旧世界

「君と私たちはもともと同じ奇形街に住む住民だったのだよ」

 水槽に覆われた水中トンネルに、ノルジャン女史の声が響き渡る。ミケネコと一つ目はノルジャン女史に連れられ、芸出水族館へとやってきていた。お面を脱いだ一つ目は、大きな眼をさらに大きくして、アクリル板の向こう側にいる胎児たちを眺めている。

「けれど、君たちの一族と私たち一族は、過去を巡る考えの違いから対立し、君たちは地下へと去っていった。過去を懐かしみ、あまつさえ回顧の念を抱くなどあってはならないことだから」

 立ち止まり、ノルジャン女史が振り返る。彼女は寂しげに翠の眼を曇らせていた。

「だから、私たちは奇形街を去っていったあなたたちに敬意を払い、あなたたちの地下街には干渉しなかった。奇形街と地下街の行き来すら認めた。でも、あなたたちの持っている才能が、それを不可能にしたの」

「絵、ですか?」

 ミケネコの言葉にノルジャン女史は静かに頷く。さきほどのミニチュアダックスフンドのおばさんにしても、『花』に対する思い入れは彼らの描いた絵からきていることは明らかだ。

「僕たちの仲間は、どこにいったの?」

「君たちは危険な存在だ。見たことも、会ったことすらない人や動物や物を、想像だけでこの世に再現できる。なぜ、君たちのような存在を神である二つ目は作ったのか意味が分からない。君たちは失敗作だ」

「失敗作」

「だから、君は生きていてはいけないんだよ」

 ノルジャン女史がゆっくりと振り返る。同時に鋭い発砲音がミケネコの猫耳を叩いた。

 ミケネコの眼の前で一つ目の体が傾ぐ。腹部から血を流しながら、一つ目は床に倒れこんだ。



「一つ目っ!!」

 ミケネコが叫ぶ。ミケネコは倒れた一つ目へと駆け寄ろうとした。だが、そんなミケネコの歩みを、足元に穿たれた弾痕がとめる。ぎょっと眼を見開いて、ミケネコはノルジャン女史を見つめた。

 小拳銃を手にした彼女は、眼を鋭く細めミケネコに唸ってみせる。

「ミケネコ。君が地下に行っていたことは知っていたよ」

 冷たい彼女の声に、ミケネコは全身の毛を逆立てていた。そのせいでノルジャン女史はミケネコを撃ったのだろうか。

 自分が、過去を絵にする彼女と交流したから。

「でも、彼女は君の命の恩人だし、地下街からこの奇形街に来ることもなかった。だから、見逃していた。でも、ここに来てしまったら話は別だ。奇形街を汚染することは許さない。

 ノルジャン女史の指が撃鉄にかけられる。ミケネコは尻尾をブラシのように逆立て、犬歯を彼女に見せつけていた。そんなミケネコにノルジャン女史は発砲する。

 瞬間、ミケネコは自分に何が起こったのか理解できなかった。

 自分の体がひとりでに四本足で床をけって、素早くアクリルの水槽へと足をつけたのだ。そのまま水槽の側面を駆け、ミケネコは倒れる一つ目のもとへと降り立っていた。

「一つ目っ!」

 叫ぶと、一つ目がかすかに体を動かす。ほっと安堵したミケネコの耳朶を鋭い銃声が貫く。自分の左耳に激痛が走る。ミケネコは痛みに苦悶の表情をうかべながらも、一つ目を横抱きにし銃を構えるノルジャン女史へと突進していった。

「正気かっ!?」

 ノルジャン女史が小拳銃を構える。彼女が撃鉄に指をかける。それと同時にミケネコは床を蹴り彼女を飛び越えていた。

「ミケネコっ!」

 ノルジャン女史の叫び声が聞こえる。その声を気にすることなく、ミケネコは水影のゆらめく廊下を駆け抜けていった。


 


 

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