃあなんで俺とキスしたの?」

 それは、貴方に嘘を吐いたから。貴方を騙して、傷付けたから。それを言えないから。言ってしまいそうになる僕の、言えないでいる僕のこの口を、貴方が塞ぐことで安心していたから。

「なんで逃げないの?」

 それは、僕が、嘘を吐いているから。

(本当は、ずっと、)

 僕が、僕にだって、嘘を吐くから。

(初めて声を聞いたあのときから)

 認めようとしなかったから。

(初めて姿を見たあのときから)

 僕は、貴方が、

「…、…だか、ら、……。」

「なに、聞こえない。」

 息を吸って、しっかりと目を合わせる。

「好き、だから。」

 そして、初めて、僕からキスをした。

 唇の横に、そっと、触れたか触れていないかくらいのキスが精一杯で。だって、あぁもう、これ以上は無理なんだよ。

「え、好、え、」

「もう、あとは、察して、聞かないで!」

 手のひらで隠した顔が、今まで感じたことないくらいに熱い。どんな顔になっているか、想像したくもない。お願い、見ないで。

「敏和。」

 なのに先輩は、僕の手を掴んで、無理やりに顔を覗き込む。

「ちゃんと、見せて、聞かせて。」

 目を細めて、とろけるように笑って。

「やだ。」

「じゃあ塞ぐよ。」

「っ、」

 僕のとは違って、しっかりと唇に重ねられるキス。何度しただろうか。何度もしたのに、初めてのキスだったあのときよりも、震えて、舌が上手く動かない。

「んっ、んん、」

「っ、そんなに緊張しないでよ。こっちまでなんか、恥ずかしくなってきたじゃん。」

 少しだけ顔が離れて、ぼんやりと見上げる。先輩の顔は、珍しく赤く、下唇を噛んでいる。

「じゃあしないでくださいよ。」

「やーだ。」

 笑って、ひょいっと、抱きかかえられて。

「恥ずかしくなくなるまで、するんだよ。」

 ベッドに寝かされて、先輩が、覆いかぶさって。大きな手が、肌に触れる。

(わかっているよ。)

 そっと頬に触れて、キスをして。

(そうしたら目を閉じれるから。)

 溺れる道を選んだ。息が苦しくて、身動きが取れなくなる、光の届かない道を。

 その代わり、水がいつだってこの身を包む道を。

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