習作3【暁と魔女】


「あなたはそんなにつまらなそうな顔をして、何をしているのですか。」

 人里離れた廃城の、遥か昔に閉鎖された最上階の一室。一般的な一軒家ならすっぽりそのまま収まってしまうほどに広いが、机等の調度品はほとんど置かれておらず、床には薄っすらと埃が張っているようで、がらんどうな部屋だった。

 部屋の中央の少し小高くなっているところには、ポツンと玉座が置かれていて、一人の男が座っていた。玉座も、男も、酷いなりをしていた。きっと昔は豪奢を極めていたのだろう玉座は、今やあちこちがささくれ立っていて、なんとか形だけを保っているような有様だった。襤褸には華々しい金糸や銀糸の跡が散見されるものの、自重で解けてしまいそうなほど綻びが目立っていた。

 その正面には、一人の少女が立っていた。目が醒めるような碧い眼をした少女で、腕には小さな体に無相応な大きいテディベアを抱えていた。無感情な話し方や、眠たげな目元は夢遊病者を彷彿させる。

「……見れば分かるだろう。暁を、ここに閉じ込めているんだ。」

 男は虚を見詰めたまま、掠れきった声で答えた。その眼はまるで少女の方を見ておらず、本当に少女の問いに答えたのかどうかすら怪しい。

 ややあって少女は再び訊いた。

「それでは、どうして暁を閉じ込めているんですか。日が昇らなければ、花は咲かないし、鳥も鳴かないでしょう。それでは生きた心地もしないのではないですか。」

 男もまた、ややあってから答えた。

「変わらない時を望んだからだ。刻々と晴れ行く私の愁いを閉じ込めるためには、これしか方法が無かった。」

「あなたは永遠の苦しみを望むのですか?」

「忘れてしまうことの恐怖に比べれば、その方がまだましだろう。少なくとも、私にとってはそうだった。」

 少女は暫し口を噤み、男から視線を離して、鍵のかかったドアを除いたこの部屋唯一の開口部である朽ちた格子窓を覗いた。空は今にも太陽が顔をだそうかという薄藍色で、有明の月が、ぽっかりと宵に穴を空けていた。

「太陽の光は、私には少しばかり眩しすぎるようだ。きっと日の下に我が身が曝されると共に、私は私でなくなってしまう。あの窓から朝日が差したその瞬間、私の体は灰になって消えてしまうだろう。」

 少女はおもむろに玉座が拵えられた段に上り、男の眼の前に立つ。

「いつまで、あなたはこうしているつもりですか。」

「私が私である限り、いつまでも。」

「でも、そんなに長い間そうしているのは、たいくつじゃありませんか。そんなに鎖で体を縛っていては本もよめないと思いますが。」

 少女は男の手足を縛り付ける拘束具を指さして言った。その時、初めて男は濁った黒目をほんの少しだけ動かして、少女の方を見た。

「お嬢さん。貴女は少し誤解しているようだ。私が退屈をしているなんてことは一切ない。むしろ、退屈を以て暁をここに閉じ込めているのだ。」

「それが本当ならすばらしいですね。すぐには信じられませんが。」

「楽しい時間はすぐに過ぎ去り、退屈な時間はゆっくりと流れるものだ。お嬢さんだって一度は経験したことがあるだろう。」

「でも、今まで一度も、それでおてんとさまを止めてしまうなんてことはありませんでした。」

「何事にも初めてはあるさ。私も、初めは自分自身を信じられなかったがね。」

 少女は男の言葉の意味を考えて黙り込む。たっぷり五分間の静寂の後、不意に少女は口を開く。

「……なんだか、ここは〝どこにもない家〟と同じ香りがします。」

「〝どこにもない家〟とは何だ? 私と同じことをしている人が他にも居るのか?」

「この前よんだ本の中にありました。タイトルは忘れてしまったけれど、少女が時間にとらわれてしまった人の心を取りもどすお話でした。〝どこにもない家〟に辿り着くには〝さかさま小路〟を通らなければならなくて、そこでは急げば急ぐほど、ゆっくりとしか進めないんです。」

「それは奇怪だな。まるで私がやっていることと真逆のことが起きているのか。実に奇怪だ。」

 男は少女の話に興味を持ったようで、痩せ細った鶴首をもたげて、少女に顔を向けていた。対して、少女は相変わらず夢遊病者のような空ろな双眸で男の目を見つめ返していた。

「私にはどちらも大して変わらないように思います。真逆でもないように思えます。ひとは何かにすがるとき、いつもそうですから。」

「……君はどうしてそう思うんだ。」

「私がなにを思うかは、きっと重要ではありませんよ。あなたにとって、私の言葉に意味なんてものはありません。」

「いいや、重要だね。お嬢さんがこの部屋にまで辿り着いたならば、既に君の存在は天の導きそのものだ。どうか話を聞かせてくれ。」

 少女は右手に抱えたテディベアをギュッと抱きしめて、男に背を向けた。

「そうですね……、それじゃあ一つだけ。


 ――――昔々あるところに一人の少年が居ました。

 その少年の名はセオといい、とても素直で、いい子でした。父親はお国の大工をやっていて、母親は裁縫が上手なことで有名な、素敵な家族でした。

 しかし、セオはある日街外れの森に迷い込んでしまいました。そこは街の住民ですら、特別な用事が無ければ入らない〝魔女の森〟として有名な場所でした。もちろん、セオもその森には入らないように両親からきつく言いつけられていたのですが、彼はその約束を破ってしまったのです。実はその時、セオの母は当時〝黒薔薇病〟と呼ばれ恐れられていた流行り病に罹り、もう明日とも分からない命だったので、セオは最後の望みをかけて魔女に頼み込もうとしたのでした。

 セオは朝方から森を歩き回り、森中を歩き回って、日も暮れようかという時にようやく魔女が住んでいそうな家を発見しました。セオが扉をコンコンとノックをすると、しばらくして扉は開きました。

 セオは、魔女と言われているのだからきっとしわしわのお婆さんが出ているに違いないと思ったのですが、扉の向こうから出てきたのは、自分とあまり歳が変わらないような――――、いいえ、年下にさえ思えるような少女でした。

 セオは戸惑いました。まさか、魔女の森のなかに普通の人が住んでいるとは思わなかったからです。

 少女は眠たそうに目を擦りながら、「どなたですか。」と訊きます。セオは驚きすぎて何を言えばよいか分からなかったものですから、「ごめんなさい。魔女を探しにきたんだけど、知らない?」ととんちんかんな答えをしてしまいました。

 少女は半開きの眼を気持ち大きく見開き、セオの姿を頭の上から足元まで見回すと、「どうしてあなたは魔女を探しているのですか。」と前のめりになります。セオは少し戸惑いつつも、少女の反応に魔女に関する情報が得られそうな手ごたえを感じたので、「実はママが黒薔薇病に掛かっちゃって、魔女にそれを治してもらえないか頼みに来たんだ。」と訴えかけました。

「やめておいた方がいいと思います。魔女との契約には大きな代償が伴いますから。」

 少女は一度退けました。しかし、セオは諦めません。

「それでも、僕は魔女と会いたいんだ。命さえあれば、後はどんな代償でも受けるつもりだから。」

 すると、少女は気配を一変させ、「命があれば……、ね。」と言ってセオの額に手を当てました。

 突然のことでセオは逃げることもできませんでした。ただ全身からふっと力が抜けて、地面が近づいてくるのを眺めていました。

 セオにとって不幸だったのは、彼が、命を失くすことが最大の損失ではないことと、魔女は歳をとらないということを知らなかった点でしょう。

 セオが自らの存在価値を顧みることを思ったその時、変態は既に終了していました。手足には茶色い毛皮ができ、眼球はレジンに、脳味噌は綿に挿げ替えられました。しかし、魔女の好意で脈打つ心臓だけはそのまま据え置かれたのですが。

 もう結末は言わなくてもお判りでしょう。セオは魔女の魔法によりテディベアに形を変化させられてしまったのです。

 魔女はその夜、約束通りにセオの母親を病から解放しました。しかし、病が治った代わりに、子供をなくした家から悲しみの声が無くなることはありませんでした――――


 ……っていう、お話です。どうでしょう。」

 少女は手元のテディベアを優しく撫でながら、振り向いた。

 男はすぐには返事ができず、静寂に包まれた部屋の中で耳を澄ました。

 聞こえるのだ。どこからともなく響く、ドクドクという鼓動の音が。

 男は悩んだ末に、少女の眼を真正面から睨みつつ、口を開いた。

「……それは一体いつの話だ?」

「知りません。これはあくまで作り話ですから。」

 少女はあくまでしらを切るつもりのようなので、男は質問を変えた。

「……それでは、君はその少年は今幸せだと思うか?」

「そうですね。彼は家族が悲しんでいる事実を知りませんから、幸せなのではないでしょうか。」

 それを聞くと男は苦しそうに、しかし細い喉を震わせながら激しく笑った。

「私の話はお気に召したでしょうか。」

「ああ。非常に面白かったよ。できればまた今度話を聞かせてくれ。」

「そうですね。次があれば。きっと。」

 少女はそう言って、未だ高笑いを続ける男に背を向け、部屋を出て行った。

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