ロスト、スカーレット・ブルーム・オーバ・シー/十一

「國丸君ってばどうしちゃったのぉ!?」

 リサコとは図書館の前で待ち合わせをしていた。リサコは声を掛けるまでユウリをユウリと分からなかったようだ。当然だろう。ユウリはリサコに大天使ゼプテンバ様のコスロテをしているところを見せたことはこれまでなかった。華の公園から自宅マンションに帰ってシャワーを浴びてからユウリは、洗って流せるスプレで髪をゴールドに染めて、ブルーのカラーコンタクトをして、白いワンピースを纏い、ユニオンジャック柄の細いネクタイを締め黒いミリタリィジャケットを羽織り、十センチの厚底のミリタリィブーツを履いて、ブリッジン・フォ・ニュウを聴きながら、G大までやって来たのだ。

 勝負の日なので、ユウリは憧れの人に変身したのです。

 リサコは目を丸くしてユウリの変身した姿をまじまじと上から下まで観察していた。「……ていうか、本当に國丸君なの?」

「國丸君、ですよ、」ユウリは天使みたいに微笑んだ。ゼプテンバの姿でいるときユウリは、天使みたいに微笑むことが出来るんだ。「國丸君以外に、見えますか?」

「何があったの?」リサコはユウリの肩を掴み、顔を近づけて心配そうに見つめて聞いてくる。「昨日、私がいなかったから、それで、何かあったのね? そうなのねっ?」

「別に、」ユウリは首を横に振って染めた金髪を風雅に揺らした。「別に何もありませんよ、ただ、少し気分を変えようと思って」

「変えすぎでしょ! 金髪にするなんてっ、」リサコはユウリの肩を激しく揺らす。「金髪にするなんて不良だわよっ、國丸君ってそんな娘じゃないでしょ? いい娘でしょ? 天体史を愛する清純少女でしょ?」

「だ、伊達さんってば、金髪の女の子が全て不良だとは限りませんよ」

「そ、そうだけど、そうだよね、國丸君は不良じゃないよね、でもさ、國丸君のイメージっていうか、色って、黒い髪と白い肌だったから、吃驚しちゃって、」リサコは言ってやっとユウリの肩から手を離し、そしてユウリの瞳をじっと見てまたオーバなリアクションを見せた。「って、眼もブルーじゃないのっ!?」

「似合いませんか?」ユウリは眼を大きく見開いて、偽りのブルーの瞳を見せた。「ゴールドブロンドとブルーアイズは、私に似合いませんか?」

「に、似合わないことないよ、」リサコはなぜか恥ずかしそうに頬を朱に染めて後頭部を触っている。「っていうか、似合う、そういう國丸君も悪くないって思うよ」

「ありがとうございます」

 ゼプテンバのコスロテが似合うと言われてユウリは満足だった。

 ユウリは確信しているんだ。

 普通の自分より。

 天使に変身した自分の方が素敵だってこと。

 輝いているってこと。

 可愛いってこと。

「可愛いよ、本当に可愛い、お人形さんみたい、」リサコは言った。「ぎゅーって抱き締めたいくらい可愛い」

「え?」

「ぎゅー!」リサコは両腕を広げユウリを襲った。

 炎天下の中、ユウリはリサコにぎゅーっと抱き締められた。

「きゃあ!」

 なんて。

 ユウリは可愛く悲鳴を上げてみた。

 そんな風に変身は、リサコには凄く効果があったのだけれど。

「ああ、久しぶりだね、あれ、なんか雰囲気変わった?」

 コウヘイは双心館四〇五号室の研究室に訪れたユウリを一瞥、そう言った。変身に関して、ゼプテンバのコスロテに関して、ゴールド・ブロンドとブルーアイズに関して、それだけしか言わなかった。

 およそ一ヶ月振りのコウヘイとの再会はユウリには酷くあっさりとしたものと思われた。

 もっとドラマチックなものを想像していたのに。

 現実は想像の、ほとんど反対だった。

 カウンタを喰らったように、ユウリの心と体はぐらりと後ろに揺れた。

 しかしめげては駄目。そういう少女の変化に無関心なところも素敵じゃないか。

 まだ勝負は始まったばかり。

 コウヘイは忙しそうにキーボードを叩いていてユウリの相手をする暇なんてない、という空気を出しているけれど。

「ごめんね、ちょっとこの仕事が終わるまで待っていてくれる?」

 コウヘイがそう言ってユウリをソファに座らせて待たせてからすでに一時間以上経っているけれど。

 ここでめげては駄目。

 じっと待つの。

 待つのよ。

 師匠のアマキは教えてくれた。「待てる女は強いんだ」

 煙草に火をつけたくなったけれど。

 コウヘイの前では煙草を吸わない綺麗な女でいたいからユウリは紅茶を飲んで待っていた。退屈でなかったのはこの研究室にはいくらでもユウリの知らない知識があった。ユウリは分厚い専門書を膝の上に乗せて読んでいた。

 黙々とキーボードを叩いていたコウヘイの手が止まったのはユウリが専門書の第一章を読み終わったのと同時だった。「よし」とコウヘイの口から小さく漏れ聞こえた。そしてコウヘイは大きく欠伸をしてから時計を見た。「げ、もうこんな時間じゃないか」

 ユウリも時計を見た。錦景市は午後の三時。すでにユウリはおよそ三時間、コウヘイと二人きりで同じ時を過ごしていた。交わした会話はおそらく一分もないだろうけれど。

「國丸君、ごめん、」コウヘイはすまなそうな顔をユウリに見せて謝った。「待った?」

「はい、」ユウリはパタンと専門書を閉じ、微笑を浮かべて言った。「でも気になさらないで下さい、私も本を読んでいたので退屈じゃなかったですし、それに私は待てる女なので大丈夫ですよ」

「いや、本当にごめんよ、」コウヘイは後頭部を触りながら立ち上がりユウリの対面のソファに座った。「午後は君のために空けておいたのに、いや、急に雑務が入ったものだから」

「そのお気持ちだけで嬉しいです、」それはかなり、本心だった。コウヘイが自分のことを考えてくれていることがたまらなく嬉しかったんだ。「先生が私のために時間を作ってくれるだけで、その、幸せです」

「そっか、」コウヘイは優しく微笑む。「幸せか」

 その微笑みに、ユウリはキュンとなる。

 ああ、やっぱり、この人が好きだって強く思った。

「ああ、そう言えば、」コウヘイは言う。「國丸君に見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」

「うん、ミュージアムの方にあるんだけど」

「ミュージアム?」

「うん、G大が運営する天体史に関するミュージアムなんだけれどね、そこに飾ってるんだけど、せっかくだし最初はそこを見学して見る? 色々と勉強になると思うけど」

「はい、」ユウリはミュージアム、という響きに少しわくわくしていた。昔からユウリは博物館とか資料館とか美術館とか好きだった。それらは単に難しい場所じゃなくって、キネマ、ラジオ、ロックンロールと並ぶエンターテインメントだってユウリは思ってる。「私、見学してみたいです、その、天体史ミュージアム」


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