ブリッジン・フォ・ニュウ/五

 ピンク・ベル・キャブズに着いたのは午後十時のことだった。自転車以外の交通手段を持っていないので熱帯夜の中、ユウリは自転車を走らせた。ピンク・ベル・キャブズは錦景市駅前にある。ユウリのマンションから錦景市駅までは自転車でおよそ十分。市バスのロータリィ横の立体駐輪場に自転車を停めスマホを片手にサイトのアクセスマップを見ながら店舗に向かう。ユウリは駅前の事情にあまり詳しくないので目印のG銀行を見つけるのに苦労した。通りすがりのOLさんに場所を聞き、なんとかG銀行を見つけることが出来た。その隣の中古レコードショップの二階にピンク・ベル・キャブズの店舗がある。ああ、よかった、見つかった、と思ったのも束の間、お金を降ろしていないことに気付き、今度はコンビニを探すことになった。幸い近くにロウソンがあって、そこで五万円を引き出した。多めに引き出しておいたのはもしかしたらミチルが想像以上の美少女だった場合、延長をお願いすることになるかもしれないということを見込んでのことだ。

 さて、資金を調達しロウソンのトイレで自分の装いの最終確認をしたユウリは、中古レコードショップの方に戻った。若干汗を掻いていることが気になるがシャワーを浴びれば問題ないだろう。レコードショップの正面左手にある階段を上がればそこが目指していた場所だ。

 かつて昇るのにこれほど緊張した階段があっただろうか。

 緊張と興奮で心臓が破裂しそうだった。

 ちゃんとうまくやれるだろうか。

 未成年だってバレないだろうか。

 ミチルちゃんと早くいやらしいことしたい。

 とにかく一歩一歩、噛み締めるように、階段を昇った。

 昇ればやっぱり上に行くもので気付けばユウリは二階の踊り場に立っていた。

 ついに来ちゃった!

 ユウリは心中で高らかに声を上げた。

 踊り場のすぐ横、解放されたドアの向こう側に足を踏み入れる。入って左手にカウンタがあり、ここが受付のようだ。カウンタの隅には小さな鉢に窮屈そうな立派なサボテン。そこには誰も立っていなくて、どうしたらいいのかも分からないので、ユウリは取り合えずカウンタの前で誰かが現れるのを待った。カウンタにはお店のシステムと料金が書かれた表があってユウリはそれに視線をやっていた。店内のBGMはミスチルだった。ミスチルの名もなき詩だ。久しぶりに聞くけどやっぱりいい歌だ。カラオケで歌いたいと思った。コナツのことをふと、思い出す。

「はぁい、いらっしゃいませぇ、」コナツのことを思っていたらカウンタの奥から女性が元気溌剌という感じに飛び出してきてコナツのことはユウリの脳ミソの奥の方に再び仕舞われた。彼女は満点の笑顔をこちらに向かって作り、甲高い声でユウリに尋ねた。「ご予約の方ですかぁ?」

「あ、いえ、その、」ユウリは心臓が破裂してしまいそうだった。いざ、店員さんと面と向かって言葉を交わしてみると緊張が一気に来た。必死に動揺を抑えるが、声は震えていただろう。とりあえず「あなた未成年でしょ? 駄目よ、大きくなってからまた来なさいね」という風に門前払いされなかったからそれに関しては安堵はしていたんだけど。「あ、あの、よ、予約は、していないんですけど」

「そうですか、お時間はどうしましょう?」店員さんはユウリの動揺など気にも掛けない様子で、いやに甲高い声で続ける。

「えと、六十分で」ユウリは俯きながら答える。声がきちんと出ている気がしない。顔が熱くってどうしようもなくって汗が出ているのが分かった。

「お目当ての女の子はいらっしゃいますか?」彼女はユウリに聞きながらお嬢さんのパネルを並べていく。そのパネルにはモザイクはなく、きちんと顔が確認出来るものだった。「それともパネルからお選びなさいます?」

 並べられたパネルは五枚。しかしその中にミチルいなくてユウリは少し焦って顔を上げた。顔を上げよく受付に立つ店員さんを見ると、凄く綺麗な人だった。顎が細く切れ長の瞳が麗しい美人だった。Tシャツにジーンズという簡単な出で立ちなのだけれど、背が高くスタイルが抜群で女優さんと話している気分になる。歳は二十代前半くらいだろうか。

「あ、あの、えっと、み、ミチルさん、」勇気を振り絞ってミチルの名前を出した。綺麗な人に「この娘を抱きに来たんです」という風に名前を告げるのは凄く恥ずかしかった。綺麗な女性に自分のタイプを知られるのって恥ずかしいって今この瞬間に気付く。「ミチルさん、お願いしたいんですけど」

「あ、ミチルちゃんですかぁ、ミチルちゃんなら先ほどお仕事が入っちゃいましてぇ、」彼女は早口で言う。「大分お待ちいただくことになると思うんですけどぉ」

「どれくらいですか?」

「十二時頃になると思うんですよぉ、この子たちならすぐにご案内出来るんですけれどぉ」

「そうですか、」すぐにミチルのことを抱けると思っていたので少々落胆しながらも、ユウリはカウンタに並べられたパネルを見ていった。どのお嬢さんも悪くはなかった。悪くないどころか魅力的なお嬢さんたちが揃っていた。いわゆるパネルマジックがかけられているのかもしれないけれど、どのお嬢さんにもそそられるものがあった。しかしやはりミチルだ。今日はミチルのことを抱きに来たんだから。初めてはミチルがいい、とユウリは他のお嬢さんに傾きかけていた心を元の位置に修正して、やっぱり勇気を振り絞って店員さんに告げた。「あ、あの、すいません、ミチルさんのパネル見せてもらってもいいですか?」

「あ、はい、どうぞ」店員さんは準備していたように素早くミチルのパネルをカウンタの上に置いた。

「待ちます、」ミチルのパネルを見てユウリは即答する。パネルにはユウリが思い描いていたミチルがいたからだ。「あの、待ちますから、ミチルさんでお願いします」

 そしてユウリは料金を支払い、十二時まで時間を潰すべく一度店舗の外に出た。ユウリは大きく深呼吸して、ひとまずの段階を踏むことが出来た、という達成感に浸る。そしておよそ二時間後にはミチルを抱くことが出来るんだ、という喜びが沸いてきて嬉しくって仕方がなくなる。そして十に時までどこで時間を潰そうか、と思って自分が酷く汗を掻いていることに気付き、体育の授業の後みたいな状態だった、ユウリは冷房が効いているであろうマクドナルドに入った。マクドナルドは駅前の地下街に降りてすぐに見つかった。ユウリは空腹を感じたので、胃の中は吐いてしまったから空っぽだ、クォータパウンダのセットを頼んだ。ユウリはマクドナルドの喫煙エリアで珈琲を飲み煙草を吸ってスマートフォンをいじりながら時間を潰した。約束の十二時の十分前にマクドナルドを出て、五分前に再びピンク・ベル・キャブズに訪れた。

「ごめんなさいね、長いことお待ちいただきまして、」先ほど受付に立った美人が再び応対してくれた。「ミチルちゃん、ただ今お化粧直しておりますので、終わり次第すぐにご案内しますので、こちらでお待ちいただけますかぁ?」

 ユウリは女性に店の奥のカーテンに仕切られた待合い室に案内された。六畳ほどの部屋で入って右手にテレビがあり、左手には漫画や雑誌が書棚に並んでいた。中央には小さなガラステーブル。数本の吸い殻で汚れた灰皿とその脇にボックスティッシュがあった。テーブルの奥にソファがあり、ユウリは一人、そこにちょこんと座ってミチルを待った。彼女と何を話そうか、どんな風にしてもらおうか、とにかくめっちゃチュウしたい、などと考えながらぼうっとテレビに映っていたニュースを見ていた。そのニュースはどこかの国でクーデタがあったことを報じている。世界平和について二十秒ほど考えたりして、風俗店の待合室で世界平和について考えている滑稽さに気付き笑いが込み上げてきて口元を隠した。ニュースはその後に、とある女優のスキャンダルを報じている。

 それにしてもなかなかお呼びが掛からない。ここに待たされてそろそろ十五分くらいになるだろうか。まあ、こういうお店って、こういう感じに待たされるのが普通なのかな、という風に思ってユウリが煙草を吸おうとポケットから取り出したところでカーテンがさっと開き、店員さんが顔を覗かせた。「お待たせしました、それでは準備が整いましたので、どうぞいってらっしゃいませ、ミチルちゃんは階段の前でお待ちですよぉ」

 ユウリは煙草をスカートの迷彩のポケットにねじ込み、胸を躍らせ待合い室から出て、受付の前を通り階段の踊り場に出た。

 ユウリの顔は自然に笑顔になっていただろう。

 階段の前に立っていた天使、もといミチルが凄い笑顔でユウリのことを迎えてくれたからだ。

 しかし差し出されたミチルの手に触れて、恋人繋ぎという状態になって一瞬幸せで脳ミソがとろけそうになって二秒後、ユウリは彼女が放った台詞に震撼した。「あんっ、ユキちゃんってば、凄く久しぶりじゃない? もぉ、ずっと会いたかったんだからんっ、寂しかったぁ」

 どうやらミチルは、ユキコと寝たことがあるみたい。

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