第3話 生命力に関して思索と、現実逃避
生命力とは、なんでしょう。
ここ最近の命題です。この単語から連想する多くのものは、表面的に見れば白日の下に晒された、美しくもたくましい植物のような、そんなぼんやりとした何かです。それは讃えられて然るべきものでもありましょう。
ですが、ここは楽園ではありません。我々は、楽園からの追放者です。まあ、私もすっかりそんなことなど、今の今まで忘れていたのですが。
清浄な楽園から追放された我々の、『生命力』とはいったいなんでしょう。
リビドー、と今の私は答えます。それは非常に広義にとらえた性的エネルギーのようなもの(あくまで個人的解釈です)で、万物の始祖たる欲望の源泉であり、それはつまり、失楽園に生きる我々に与えられた穢れと活動エネルギーに他ならないように思えてならないのです。
我々は理性を貴びます。叡智を讃え、合理的なものを是とします。人は楽園に戻りたがるのですから、さもありなん、というものでしょう。
私は理性を貴びます。叡智を讃えます。いえ、『そのように見えます』
さて、焼け爛れた実情を、照りつける高貴な白日の下に晒しましょう。
私の生命の源泉は間違いなく制御しようのない欲動に他なりません。それがなければ、理性は存在しえないでしょうし、存在する価値もないでしょう。
私がこの場所で生きるには、理性が必要です。それは、『必要』なのです。だから私はそれを貴び…いえ、『貴ぶべきもの』であると錯覚し続けています。そうでなければ、あまりにも我々は、私は脆く、瞬く間にリビドーに呑まれていくことでしょう。
こうしてちょっとした物事を書きつけているのは、私の理性による現実逃避です。芥川も確か似たことをしていたように思います。彼はあるリビドーの結果を、文学に置き換えて、それによって制御したと綴っています。
私も今、それに倣っているわけです。それは実に浅はかで、汚らわしいことこの上ないものです。
同時に、私は今、己のリビドーに貴ぶべき理性が凌辱されている状況に、とてつもない『生命力』を感じています。愉悦を感じて仕方がありません。私が屈折して、汚れている人間だからなのかもしれませんし、あるいはそれは我々が目を背けたがるただの『誰もが知っている秘め事』なのかもしれません。
ああ、人とはなんと忌むべき生き物でしょう。
これ以上書き続けるのは、無用というものです。
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