地下鉄はチカテツ

 ミケネコの棲む奇形街の由来はなんとも奇妙でありふれている。ピカドンがこのニッポン国に落ちる前、ここは動物たちの研究施設だった。前世紀の終わり、どこからともなく降ってきたピカドンはニッポン国を吹き飛ばし、地上を焦土に変えてしまったのだ。

 ピカドンから発せられた灰は地上に冬の時代をもたらし、大気を汚染した。その影響によって前世紀の文明は滅び去り、ミケネコが迷い込んだ地下に描かれている緑豊かな自然の光景は消滅したのだ。

 ミケネコたちは、そのピカドンの影響から生き残った生物たちの末裔とされている。

 治安維持部隊はそんな奇形街に生きる者たちを守るために結成された舞台だ。治安維持部隊は研究施設を管理していた研究者たちの生き残りによって創設された。

 前世紀のことを忘れ、再び地上が回復するまでの長い冬の時代を生き残るための組織。それが治安維持部隊だ。

 その治安維持部隊の禁忌事項の中に、『前世紀を懐かしむことなかれ』というものがある。前世紀に囚われ、過去の郷愁の年から自殺を図る個体が多かったことが原因らしい。

 その禁止事項は、前世紀から遠く離れた今の時代にも生き続けている。

 それなのに――

「よくもまぁ、こんなに描いたもんだね……」

「いやぁ、昔の景色とやらは本当に素敵すぎて、素敵すぎて、描くのが追い付かないぐらいだよ。この富士山なんて、あと一里もいったところに夕焼けに染まったのと、あと二里もいったところに夜闇にそまったやつもあるんだぁ」

「そんな奥まで続いてるのかっ!」

 ミケネコはびんっと尻尾を立ち上げて、延々と続く地下通路を見つめた。この地下通路何やら奇妙なもので、錆びついた線路がこれまた延々とひかれているのだ。その線路の上を、ミケネコと一つ目は会話しながら歩き続ける。

 線路が引かれた通路の両側には、延々と一つ目が描いたという前世紀の風景画が広がっていた。

 なにやら一つ目は、前世紀の画家でもホクサイやモネといった人々が好きなようで、その絵柄を真似して描いた場所もあるという。

「ここは地下鉄だからねぇ、延々この地下鉄を歩いていくと、地上にも出られるという寸法さ。ピカドン恐いから出ないけど!!」

 ぱぁんと両手をあげて、一つ目は嬉しそうに緑色のめをきゅるきゅると動かしてみせる。一つ目曰く、この地下鉄という場所は、旧帝都トウキョウの地下に広がる鉄道網の中核であり、トウキョウ駅と呼ばれる駅を中心に、日本中に列車と呼ばれる乗り物が走る通路が張り巡らされていたという。

 そんな広大な交通網が奇形街の下に広がっていることも驚きであるが、なにより驚くのはこの一つ目が描いたという絵の量だ。

 歩けど、歩けど一つ目の彼(もしくは彼女かもしれない)の描いた絵は尽きることがない。それは、富士山だけでなく、ミケネコと同じイエネコ族であったり、チワワ族で会ったり、ミニチュアダックスフンド族であったりもした。

そして、中でも興味深いのが『二つ目』の人間たちだ。

絶滅した二つ目の人間は、前世紀に文明を作り上げた。二つ目と呼ばれるこれらの人々は、ミケネコたち灰色の時代に生きる生物たちを作り出した。

ピカドンに汚染された世界でも生き残れるようミケネコたちの先祖は、二つ目を神と崇める。

二つ目たちが生きる前世紀の時代は、触れてはならぬ神々の時代だ。どからこそ治安維持部隊は前時代のことを調べることはおろか、懐かしむことすら禁止している。

それは神々の生きた聖なる時代であり、触れてはいけない禁忌の領域なのだ。

その二つ目の絵の前で、一つ目は立ち止まる。

それは、ミケネコと同じ二つの目を待つ人間たちの絵だった。

イエネコ族と違い、瞳の外側に白い部分を持つ奇妙な目を、二つ目の人間たちは持っている。

ブラウンの瞳を白い部分に覆われた眼を細め、壁に描かれた人間の雌は笑っていた。その腕には、3頭身程の大きな頭を持つ、赤ん坊が抱かれている。

「お母さん……。私たちを造った人間のお母さん」

一つ目は緑の目をキラキラと輝かせながら、そっと人間たちの絵に触る。彼女は片頬をそっと絵に押し付けて、いとおしむように一つ目を瞑る。

「お母さん?」

その言葉は、ミケネコにはとんと馴染みのないものだ。ミケネコたち奇形街の住人は芸術館と呼ばれる施設で造られる。そこには巨大な水槽があって、人工羊水の張られたその中で、奇形街の住人は勝手に生まれて、同じ種族のものたちに育てられるのだ。

ただ、遠い昔ピカドンが落ちる前は、全ての生き物は母と呼ばれる雌から生まれ、育てられたという。

「お母さんて、どんな感じなんだろう?」 

 そっと前足の肉球を親子の絵に押しつけながら、ミケネコは呟いていた。絵に尋ねてみても、壁の中の幸福そうな女性は、自分の腕に抱いた我が子に微笑みを送るばかりだ。

 そんなミケネコの背中に、あたたかな温もりが広がる。驚いて、顔をあげてみると、大きな一つ目にまん丸の眼玉をした自分の姿が映り込んでいた。

 一つ目が、自分をそっと抱きしめてくれている。一つ目の両手はミケネコの脇を潜り抜けて胸のあたりでしっかりと握られていた。

 もふもふのミケネコの感触を楽しむかのように、一つ目はぐりぐりとミケネコの頭部に頭をすりつけてくる。

「な、なんだよっ?」

「いや、お母さんの真似」

「お母さんの真似?」

 いやはや、この一つ目の異形は何を言っているのだろうか? 意味がわからなくて、ミケネコは頭を傾げていた。そんなミケネコの顔を一つ目は覗き込んでくる。

「お母さんは、きっとぽかぽかあったかいんだ!」

 一つ目はそういって大きな眼を瞑ってみせる。ミケネコは一つ目のように眼を瞑ってみせた。

 とくん。とくん。

 一つ目の鼓動があたたかさを通じて伝わってくる。じっと耳を澄ましていると、自分の心音と、一つ目の心音が交互に聞こえてきた。

 とくん。とくん。

 とくとくとくとくとく。

 とくんとゆっくりな一つ目の心音と違って、ミケネコの心音はとくとくと忙しない。まるで生きることを慌てているようだ。

「そんなつもりはないんだけど……」

 あわてんぼうな自分の心臓を聴きながら、ミケネコはそうぼやいていた。




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