芸術水族館

 全ての生き物は、はじめ魚であったという。奇形街で生まれる住人たちは、芸術館と呼ばれる施設で生み出される。

 ミケネコはその芸術館を訪れ、奇妙な魚たちが泳ぐ水槽を眺めていた。ミケネコのいる通路は水槽の中に作られていて、透明なアクリルの向こう側には桜色の肉を赤い血管で覆った、小さな魚たちが泳ぎ回っている。それらは下にいくほど小さく、上にいくほど猫やら犬やら、おおよそ奇形街を歩き回っている住人と近い形になっていくのだ。

 そうしてぱちくりと眼の開いたものは、奇妙な銀色のアームに掴まれて、水槽の外へと連れていかれる。彼らは自分たちの同族のコロニーへと引き渡され、そこで育てられるのだ。

 だからミケネコは、母を知らない。

「おかあさん……」

 そっと呟いて、一つ目のことを思い出す。あのあと、一つ目は自分を地下鉄の駅へと誘ってくれた。そこには地下を走っていたという列車があらかた止まっていた。みんな窓が割れて、錆に塗れていたが、その中で一つだけ上がオレンジで下が深緑の、まるでカボチャのような車両があったのだ。それだけは窓も割れておらず、車両の中は明るい光で満たされていて、今にもレールの上を走っていけそうだった。

「カボチャ列車って言うんだ。遠い昔に、この地下鉄を走り抜けて、ピカドンで吹っ飛ばされた地上をぎゅーんって走ってたんだよ!!」

 両手をがばっと開けて、一つ目は緑の眼をきらきらと輝かせる。ミケネコはまん丸の眼をさらにまんまるにして、そのカボチャ列車を見つめた。

 こんな鉄の塊が走っていただなんて、想像すらできない。

「で、これに乗って君は芸術街に帰るんだよ!!」

「にゃ!?」

 またまたがばーと手を広げて、一つ目は弾んだ声をあげてみせる。ミケネコはぎょっと声をあげて、一つ目を見つめた。

「遠い昔は、この地下鉄と芸術街はここにある錆びた列車で行き来ができたんだ。それも今はなくなっちゃったけどね。私のじぃさんの代までは、みんなすごく行ったり来たりしてたんだよ!」

 一つ目の発言に、ミケネコはまたカボチャ列車へと顔をむけていた。オレンジと緑に彩られた鉄の箱は、おいでよと言わんばかりに正面につけた丸いライトをチカチカと点灯させている。

 そのライトが暗がりで光る自分の眼玉みたいだとミケネコは思って、ぱちくりぱちくりと何度も目を瞬かせていた。

「さぁ、これに乗って奇形街にお帰り。みんなきっと心配してるよ」

 ぽんっと一つ目が背中を叩いてくれる。なんだか寂しくなって、ミケネコはしょんぼりと猫耳をたらしていた。

「あれ、どうしたんだい?」

「また、来てもいいかな?」

「うーん……」

 ミケネコの言葉に、一つ目は困った様子で眼を歪める。なるほど、一つ目も困るはずだ。奇形街では、前世紀を懐かしむことが罪とされているのだ。一つ目が住む地下街はその罪の証でいっぱいだ。

「いいよ! でも、こっそり来なよ……」

 それでも一つ目は、ぱっちりと眼に笑みを浮かべてみせてくれた。ミケネコはじぃんと心があったかくなって、一つ目をぎゅっと抱きしめる。おうっと一つ目は驚いて、それでもミケネコを抱きしめ返してくれた。

「またおいで。待ってるよ」

 新緑の一つ目が優しい眼差しを自分に投げかけてくれる。ミケネコはなんだか嬉しくなって、一つ目を固く抱きしめていた。

「そんなに自分の生まれた場所が気になるかな?」

 優しい声が自分にかけられ、ミケネコは回想をとめていた。振り向くと、ミケネコ柄の長い毛を持つイエネコ族が自分の眼の前にいる。治安維持隊治安隊第十二部隊隊長ノルジャン女史だ。

 雌猫のイエネコ族でありながら彼女は異例の出世を遂げ、若くして治安維持隊の隊長を任されている。その働きは機敏の一言で、彼女の手にかかればたちどころにどんな争い事もその鍵爪のもとに鎮圧してしまうのだ。

「隊長っ! そのこのあいだはご迷惑をおかけしました!」

びしっと敬礼をして、ミケネコは上司に向き直る。ノルジャン女史ほ困ったように髭をもごもごさせて、言葉を返してきた。

「君が無事でなによりだったよ。その、君がどうして無事なのか疑問に思うものもいるけれど」

「それは言えないのです。恩に報いるのもまた、奇形街の規律の一つ。それを乱すことはできません」

眼を曇らせるノルジャン女史にミケネコは毅然と告げた。地下で見た一つ目の絵は、奇形街にとって脅威そのものだ。

だが、同時に奇形街には、恩に報いるという規約もある。その規約にそって、ミケネコは自分が助けられたことを語りはするものの、その詳細を伝えることはなかった。

もし、地下で見たことを皆に語れば、一つ目の存在が危ない。一つ目のいた地下鉄は奇形街には属していないが、奇形街の存在を脅かすものとして、排斥しようとするやつらもいるだろう。

「何も語るなと、恩人に言われたの?」

 ノルジャン女史の言葉に、ミケネコは違うと頭を振る。じゃあどうしてと問う彼女にミケネコは言った。

「あそこには、お母さんがいるんです」

「お母さん? 文献に出てくる前世紀に生き物を育んでいた雌たちがどうかしたの?」

「これ以上は、言えません」

 鈍色に光る瞳をそっと伏せて、ミケネコは前足の肉球を水槽へと押しつける。そっと水槽を見つめると、魚の形をした胎児たちと眼が合う。真っ黒な眼をした頭の大きいそれは、ちょこんと小さな猫耳を持っていた。

 自分たちも、もしピカドンが降らなければお母さんの体の中で育っていたのだろうか。

 眼を閉じて、ミケネコは猫耳を澄ました。

 とくとくとくとく。

 早い自分の心音が聴こえてくる。

 とくとくとくとく。

 まるで、生きていることを急いでいるようだ。

 ゆっくり動いていた一つ目の心音が何だか恋しくなって、ミケネコはにぃっと甘えた声を発していた。






 

 



 

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