第2話 或る現実

 以前、気まぐれで書いた私小説じみたものを、そのままエッセイのような、思索ノートのようなものとして再利用することにした。ここに記すのは、作者の戯言であり、脳内であり、日常である。


 さて、久しぶりにこうして今私はPCの前に向かっている。理由は特にない。しいて言えば、CDをインポートする用事のついでにPCを起動する必要があったからだ。

 退屈に毎日を過ごす中で、私の執筆に対する熱は急速に冷めていった。それがここ数カ月の事実である。以前、私は、私の小説は心の底に湧き出たものの吐き出し口として使っていると記したことがある。つまり、現状をポジティブに考えれば、吐き出す「湧き出す負」が減ったとも言える。それが、私の望む人間としての在り方に、近づいているかと問われれば、私は素直に首を縦に振ることはできないが。

 今までは、私自身の考え方や感じた物事を、何かしら歪曲して、物語として再構築し、あくまで「小説」としてこの場に書き残すことを私のスタイルとしてきた。それは、特に何かこだわりがあったわけでもなく、そうしたいからしてきただけのことだ。エッセイのように、歪曲を挟まず、なるべく私を私のまま、書いてみようと考えたのは、ここ数週間のことだ。はっきりと言えば、ある方のエッセイや作品を読んで、多大に影響を受けた。

 まあ、もう一つ理由もある。ありていに言ってしまえば、私の「小説」に対する創作は、今になって行き詰っている。以前のように、夜中に突然書きかけの続きをひらめくことも少なくなれば、PCと向き合う時間自体も激減した。これも何がしかの私の心の中の変化に伴うものだろうとは思うが、その正体はわからない。それに、それを探ったところで、大した意味もないだろう。

 

 ただし、というあとがきになってしまうが。あくまで「小説」の創作を辞めるつもりはない。私は気分屋で、自分勝手で、そして計画性もなく、不安定な人間だ。創作したくなれば創作するし、そうでなければそうはしないだろう。だが、あくまで理性の上では書きかけの「小説」はしっかりと完結させるつもりでいる。


 今回の中では、語りたいものは語りつくした。私の日常や思索、その他種々雑多な物事を書き連ねるのは、次回からにゆだねようと思う。

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