図書館
奇形街は灰色と錆色の街だ。
灰色の壁と通路を這うように、錆た鉄パイプや配管が天井や通路を走り、襤褸布を天井にした露店が建ち並ぶ。売られているのは、奇形街でときおり見つかる前世紀の遺物だったり、奇形街の様子を描いた絵だったり、糞不味い保存食だったりと様々だ。
そこを二足歩行する小動物たちがふわふわの毛をゆらしながら行き来する。イヌ科ではミニチュアダックスフンド族に、プードル族が多く、ネコ科では、ミックスのイエネコ族が大半を占める。ノルジャン女史のような純潔の血統は少なく、それらは奇形街のエリートとして治安維持隊を率いることが殆どだ。
誰が決めたという訳ではなく、奇形街が出来たときからそれらは規律として定められている。だから、芸術館から生まれてきたミケネコたちはその規律を教え込まれて育つし、その規律に従うことを当たり前だと思って育つ。
イエネコたちに支配されるイヌ科の連中は、それが気に食わないのかしょっちゅう治安を乱すが。
そんな彼らの狼藉によって、ミケネコはバズーカ砲で開けられた穴に落ちて一つ目に会った。
その穴は奇形街のすみにちょんと開いて、よく目を凝らして探さないと分からない裏路地にあった。
ミケネコが落ちた穴は、段ボールで塞がれている。
周囲にはカラーコーンがいくつか設置されて『危険』と書かれたテープでそのコーン同士が繋がっていた。
そのテープをちょんっと跳び越えて、ミケネコは穴を塞いでいる段ボールの前へと降り立つ。段ボールを前足でどけて、ミケネコはその穴にジャンプして落ちていった。
ひゅーんとミケネコは穴を落ちていく。まっすぐに伸びた穴の側面は、ひしゃげた配管や電線や、配線がごちゃごちゃとあって、ミケネコたちの奇形街を辛うじて生かしているインフラの残骸を拝むことができる。
穴を一気に落ちると、そこには別世界が広がっている。
暗い照明に照らされる色彩の洪水たち。柔らかな蜜柑色に染められた自然の風景たちは、まるでそこにあるかのように地下にやってきたミケネコを迎えてくれる。
一つ目と一緒に見た人間の親子の絵にちょんとお辞儀をして、ミケネコは地下の通路へと華麗に降りたってみせた。
「こんなところに来るなって、何度言ったら分かるんだよ」
聞きたかった声がミケネコの耳朶に木霊する。
「一つ目っ!」
ぐるぐると喉を鳴らして、ミケネコは眼の前にいる一つ目へと駆けていた。一つ目は新緑の眼をぎょっと見開いて、突進してくるミケネコを見つめている。
その一つ目の胸にミケネコは跳び込んでいた。頭をぐりぐりして一つ目の胸に顔を擦りつけると、一つ目は困った様子でミケネコを抱きしめたくれた。
とくとくと、静かなリズムで語られる彼女の心音が心地よい。この音を聴きたくて、ミケネコはしょっちゅうここにやってくるのだ。
「野良猫に懐かれてもねぇ……」
ぽんぽんとミケネコの頭を叩きながら、一つ目は苦笑してみせる。
「だって、一つ目の心臓の音は気持ちいんだ……」
一つ目は『お母さん』のように温かい。そんな思いを抱いたのは、いつ頃からだろうか。そんなミケネコをぎゅっと一つ目は抱き寄せて、声をかけてきた。
「ねぇ、今日もヤッていくかい?」
一つ目の言葉にミケネコは眼を見開く。ぶわりと体中の毛を膨らませて、興奮するミケネコは一つ目の顔を見つめた。新緑の眼を嫌らしく歪め、一つ目は嗤っている。そんな彼女を見つめながら、ミケネコもにゅっと舌を突き出していた。
灰色の地下鉄を二つの影が駆けていく。一つはざんばらがみを翻した一つ目の人間。もう一つは二足歩行する猫の影だ。手に持ったペンキを壁にぶちまけ、持っている筆で滅茶苦茶に壁に散らばるペンキを塗りたくっていく。
すると不思議、二人が筆を走らせる灰色の壁は色とりどりの色彩で覆われて、そこに鮮やかな絵が現われるのだ。
それは絶滅した自然の花々や、ミケネコをバズーカで吹っ飛ばしたミニチュアダックスフンド族の若者たちや、ノルジャン女史の優しい笑顔だったりした。
特に一つ目の描いた『二つ目の人間』は人目を引く。いつも彼女は、赤子を抱く優しい『二つ目の母親』を壁に描くのだ。
「一つ目、この人は誰のお母さんなの?」
熱心に壁に筆を走らせる一つ目に、ミケネコは話しかける。女性を描いていた一つ目はぴたりと手を止めて、ミケネコへと振り返った。
「僕たちの、この奇形街に生きる存在全てのお母さんだよ」
「僕たちのお母さん?」
「そう、この人はね、僕たちを造った僕たち奇形街のお母さんなんだよ。僕は、図書館でこの人にあったんだ」
そこは駅中に作られた小さな図書館だったのだろう。だったのだろうというのは、空の本棚ががらんどうの広い空間にどこまでも続いているからだ。たぶん、本だと思われるそれらはボロボロに劣化して形すら失い、床に散乱する黄ばんだ用紙と化している。
そんな図書館の中を、ミケネコの前足を引っ張る一つ目が駆けていく。二人が向かっているのは、図書館のカウンターだった。図書司書が座っていたと思われる朽ちた椅子の下へと、一つ目はミケネコを誘っていく。
椅子の下には小さな金庫が置いてあった。一つ目がバールでこじ開けたその金庫の中には、合成革の張られた青い手帳が入ってる。その手帳を一つ目は得意げにぺらぺらと捲ってみせたのだ。
そこには『お母さん』がいた。
赤ん坊を抱いた彼女の写真が何枚も何枚も、その手帳には貼りつけられていた。そして彼女の腕には、異形の赤ん坊たちが抱きしめられていたのだ。
それは人間の赤ん坊ほどの大きさをした猫だったり。ミニチュアダックスだったりした。その中に、一つ目によく似た赤ん坊の姿もあった。
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