ブリッジン・フォ・ニュウ/十三

 最後にマリエの骨董屋の前で三人は記念撮影をした。マリエがちょうど居合わせたフォトグラファを捕まえて写真を撮らせたのだった。

「ねぇ、あなた、記念写真を撮ってくれないかしら?」

 スクリュウの写真を様々な角度から撮影していたフォトグラファはマリエの申し出を快く引き受けてくれた。フォトグラファはわざわざ背負っていた三脚を立てて、そのバズーカみたいなレンズを備えた一眼レフで本格的な記念写真を撮ってくれた。その中心はユウリだった。フォトグラファはこだわって何枚もシャッタを切った。フォトグラファはその場で撮った写真を見せてくれた。デジタル一眼だから、カメラの背中で撮ったばかりの写真を見ることが出来た。その写真の背景はスクリュウの荒れた肌だった。そしてユウリとコウヘイとマリエの三人の手前には白い蓮華が咲き乱れていてまるで死後の世界だと思った。天国だとは思わなかった。ここは死後の世界、あるいは黄泉の世界、だと強く思った。フォトグラファは親切にも、ユウリのスマートフォンに記念写真のデータをくれた。別に嬉しくなかったんだけれど、ユウリは「ありがとうございます」とフォトグラファに愛想よく笑ってお礼を言った。フォトグラファは眼鏡が似合う綺麗な人だった。

「記念写真を撮るのって、結構好きなんだよね」フォトグラファは言ってにっと笑った。

 まだスクリュウの写真を撮り続けるというフォトグラファとマリエを残し、ユウリとコウヘイは塔の遊園という場所を後にした。マリエは優雅というか、風雅に二人の背中に手を振っていた。コウヘイは森の入り口ぐらいの場所から大きく手を振り返していた。憧れのゼプテンバに似ているその人の動作は美しく、彼女に愛を思ってしまうコウヘイの気持ちは凄くよく分かった。まして彼が言うところの大事な、天体史の証人、なのだから、愛を彼女に思うのは当然だと思う。しかし不愉快だ。

 あなたの隣には、あなたを思う私が立っているんですよ?

 ユウリは不機嫌に頬を僅かに膨らませながら森の中を歩いた。その間、コウヘイはユウリの心の棘の様子に全く気付く素振りを見せず、天体史について熱く語っていた。搭の遊園のバス停に着いてもコウヘイの熱は冷めない。運悪くバスの到着まで三十分近く待たされてユウリはなんとなくコウヘイの思考の傾向というか、言いたいことが分かってきた。ユウリは頬を小さく膨らませるのも疲れたので少しずつ言い返していた。そのコウヘイの発する矛盾点は露骨だった。

「それってちょっとおかしい、だって当然に、理想と現実は違うと思います、けど」

 その指摘にコウヘイは不思議と喜んだ。「そうなんだよ、國丸君、まさにそこなんだな、しかしそれは乗り越えるべき形なんだよ、乗り越えるべき形として提示されている、その発見までには計り知れない努力と発想があるんだな、まさにそれを感じる瞬間こそ、天体史なんだよ、その先に何が待っているのか、誰も知らない世界だ、面白いよね、本当に凄く、これほど予想の付かない学術ってないんじゃないか、ああ、もちろん学問に優劣がないと知っていて言うんだけれど、とても、なんていうか、清潔だよな、天体史って」

 と、情熱をさらに乗せてブーメランは返って来た。それにユウリは辟易しながらも、彼の思考の柔軟性に感心していたのも本当だった。狂気も感じるが、その狂気を彼は冷静に把握していて、自らの思考のリズムで遊んでいるよう。この人の頭脳はどうなっているのだろうか、と思ったりもした。面白いと思った。コウヘイという男は普通じゃないんだ。ただ、博学、というだけなく、なんでしょう、ええ、とにかく。

 とっても面白いんです。

 なので。

 一緒にいたいと思うんです。

 コウヘイとユウリはケーブルカーの発着場までの二十分間の道のりを、おそらくどこかまともじゃない、天体史に関する歪で異常な議論をしながら過ごした。ユウリは分からないことは、分からないと質問した。手を挙げて「先生! 質問がありますっ!」という具合に、無邪気に、学術に疎い中学生らしく。「いきなり難しい横文字を言われても分かりませんよ、先生!」

 帰りの電車、錦景山駅から錦景市駅までの電車でコウヘイは子供みたいに眠ってしまった。コウヘイの頭はユウリの膝の上にあって、傍から見れば恋人だった。でも違う。違うんだ。他人に近い知り合い。コウヘイはユウリの膝の上に頭を乗せて、何を考えているのでしょう? 全く分からない。全く分からないのでユウリは、天体史について考えていた。天体史を勉強しなければ、コウヘイに接近することは出来ないのだ、と強く思った。そう思ったのもあるし、なんでしょう、彼の議論を短い時間で聞くうちに、それは将来に比べれば短く本当に僅かな時間だった、興味、というか、好奇心、というか、その学術の世界は見なくてはいけないものだ、という風にユウリは思ったのだ。

 思ってしまったんだ。

 三年先にはユウリは大学に目指すと思う。

 経済、工学、物理学、色々様々に学問の形はあるけれど、ユウリは天体史学を選びたいと思った。コウヘイに接近したい動機、ではあるけれど、辻褄合わせのように他人には思えるのかもしれないけれど、なぜか純真に天体史について考えている自分がいた。出会ってしまったんだ、とユウリは唇を噛み締めるんだ。空で踊っていた天使が自分のところに舞い降りたような気分だった。オレンジ色の夕日を車窓から目撃しながら、そのオレンジの濃さ、錦景が滲ませるオレンジを感じながら、何か変わるような、夕日だった。もしかしたら、探していたのかもしれないと、ユウリは思う。

 天体史を探していたんだ。

 ずっと。

 この出会いに不思議と運命を感じているんだわ。

 別に酔ってもいないし、煙草を吸っていないのにでも、とっても透明な気持ちになっている。

 もし。

 そう。

 選ぶとすれば。

 これからを。

 何かを大事なものを選ぶとすれば。

 自分にとっての宝物。

 そう。

 そうかもしれない。

 久しぶりに國丸ユウリは、ええ、私は。

 未来のことを大切に考えている。

 私は今日。

 生涯の命題をコレだと思っている。

 コレ以外に触りたくないと思っている。

 生涯の命題はコレだと思うのかしら?

 天体史以外にあるのでしょうか?

 天体史以外に私は果たして、無邪気にいられるのでしょうか?

 疑問は尽きない。

 だって。

 まだ。

 触ったばかりなので。

 今まで教科書で見ていた天体史の風景とはまるで違う、天体史がそこにある。

 それはずっと触っていたい輝きなのかもしれない。

 少なくとも忘れたくないと思う。

 だから私は言った。

 錦景市駅で目を覚まして、私の膝に頭を乗せていたことに気付く様子もない彼に。私の恋心に気付く様子もない彼に。その鈍感さは罪だと思う。終身刑だ。いや、死刑。そのために代償は、支払って貰います。私はそれに、甘えます。

「ああ、そう言えば、國丸君」錦景市駅の北改札を出て、トリケラトプスのオブジェの前に立ってコウヘイは寝ぼけ眼を擦りながら言った。「詩は出来たの?」

「はい、出来ましたよ、先生、」ユウリはとても、自分じゃないキャラクタで、とても溌剌とした、とてつもなく激しく光る少女の笑顔で言った。「凄く新しいものが出来たんです」

「へぇ、それはよかった、」コウヘイは優しい笑顔を見せながら言う。「一日が無駄にならなかったみたいで」

「聞きたいですか?」

「いいよ、詩を言うなんて。恥ずかしいだろう?」

「そうですね」ユウリは頷き、そして俯く。

 自分のブーツの爪先を見る。

 きっかけなんてなんだっていい。

 その発端さえあれば。

 世界は広がって行くんだから。

 と、ブルーレイの特典でゼプテンバ様は言っていたんだ。

 だから。

 ユウリは真っ直ぐにコウヘイの目を見つめて言った。

「先生、私に、」心を伝えるのって、とっても恥ずかしいことなんだ。「私に天体史を教えてくれませんか?」

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