ロスト、スカーレット・ブルーム・オーバ・シー/四
コウヘイの代わりにトリケラトプスの前に現れた人は伊達リサコという人だった。リサコは武村研究室に所属する大学院生で、コウヘイの助手のようなことをしていると戸惑うユウリに説明した。「先生に迎えに行ってくれって頼まれて、急に会議が入ったみたいで、まあ、先生の頼みだし、仕方ないから車を飛ばして私が来たわけ、まあ、とにかく、そんなに警戒しなくていいから、仲良くしよ、握手しよ」
リサコはにっと八重歯を見せて笑って右手をユウリの方に差し出した。
「あ、はい、」ユウリは二秒、彼女の手を見つめてそれを握った。「よろしくお願いします」
「うん、」リサコはユウリの手を強く握り返してぱっと放して赤紫色の舌先をペロッと見せて言った。「よろしくぅ」
ユウリの心臓は少し騒がしかった。それは初対面の人との会話に緊張しているというのもあるし、何よりリサコが可愛かったからだ。ユウリはリサコの可愛らしさに反応してしまっていたのだ。
彼女の目は子猫みたいにくりっと大きくて、化粧っけがないのに顔立ちは雅やか。陽の光を紫に反射する黒髪は肩に掛かるくらいの長さで、毛先は軽くうねっていてそれも雅やか。肌が綺麗。触ってその質感を確かめたいと思った。ホットパンツから露出した綺麗な脚も気になった。「Histeric Go! Go!!」とプリントされたダサい黄色のTシャツの胸元は手前に程良く膨らんでいて猥褻だった。襟元から覗く鎖骨にユウリは唾を呑み込む。
レズビアンじゃないはずなのに。
私はコウヘイのことが好きな普通の女の子。
まっすぐなストレート。
それなのに。
変ですよね。
ときめいている。
コウヘイに会う以前みたいに可愛い女に反応してる。
ああ、駄目。
こんなの駄目よ。
きっと間違い。
ただの余韻。
余韻がまだ完全に消えてないだけ。
余韻なんかに惑わされちゃいけない。
ユウリはぼうっとなる頭を横に振り、余韻を頭から振り払った。
「ん、どうしたの?」リサコは可愛く笑っている。
「別に、なんでもありません」ユウリはひきつった笑顔をリサコに見せる。
「可愛いね、」リサコは笑顔をそっと消して言った。「天体史好きの中学生っていうくらいだからどんな不細工ちゃんなんだろうって思ってたけど、なんだ、美人ちゃんじゃない、ちょっと気分が変わった」
「ええ、えっと、そんな、」ユウリは愛想笑いを継続中。「可愛いだなんて」
あなたの方が可愛い、という台詞をきっと、以前のユウリだったら言っていただろう。可愛い女ともっと仲良くなるために。
「ねぇ、お昼まだでしょ?」
「あ、はい」お昼はコウヘイと食べようと思っていたんだ。
「どこかでご飯食べない? 奢るよ」
「あ、はい、」コウヘイと食べられないのは残念だったがユウリは頷いた。お腹もペコペコだ。リサコも優しくていい人そうだし、拒絶する理由はないだろう。「いいですよ」
「よっしゃ、決まり、」リサコは破裂したような笑顔をする。「何か食べたいものある?」
「えっと、伊達さんが食べたいもので」
「うーん、そうねぇ、」リサコは腕を組み大げさに悩む素振りを見せ首を斜めに傾ける。「ま、とにかく地下街に降りて探そうか」
「はい」
そして二人はトリケラトプスのオブジェの前を離れ階段を降りて錦景市駅前の地下街を並んで歩きロウソンで買ったコーラを飲み、ソフトクリームをぺろぺろ舐めながら食べるところを探した。
リサコは背が高くない。底が厚いハイカットのスニーカーを履いているのに目線の高さは中学生のユウリとほとんど変わらなかった。だからユウリはコナツとデートしているみたいだ、って思った。リサコの腕はいつの間にかユウリの腕に絡んでいる。リサコはユウリの腕を強く引っ張ったりもする。「あ、やっぱり私、もんじゃ食べたいな」
錦景ターゲットビルのもんじゃのお店は一時間くらい待たされるとのことだったので、ユウリとリサコはその隣に店舗を構えるインディアンカレーに入った。カレーはおいしかったけれどやっぱり辛くてすぐに顔は汗塗れになった。それはリサコも一緒で、彼女の汗だくな顔は猥褻だった。「うひぃ、やっぱりインディアンカレーは辛いな、でも凄く好き」
カレーで空腹を満たした二人は地下街をぶらぶらと歩いた。時折リサコの腕に引っ張られるがままに店に入り、何も買わずに出てくる、というのを繰り返した。完全なデートだ。ユウリは楽しかった。リサコと一緒にいるのは楽しい。リサコもずっと楽しそうに笑っていた。
「そろそろ大学に戻ろうか」
リサコは自分の左手のGショックを見て言った。時刻は午後三時を回ったところだった。「会議終わってるかな」
リサコが車を停めている立体駐車場に二人は向かった。ユウリはなんとなく、残念だった。楽しい時間が終わってしまうのが残念だった。またリサコとこんな風に遊びたいな、と思っていた。だからリサコが「また遊ぼうよ」と言ってくれたときには嬉しくてリサコの腕をぎゅーっと抱きしめて可愛い子ぶって「うん、いいですよ」と返事をした。
リサコの愛車はダイハツのムーブカスタムだった。色はバイオレッドでリサコのイメージにピッタリだと思った。ユウリは助手席に乗り込む。後部座席を見ると研究資料のような紙の束がどっさりと積み込まれていた。それを見て彼女が天体史を専攻する大学院生なんだ、ということを思い出す。リサコは地下街にいる間、天体史に関する話は一切しなかった。同じ研究者なのに、コウヘイとはまるで違うんだな、と思った。コウヘイの話は全て天体史と絡んでいたんだもん。
「ああ、汚いから見ないで、」リサコはバックミラーの角度を調節しながら言う。「ちゃんと整理しなくちゃって思ってはいるんだけど、なかなかね」
「全部、天体史の史料なんですか?」
「うん、ほとんど論文とか専門書のコピーだけど」
「凄い、」教科書の何倍の情報量なんだろうって思った。「伊達さん、もしかして全部頭の中に入ってるんですか?」
「全部は無理、要旨くらいは覚えているけど、先生みたいな天才じゃないし、一度読んだら忘れないってわけにはいかないよね、ああ、もっと記憶力がよかったらなぁ」
「ちょっと読んで見てもいいですか?」ユウリは我慢出来ずにホチキスで閉じられた論文のコピーを一部手にした。
「どうぞ、」リサコは言ってムーブのアクセルを踏んだ。「ああ、それ、先生の論文だ、先月の天体史評論って雑誌に載ったんだけど評判よくないの、私にもちっとも分からない」
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