ブリッジン・フォ・ニュウ/七

 ユウリとレイカが入ったのはシャングリラという名前のホテルだった。ロビィには黄金色を放つ巨大なシャンデリアが吊り下がっていて眩しい。ユウリが口を半開きにしてそれをぼうっと眺めている間にレイカはフロントで手続きをしてくれていた。ホテル代の二千円は先にレイカに渡している。手続きを終え、ルームキーを片手にレイカはユウリのところに戻って来て言う。「四〇六だって、行くよ」

「は、はい」ソファに座っていたユウリは立ち上がりレイカと並んでエレベータに向かう。レイカが自然にユウリの腕に腕を絡めてくるので、ユウリは嬉しくて溜まらなくなって顔は勝手に発火したような笑顔になる。

「なんて顔してんの?」レイカはそんなユウリの笑顔を見て言う。

「え?」

「ちょっとキモイよぉ」レイカは開いたエレベータの中に入りながら言った。

 ユウリは顔をぐっと引き締めるようにした。しかし表情をコントロールするのって嬉しいときには難しいもので無理だった。

 エレベータは重低音を響かせて上の階に向かう。

 ユウリは両手でビニル袋を持っていた。レイカがお腹が空いているというのでホテルに入る前に向かいにあるロウソンで飲み物とお菓子を購入していたのだ。そのお金はユウリが出した。見栄を張ったのだ、と言えるだろう。十五歳のレズビアンのくせにいい格好をしようと思ったのである。それは客観的にして空しくも、主観的には満足出来る一瞬だった。自分は女のためにお金を出すことに快楽を覚えるタイプの少女のようだ、とユウリは自己分析をした。

 エレベータの扉は四階に着きゆったりと開いた。その間、狭い空間に二人きりだったが何をしゃべっていいか分からなくなった。レイカと楽しい会話をしたいと強く思うのだけれど、いざ何か楽しいことをしゃべってレイカに笑顔になってもらおうと思うと緊張がどっと襲来してきて軽くパニック状態だった。言葉が全く出ず、沈黙が辛くて、四階に着き扉がゆったりと開いたときは、至極ほっとした。先にユウリがエレベータから出て分厚い赤い絨毯を踏んだ。

 レイカはユウリの横にぴったりと並び歩きながら言う。「ねぇ、緊張してる?」

 その簡単な質問にイエスと答えるか、ノウと答えるかで迷う。どっちが可愛い気があるだろう。難しい選択肢だと思った。だからユウリは「うふん」という風に曖昧に声を出し、首を斜めに捻って頷いた。

「ユウちゃんって本当に綺麗よねぇ、」レイカはじっとユウリの横顔を見つめている。「男の子にモテるでしょ?」

「モテないですよ、私結構問題児だから、」ユウリはふっと笑い言った。「それに男子にモテてもしょうがないし、やっぱり女の子にモテなくっちゃ、意味がない、から」

「ふうん、」レイカは四〇六号室の扉に鍵を差し入れ回す。四〇六号室はエレベータを出て少し歩いた先の左手にあった。「もったいないね」

「え?」

「普通の女の子だったら、普通にしていればいいんだから」

「あ、ええ、まあ、」ユウカは曖昧に頷いた。「そうかもしれませんけど」

 普通ってなんでしょう?

 普通って何なのか、よく分からないけど。

 普通なんて一番嫌いってユウリの心は思う。

 普通を否定する気は別にないんだけれど。

 普通の生活、普通の恋、普通の夜を描く平易な起承転結ロマンチックな恋愛小説の主人公に自分は絶対になれないだろうな、なる気もない、血反吐が出るな、とユウリは思いながら部屋に入った。

 パタンと扉が閉まれば、普通について考える思考は綺麗に消えた。本当にすっかりなくなって、レイカのことだけが頭の中に一杯になって破裂しそうになった。

 ああ、今からこの人とエッチするんだ。

 自分の髪型が気になった。

 乱れてはいないでしょうか?

 完璧にセットされていますか?

 傍にレイカがいるから自分の姿を鏡で見て髪型は直せない。

 自分を素敵に見せようだなんて考えているなんてことをこれからエッチする人に知られたくない。

 凄くダサい。自然体でいる方が格好いいですよね。

 だからユウリは虚勢を張って鏡を見ない。鏡を見ないでさりげなく自分の髪を触り軽く整えた。しかし前髪の加減が気になって仕方がないんだ。

「先にお風呂溜めとくね」

 ユウリが虚勢を張っていることなど露ほども知らないレイカは慣れた感じで言って浴室に入っていく。

 とりあえずユウリはベッドの端に座った。ああ、ここがラブホテルかぁ、てな具合で落ち着きなくそわそわしながら薄暗い室内を見回していた。

 窓は分厚いカーテンで隠されている。液晶テレビは大画面。壁紙は薄い桜色。天井にはロビィのものに比べれば小さいが立派なシャンデリアがあって気怠そうに黄金色を放っている。ユウリが腰掛けているベッドは家具屋さんでも見たことないくらい巨大なベッド。女子だったら六人くらいが添い寝出来るだろう。枕も巨大だ。とても長い。枕元にはオレンジ色の光をぼんやり放つスタンドとボックスティッシュと紅白色のパッケージのコンドームがあった。ユウリはコンドームを見るのは初めてだった。ピリッと破いて中身がどうなっているのか確認したい、と少しだけ思ってそれを手にし顔に近付けまじまじと観察した。

「うまい棒食べていい?」

 浴室から戻って来てレイカはユウリに聞いた。ユウリは慌てて手にしていたコンドームをスカートのポケットの中に入れて頷く。コンドームを観察する少女なんて一般的には、ビッチという人種に括られてしまうと思うので。

「え、あ、はい、どうぞ、食べて下さい」

「ありがと」

 レイカはにっと笑い、ユウリに寄り添うように座りビニル袋の中からチョコレートでコーティングされたうまい棒を取り出す。レイカはうまい棒が好きみたいでビニル袋の中には大量のうまい棒があった。ロウソンの店員さんは、少し怪訝そうな顔をしながらそれを一本一本袋に詰めていた、ような気がする。気のせいかしら。いいえ、きっと気のせいではありません。

 レイカはうまい棒の袋をピリッと破いて、黒くて細長いものを口にほうばった。その仕草にユウリはとてつもなくいやらしいものを激しく感じてレイカがうまい棒チョコレートコーティング仕様を食べるのをじっと見つめてしまった。「……ん、何?」

 レイカと目が合い慌ててユウリは目を逸らす。「え、あ、な、何でもないです」

「ユウちゃんも食べなって、」レイカはお茶で喉を潤しながら袋をごそごそやっている。そのお茶もさっきロウソンで購入したものだ。「コーンポタージュにする? それともたこ焼き味?」

「私はいいですよ、」ユウリは首を横に振る。「レイカさん、食べて下さい、私、あんまりお腹減ってないから」

 ユウリは何かを食べれる状況ではなかった。マクドナルドでクォータ・パウンダを食べお腹一杯だし、口の中は緊張でカラカラだし、胃はキュウと縮み上がっている感じ。心臓だけが元気に踊っていて騒がしい。煙草が吸いたいと思った。

「そう、」レイカはにっと笑ってコーンポタージュのうまい棒をくわえてまた猥褻な横顔をユウリに見せた。「おいしいのに」

「あの、」ユウリは缶珈琲を飲みながら煙草が吸いたくて溜まらなくなったのでレイカが煙草を吸う人だったら吸おうと思って聞いてみる。「レイカさんって、煙草吸いますか?」

「あ、うん、」レイカは怪訝な顔を見せる。「吸うけど」

「吸っていいですよ」

「煙草吸っていいの? 匂い嫌じゃない?」

「私も吸うんで、」ユウリはスカートの迷彩柄のポケットから煙草とライタを取り出して言う。「あ、吸いますか?」

 レイカはじっとユウリが差し出した煙草を見つめながら言った。「若いうちから煙草なんて吸ってちゃよくないよ」

「あ、吸い始めたのは最近で」ユウリが煙草をくわえ始めたのは春のことだからまだ半年は経っていない。つい最近、というやつだ。

「そういう問題じゃなくってさ、最近とか、昔とか、そういう問題じゃなくって、」レイカは言って、一度口を噤み、ユウリの煙草を一本摘んで口に咥え、吹き出すように笑った。「まあ、いいけど、それを言ったらユウちゃんが私と一緒にここにいることだって多分、よくないことなんだよね、凄く不良よ、あんたって」

 ユウリはライタでレイカがくわえる煙草に火を付ける。煙を吐くレイカはセクシィで、自分もそんな風に煙を吐きたいとユウリは思った。ユウリも煙草を吸った。緊張しているせいか、咳込んだ。煙草を吸い始めたのは最近なので、脳ミソはすでにジャンキィなんだけど、喉の方はまだ、汚れた煙を拒絶する。ユウリはせき込んでしまったことが恥ずかしくて立ち上がり「お風呂溜まりましたかね?」とか言いながら浴室に向かった。

 ユウリは浴室の中を見て、驚いた。

 色とりどりの電飾が天井と四方の壁に散らばりそれは蛍の明度と速度で点滅していて、浴室はまるでプラネタリウム。ユウリがプラネタリウムと思ったのはあながち間違いではなくて、目を凝らせば電飾の配置は星座を形成していた。天体史は得意ではないけれど、さそり座のところにぼんやりとだがさそりが描かれていたからそれと分かった。なんてロマンチックなのだろうとユウリは思った。感動して震えて涙がこぼれそうになる。緊張と興奮の真ん中にいるせいか、涙腺は緩い。

「凄いですよ、レイカさん」ユウリは浴室から出てレイカに向かって言う。「星座があって、光ってて」

「知ってるわよ、」レイカは煙を吐く。「このホテルの、この部屋のお風呂だけ特別なんだよぉ、光ってるの」

「素敵ですね」ユウリのテンションは光る星座のせいで高い。

「そんなに喜ぶようなことかな?」レイカはハイテンションのユウリを見て笑っている。「お風呂は溜まったの?」

「はい、えっと、」ユウリは浴室の中を覗き込み確認する。星座のせいでお湯の具合をさっきは確かめてなかった。「あ、七分くらい」

「じゃあ、入ろっか」

 レイカはユウリが見ている前で服を脱いで裸になった。

 とてもあっけなく、会って間もない少女の前でレイカという女は一糸纏わぬ姿となった。

 その不思議さを、ユウリは考えてしまった。

 彼女の細い体に漂う、甘い女の匂いを感じながら。

 夢想もしていなかった。

 不思議。

 とっても不思議。

 レイカ、という女の裸を見ることになるなんて夢にも思っていなかった過去がある。

 過去からの急旋回の不思議さに狼狽えている自分が確認出来た。

 そしてユウリはこれから彼女とエッチをするんだ。

 不思議。

 とっても不思議。

 この不思議さ加減は、凄い。

 凄くドキドキする。

 熱いな。

 骨まで燃えてしまいそう。

「あんまり見つめないで、」別に恥ずかしがる素振りも見せずに言ってユウリの傍に来る。「ほら、早く脱いで」

「う、うん」ユウリは言われすぐに服を脱いだ。裸を見せるのに抵抗はなかった。レイカがかいがいしくユウリのスカートを畳んでくれたのが嬉しい。

 そしてユウリとレイカは星座を反射して色煌めく浴槽に二人で浸かった。ちょうどいい温度だった。お湯の気持ちよさにユウリはリラックスして、レイカと自然に会話する事が出来た。おしゃべりが弾む。おしゃべりの合間にレイカはユウリにキスをした。重さを感じるキス。おしゃべりはキスで中断しない。ユウリもおしゃべりの合間にキスを返した。

 キスが気持ちよくて、終始頭はぼんやりしていた。お風呂のせいもあるかもしれないけれど。とにかくいちゃつくのって凄く楽しい。

 お風呂から上がりレイカに体を拭いてもらってユウリはベッドに潜り込んだ。レイカはユウリの左側に横になり腕枕をしてくれた。

 そして再びキス。

 レイカは優しく微笑み、ユウリの胸に軽く触れて指先で乳首をいじる。

 レイカは舐めた。

「あっ」ユウリは気持ちよさに堪えきれなくなって声が出る。とても恥ずかしい。感じている。感じさせられていることはとても恥ずかしい。でも我慢出来ない。口元を手で押さえたって声が出てしまうんだ。

 あっという間にユウリは絶頂に達した。痙攣が止まらない。体に力が入らなくなって勝手にビクビクと動いちゃう状態になるまでに五分もかかっていない。

 とにかくこれがユウリの初体験。

 エッチしちゃったんだ。

 もう処女じゃないっていうのは、正しいかしら?

「驚いた、」レイカが目を丸くして言う。「とっても敏感なんだね」

 ユウリは声が出せなくて、ただ頷く。

 迫ってきたレイカのキスに応じる。

 ユウリは目を瞑りキスの気持ちよさを全身で感じながら、そしていつの間にか深い眠りに落ちていた。

 未だかつてないほどの深い眠りに。


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