ここは人生に迷った人が降りる駅です

伊達ゆうま

始まりは、朝の汽笛から

午前4時半


今日も始発の列車がプラットホームに入ってきた。


まだ朝の太陽も顔を見せていないというのに、プラットホームにはチラホラと眠そうな顔の人たちが、それでも規則正しく並んでいた。



「4時46分発、『誰より早く職場に入る』列車が出発しまーす」

駅員が眠気の抜けきれない声で、アナウンスをする。

列車に乗った乗客たちは、席に座るとすぐに眠り始めた。



この駅には、様々な列車が入ってくる。


「人生のんびり生きる」列車

「何歳になってもバリバリ働く」列車

「DVを振るう夫とこのまま生きる」列車

「過労死しそうだけど、辞めるわけにはいかない」列車

「親と縁を切ったまま、葬儀にも顔を出さない」列車

「夢があったけど、周りに否定されてイヤイヤ仕事をする」列車


これはほんの一例に過ぎない。

どの列車も終着地は人それぞれで、どこへ向かうのかは駅員にも分からない。



駅員の仕事は降りてきた乗客が、どの列車に乗ればいいか困っている時に助けることだ。


駅員が「38.5度の熱があるけど、仕事を休めない」列車の出発を見送っていると、後ろから声をかけられた。



「あの〜すいません」

駅員が振り返ると、そこにはボロボロの50代くらいの男性が立っていた。



ボロボロというのは、見かけではない。

むしろ、仕立てのいいスーツをビシッと着ていて、それがとても様になっている。

ボロボロなのは、彼の心の方だ。



駅員はすぐに男性の心がボロボロの理由を悟った。


つい先ほど、駅に「サービス残業をすることは、労働者の当然の義務」列車が到着していた。

何人かはパラパラと降りていたが、大半の人は苦しそうな顔をしながらも、そのまま列車に乗り続けていた。



「おはようございます。

乗り換えの列車をお探しですか?」

駅員は男性に微笑んだ。

男性は困ったようにうなずいた。


「ずっと先ほどの列車に乗り続けていたのですが、先日倒れてしまい、列車に乗ることが出来なくなって、会社や医者から降りるように言われました」


男性は列車から降りた自分を恥じるように言った。


駅員は男性が疲れているようだったので、その場を後輩に任せて休憩室に男性を案内した。

休憩室には自動販売機が置いてあり、中には色々な格好の人が思い思いに休んでいた。



「コーヒーにしますか?紅茶にしますか?」

駅員が言うと男性は小さく「コーヒーをお願いします」と言った。

駅員は2人がけのテーブルに男性を誘った。

2人は小さな木製の椅子に腰を下ろした。



「まずはコーヒーを一杯どうぞ」

駅員は男性にコーヒーを勧めた。


男性はコーヒーを受け取り、少しずつ飲んでいった。


駅員は男性の心がある程度落ち着いたことを確認してから話を聞いた。


「私は大学を卒業してから、ずっと今の会社で働いてきました。

今の会社はやり甲斐があり、仕事も自分に向いていると思い、ずっと働いてきました。

しかし、去年の春に人事異動で本社勤務になりました。

それまでは営業の仕事をしてきましたが、本社での仕事は不慣れで何度も失敗をしました。

失敗を取り戻そうと躍起になっていましたが、なぜか仕事に行くことが出来なくなり、それでも仕事をしていたら、ある日突然倒れてしまいました」

男性はこれまでを振り返るようにポツリポツリと話した。



ここ最近、この男性のような事例は急激に増えていた。



「人生は会社に捧げるのが当たり前」列車

「倒れたのは、自分の体調管理が出来ていないから、会社の責任ではない」列車


このような特急列車が何本もこの駅を通過している。

これらの列車は、人生の休息地であるはずの駅を完全に無視して、ひたすらに終着地に向かって走っている。



彼の乗っていた列車は、向こうから降ろすタイミングをくれただけまだ幸せな方というのが、あまりにも悲しい現実だった。



「俺は列車から降りてしまいました。

もう私は駄目なのでしょうか?」

男性が沈んだ声で言った。


「そんなことはありませんよ」

駅員は彼に笑いかけた。


「むしろ、ここで降りられたことは、ラッキーなのではないかと私は思うくらいです」

駅員の言葉に男性は、ハッと顔をあげる。


「しかし、私には妻や子どもがいて…」

「彼らが倒れたあなたに働けと言っていますか?

倒れた後、あなたに何と言われましたか?」


男性は黙って、顔を落とした。

木製のテーブルの上に、一粒だけ雫が落ちた。


「あなたが元気なことがなにより大切だから、しっかり休んで元気になってねって妻は…」

男性は絞り出すようにそれだけ言うと、しばらく顔を伏せて震えていた。



男性がここで列車を降りたのは、病気にかかったからということもあるが、もう一つには、家族などの周りの人が一度列車から降りるように勧めたからだということもあった。



列車の終着地は人それぞれ


中にはここで降りて、のんびりと余生を暮らす人もいる。


誰もそれを責めることはない。


人がどの駅で降りるかは、人に与えられた自由なのだ。



「この駅には休憩室の他にも、様々な施設があります。

どの列車に乗るもあなたの自由です。

まずは、ここでゆっくり身と心を休むことから始めてください。

何かありましたら、駅員にお声掛けください。

私たちはあなたの味方です」

駅員の言葉に男性はしっかりとうなずいた。




***




午前のピークが過ぎると、駅に入ってくる列車はのんびりした列車ばかりになる。


「退職したから、新たに趣味を探したい」列車

「妻と海外旅行に行きたいが、恥ずかしくて切り出せない」列車

「退職してから妻の機嫌が悪いけど、それが何か分からない」列車

「旦那を外に追い出す方法を模索する」列車


といった列車がゆっくりとプラットホームに入ってくる。



「おう!!駅員くん!元気にしとったか?」

アロハシャツを着た老人が、元気に駅員に声をかけてきた。

「田中さん、お久しぶりです。

ハワイに行かれてたのですか?」

「おうよ!!ハワイは最高よ〜!!

君も一度行ってみたらいい。

これお土産ね。

みんなで食べて」

田中さんは、そう言ってクッキーを渡してきた。



田中さんは、かつて「剛腕を振るうワンマン社長専用」列車に乗っていた。


しかしある時、無理がたたったのか、列車から下車を余儀なくされた。


この時、駅員は田中さんの対応をしたが、本当に大変だった。


列車に乗れる体ではないのに、地を這ってでも列車に乗り込もうとしていた。

それを止める駅員に「止めるな!!若僧が!!俺がいなかったら会社はどうなる!!」と田中さんは叫び続けた。

彼の振り回す拳により、駅員たちは全員青タンをたくさんこしらえた。


困り果てた駅員たちは、最終兵器(おによめ)を駅に呼び出して、駅長、田中さん、奥さんの三者面談を行なった。


三者面談の結末はあっけなかった。


妻は強し


若いモンが頑張っているから、会社はお前など要らんと奥さんに一喝されて、田中さんはオモチャを取り上げられた5歳児のように小さくなった。


それからは、田中さんは奥さんと2人で「のんびりパートナーと生きていく」列車に乗って行った。


厄介者が居なくなってホッとしたが、田中さんはわざわざこの駅にやって来ては、お土産を渡してくる。



「今日は下車される方が少ないので、駅長がヒマしています。

将棋の相手をしてもらえませんか?」

駅員がそう言うと、田中さんは仕方ないなと嬉しそうに笑った。


駅長に田中さんの相手を押し付けて、駅員たちはハワイアンクッキーを楽しむことにした。




***




夕方になると、学生が乗った列車が多く入ってくる。


「部活の先輩がイヤで部活辞めてやろうかな〜」列車

「友達がみんな彼氏をつくってるから、自分もつくった方がいいのかな〜」列車

「ラインがうっとおしくてしょうがない」列車

「不登校で、クラスの学校来ようぜの声がウザい」列車


などのキラキラに装飾された列車が入ってくる。

学生は大人に比べると、素直に列車を降りる。


駅員は降りてきた学生を手際よく、次の列車に案内していると、後ろから声をかけられた。


「駅員さん、いいですか?」

振り返ると、小柄な少年がポツリと立っていた。


駅員は彼を見てニッコリと笑う。


「やぁ、桃矢くん。今日はどうしたんだい?」

駅員は桃矢くんの様子を見て、休憩室へと誘った。



夕方の休憩室は、愚痴を言う女子高校生やパソコンゲームに勤(いそ)しむ少年や一丁前な顔をしてタバコを吸っている不良などが何人もいる。


「駅員さ〜ん!話聞いてよ〜。

親が本当ウザいんだよ〜」

「おい!!駅員さん、先公ブン殴ったら、逆ギレされたんだけど、俺悪くないよな!!」


駅員は飛んでくる少年・少女の声を笑顔で聞きながら、不良たちのタバコを取り上げる。

桃矢くんには、奥の静かな青いベンチを勧めた。


「桃矢くん、ココアでいいかな?」

駅員の言葉に桃矢くんは嬉しそうにうなずく。


駅員はココアを2人分自販機で買った。


「おまたせ、今日はどうしたんだい?」

駅員が聞くと、桃矢くんは言いにくそうに体をモジモジさせた。



**



桃矢くんは言葉を発するのに、人より時間がかかる。

それが原因で、中学生の時はイジメにあっていた。

学校の教師はそれを見て見ぬフリをしていた。


彼は決して頭が悪いわけではない。

むしろ、勉強もコツコツして、テストでは常に平均以上の点がとれていた。


しかし、授業で教師に当てられると赤面して、言葉を発することが出来なくなる。

教師は答えられない桃矢くんを見て、出来ない生徒扱いをして、イジメられていても無視をしていた。



彼が最初に乗っていたのは「イジメられるのは、自分が悪い。自分が死ねばみんな幸せになるんだ」列車だった。


この列車が入ってくる時は駅員一同で待ち構えて、全力で乗客を降ろしにかかる。


この列車に乗っている少年・少女の大半は、落ち着いて話を聞いていけば、終着地へ向かうことを防ぐことが出来る。



最初に桃矢くんと話した時、彼は自分は生きていても価値のない人間だと自分のことを思い込んでいた。


駅員は桃矢くんにココアを勧めると、彼はポロポロと涙をこぼした。


両親は桃矢くんのことを出来る子だと信じていて、自分がイジメられているということを親に知られることが何より辛いのだと、泣きながら彼は話した。



優しい子どもは、親をガッカリさせることを何よりも恐れる


それ故に、必死で勉強し、いい子を演じる。


イジメられるのは、自分が悪いと思い込む。



駅員は桃矢くんが落ち着くまで待った。

そして、声をかけた。


「しばらく、駅(ここ)で暮らしてみないかい?」


この駅は、現世(むこう)とは断絶された世界であり、こちらでどれほど時を過ごしても、向こうには影響がない。


桃矢くんはそれからしばらくの間、駅で暮らした。


この駅には桃矢くんと似た境遇の子どもがいて、桃矢くんも少しずつではあるが、他の子たちとも話せるようになっていった。



桃矢くんは絵を描くことが好きで、小学生の時はいつも絵を描いていたそうだ。


駅員が絵を褒めると、桃矢くんはとても嬉しそうな顔をした。


「中学生の時は絵は描かなかったの?」

駅員が聞くと桃矢くんは悲しそうな顔になった。


「美術の授業で好きな絵を描いたら、先生から怒られたし、みんなにも絵を笑われた」


美術のテストで桃矢くんが一生懸命描いた絵は、いつも平均点以下だったそうだ。


駅員たちの目から見ても、桃矢くんの絵は独特の世界観があり魅力的だった。


そこで、駅に桃矢くんの絵を飾ったところ、みんな桃矢くんの絵を褒めた。


「自分の世界をしっかり絵に表現することが出来ている。

お前は大物になるぞ!!」

田中さんは絵を見て、桃矢くんの頭をワシワシとなでてていた。


それから、桃矢くんは決心がついたのか「自分に出来ることを少しずつ始めていく」列車に乗り込んでいった。


駅員も手を振って、桃矢くんを見送った。


それから、桃矢くんは駅(ここ)に来ることはなかった。



**



「何か将来に対する悩みかい?」

駅員が聞くと、桃矢くんはコクリとうなずいた。



「駅員さん、僕は将来は絵を描く仕事をしたいんだ。

だから、絵を学ぶために専門学校に行きたいって思っているんだ。

けど、先生や両親は大学に行けって反対して、どうしたらいいのか、分からないんだ」

桃矢くんは、ゆっくりと言葉を出した。


「そっか…桃矢くんは将来の夢をご両親や先生には伝えてみた?」

「うん!けど、先生が大学を出ていないと、就職に困るぞって言ってて、両親も大学で勉強して、絵の仕事を探してみたらって言うんだ」


駅員はうーんと腕を組んだ。


「桃矢くんはどうだい?

大学に入りたい?それとも専門学校に入りたい?」

駅員が聞くと、桃矢くんはしっかりと駅員の目を見据えて言った。


「専門学校に入りたい!!

僕は絵を勉強したい!!」

駅員はニコッと笑った。


「それなら、その気持ちをもう一度ご両親に伝えてみたらどうかな?

正直に話してごらん。

きっと理解してもらえるよ。

先生に報告するのは、両親との話し合いが終わった後でいいよ」



学校の教師は、真剣に生徒の人生を考えてくれる人がたくさんいるが、中には成績でしか生徒を見ていない教師もいる。

桃矢くんは成績が優秀で、いい公立大学を狙えるため、進学を勧めているのだろう。


将来やりたい事がまだ見つからない場合は、教師の言うように大学に行くのも一つの手だが、桃矢くんのようにやりたい事がハッキリしているならば、周りの大人はそれを後押しするだけだ。



「分かってくれるかな…」

不安そうな桃矢くんに駅員は笑いかけた。


「大丈夫!!

親ってのは、子どもが幸せになることを望んでいるんだから、桃矢くんが幸せになる道を必ず応援してくれるよ!!」

桃矢くんはそれを聞いて、コクリとうなずいた。



駅員は桃矢くんに駅に泊まるか聞いてみたが、すぐに列車に乗って帰ると言った。

はやく両親に自分の気持ちを伝えると彼は言った。

駅員に元気よく手を振って「将来の夢に向けて頑張る」列車に乗っていった。




***




夜になるとサラリーマンなどの勤め人が多く、列車に乗っていた。


「上司との飲み会イヤだけど、出世のために出席する」列車

「もう帰る時間だけど仕事が山積みなので、サービス残業をする」列車


この2つの列車が大量に通過していく。


中の乗客は辛そうな顔をしながらも、駅に降りることを選ばない。



「この2つの列車は本当に多いな」

同僚が声をかけてきた。

「そうだな。それでも、最近は少しずつではあるが、減ってきている」

「それでも、この本数はどう考えても異常だぜ!

俺は他の国の駅で働いてたけど、こんなに本数はなかったぞ」

「そうだな。

俺たちは目で見てその多さを実感できるが、現世(むこう)からは見ることは出来ないからな」



2人が話していると、高速で走る「飲みニケーションは社会人としての一般常識」列車から、1人の男性が飛び降りてきた。

高速で走る列車から飛び降りたために、男性は体を打ち付けて、全身から血を流した。



男性は血みどろになりながらも、なんとか起き上がった。

「大至急、救急セットを持ってきてくれ」

駅員は同僚に言うと、血みどろの男性に駆け寄った。



「ああ、大丈夫です。何ともありませんよ」

男性は全身から血を吹き出しながら笑っていた。


「はい。大丈夫のようですね…今のところは」

駅員はそう言うと、同僚が持ってきた救急セットで止血を行なった。



落ち着いたところを見計らって、駅員は男性に休憩室を勧めた。

男性はまだ20代後半くらいで、元気よくカラカラと笑っていた。


「いつもは飲みに行くんですけど、妻が熱を出して、どうしても帰らないといけなかったんですよ」


それだけ聞くと列車が速度を落とさず、血みどろになる理由が分からなかった。


「ちなみに上司には、それをどのように伝えましたか?」

駅員が聞くと男性は恥ずかしそうに言った。


「妻が病気なので、お先にって言いました」

「上司は何と返しましたか?」

「お大事にって、笑って見送ってくれました」


なおのこと、男性が血みどろになる理由が分からない。


「それであなたはどう思いましたか?」

駅員の言葉に男性は頰をかいた。

「イヤ、みんな飲みに行ってるのに、申し訳ないな〜って思いながら、帰りました」


駅員は男性が血みどろの理由を理解した。


「あなたは奥さんのために急いで帰るのです。

何も申し訳なく思う必要なんてないのですよ」

「けど、会社の飲み会はみんな出席してるし」

「それは法律か、憲法で決められていますか?」

「イヤイヤ!!そんなわけないですよ!」

「なら、申し訳なく思う必要はありません」

「けど、出席しなかったら、会社からの評価が下がるかもしれないんで」

「多分、上司はあなたが出席していないこともすぐに忘れると思いますよ。

あなたが思うほど、上司はあなたのこと見てはいませんよ」


駅員が言うと、男性はキョトンとしてから、笑い出した。


「そうですよね!!

俺、なんで悩んでたんだろう!

帰りますよ、お世話になりました」

笑うだけ笑うと、男性は走って「家族と過ごすためにに定時帰宅を目指していく」列車に飛び乗った。


彼の血はすっかりとまっていた。



「…疲れた」

男性がいなくなると、駅員はポツリと言った。



飲みに行くこと自体は決して悪いことではない。

人というのは様々な顔があり、仕事以外の顔を見ることで、互いに良好な関係を作り上げていくことも出来る。

それによって、仕事を円滑に進めていくことに繋がる。


しかし、本人がイヤだと思っている場合は、その飲み会はマイナスにしかならない。


飲み会に行かなければ、評価が下がるというのは、あまりにおかしな話であるが、列車の本数を見るに、この話は事実なのであろう。




***




夜も更けてくると、人生に迷った列車がたくさん入ってくる。


「この人とこのまま結婚してもいいのか」列車

「金を貸してと言ってくる親友と縁を切るべきか」列車

「浮気関係で相手は別れることを望んでいるが、別れたくない」列車


これらの列車から降りてくる人は、昼や夕方に比べると悩みが深刻なことが多いので、駅にはベテランの職員が多くシフトに入っていた。



駅員たちは、降りてくる乗客たちの希望を聞いて、次の列車に乗せていく。



「もし、よろしいでしょうか?」


駅員が「キャバクラに行きたいが、そろそろ奥さんの目が怖いので、今夜は諦めるべきか」列車を見送っていると、後ろから声をかけられた。



振り返ると、落ち着いた70代くらいの女性が立っていた。


「はい。どうされましたか?」

「私は死んだはずですが、ここは地獄ですか?」

「いえ、ここは狭間です。

天国と地獄

この世とあの世

現世と来世

ありとあらゆる空間の狭間にある場所です」

女性は駅員の説明に納得がいったようにうなずいた。


「では、私をあの世に送ってはもらえませんか?」

女性はきっぱりと言った。


駅員は後ろポケットに入っていた時刻表を取り出す。



「残念ながら、本日のあの世行き列車は先ほどの便で終了しました」

駅員が言うと、女性はキッと駅員を睨(にら)みつけた。


「私は列車の車掌さんから、ここで降りるようにと言われましたが」

「はて、ここの列車には車掌は乗っておりませんが」

「そんなことはありません。

個室の客室で私は座っていたところ、ドアをノックされました。

ドアを開けると車掌さんがいて、私の名前を読み上げて、この駅で降りて、乗り換えをするようにと告げられました」


駅員は首を傾げた。

列車には車掌は乗っていないし、ましてや客に降りろなどということはない。


「その車掌の顔は確認しましたか?」

「いえ、車掌さんは顔を仮面で隠していました」


明らかに怪しいが、何も知らないのならば信じても不思議ではない。

話が長くなりそうなので、駅員は休憩室に女性を案内した。


女性に日本茶を出してから、駅員は切り出した。

「失礼ですが、どの列車に乗られていましたか?」

「天国もしくは地獄行き列車です」

この列車は、毎日定期便が出ていた。

先ほど女性が降りた便が、今日の最終列車だ。


「ちなみに現世(あちら)では、どのようにして亡くなられたのですか」

女性は言いにくそうだった。


「睡眠薬を大量に飲みました」


自殺だった。


「言いにくいことだとは思いますが、どうして睡眠薬を飲んだのですか」

女性は唇をキッと引き締めた。

上品ながらも、気の強さが伺える。


「生きることに飽きました」

女性はそれだけ言うと、これ以上は聞くなとばかりに唇を噛み締めた。


「分かりました。

本日はもう夜遅いので、駅の客室に滞在されてはいかがでしょうか?

明日、朝一の列車が到着したら、ご案内します」

「分かりました。

では、お願いします」

女性はしっかりした足取りで立ち上がると、折り目正しくお辞儀をした。


女性はこの日、駅の客室に泊まることになった。



女性を案内すると、駅員は駅長室に向かった。

駅長は話を聞くと、自慢の口髭をなでた。


「たまにせっかちな死神が列車に現れることはあるが、それも列車の防衛システムで追い払われるからな」

「あちら側に問い合わせてもらえませんか。

魂が逃げ出しているかもしれません」

「わかった。

とりあえず、君は彼女を見ておいてくれ。

通常業務は他にやらせる」

駅員は一礼してから、駅長室を出た。



その日の残りの仕事を片付けてから、駅員は一服するために、喫煙室に入った。


タバコを吸っていると、見慣れない人がはいってきた。

現世(むこう)の車掌のような格好をしていた。

顔には真っ白な仮面をつけていた。


駅員は無視してタバコを吸い続けた。

仮面の男は駅員が吸い終わるまで、静かに待っていた。


「妻がお世話になりました」

仮面の男が言った。


「構いませんよ。これも仕事ですから」

駅員はタバコを仮面の男に勧めた。


仮面の男は礼を言ってタバコを吸い始めた。


「あなたは亡くなってから、どれほど経ちますか?」

「5ヶ月ほどです」

「ご家族は」

「いません。妻は子どもが産めない体でした」

「なるほど」



あの女性は後追い自殺をしたのだ。



そして、この仮面の男は死半ばまでやって来ていた女性を留めるために、わざわざ変装して列車に忍びこんだ。


「あなたから言ってもらえませんか?

妻に死ぬなと」

「それは無理です。

判断力の未熟な未成年はともかく、成人の決断をねじ曲げることは、我々には出来ません」

駅員がそう言うと、仮面の男は考え込んだ。


「では、ペンと便箋をもらえませんか?」

「構いませんが、直接会わないのですか?

事情もあるので、駅長から向こうには連絡しますよ」

「ありがとうございます。

しかし、妻は私を見ると、現世(むこう)に戻らないと言い出しそうなので、やめておきます」

駅員は笑った。

「情熱的な方ですね」

仮面の男も笑う。


「今でこそ、皺くちゃの老人ですが、昔は高嶺の花だったんですよ。

私には届かない花だったはずなのに、向こうが私を好きになってくれました。

それから親が決めた許嫁がいたのに、家を飛び出してきたんですよ。

とんだじゃじゃ馬娘ですよ」

2人は笑った。


確かに上品で気の強そうな彼女は、若い頃はそれはそれはモテたのだろう。


仮面の男は駅員からペンと便箋を受け取ると、サラサラと書いていった。



「残り何年かは分かりませんが、妻には1日でも長く生きて欲しいのです。

私は妻と言葉を交わす間もなく死んでしまいましたから、それが心残りでした。

それで向こうの門番にお願いしたら、泣いて協力してくれました」

駅員は苦笑いをした。

「あちらも甘いというか人情的というか」


仮面の男は書いた便箋を封筒に入れた。


「それでは帰ります。

この度はご迷惑をおかけしました」

頭を下げる男に駅員は笑いかけた。


「構いませんよ。

これも仕事ですから」



翌日、出立の準備を整えた女性に、駅員は便箋を渡した。

「これは何ですか?」

「とある方からお預かりしたものです。

よければ個室を用意していますので、そこでお読みください。

何かありましたら、我々にお声掛けください」

駅員はそう言って、女性を個室の方へ案内した。



「彼女は大丈夫か?」

駅長が様子を見に来ていた。

心配そうに口髭を引っ張っている。


「分かりません。

ですが、どちらに転んでも悔いのない結果になるとは思います。

だからこそ、向こうも彼の脱走を認めたのでしょう」



女性はしばらくの間、部屋から出てこなかった。

1時間ほど経ってから、女性は部屋から出てきた。


駅員の姿を認めると、女性は言った。


「帰ります」


駅員はニッコリと笑った。


「ご案内致します」



こちらから現世(あちら)に向かう列車が、ちょうどプラットホームに入ってきていた。


「夫婦共々お世話になりました」

女性は頭を下げた。


「いえ、これも仕事ですから。

それともう1つお伝えすることがあります」

「なんでしょうか?」

「何かお困りのことがありましたら、いつでもお越しください。

駅員一同、力になります」

駅員が言うと、女性はクスクスと笑った。


「分かりました。

頼りにしています」

女性はニッコリと微笑むと列車に乗っていった。




駅員は「人生をもう一度生きる決意をした」列車を見送ると肩をグルグルと回した。


「昨日から色んな事があったな」

駅員はそれだけつぶやくと、新たに入ってくる列車を迎えにいこうとした。


「おっと、ポスターがはがれてる」


壁に貼られているポスターがずり落ちていた。

駅員はポケットからセロテープを取り出して、ポスターを貼り直した。



『ここは人生に迷った人が降りる駅です。

お困りの際は、いつでも駅員に声をかけてください。

駅員はあなたの味方です』



ポスターがきちんと直ったことを確認してから、駅員は列車の方へ走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここは人生に迷った人が降りる駅です 伊達ゆうま @arimajun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ