9
「やっと見つけた……」
少しの疲労感と大きな倦怠感、そして過大な自嘲を滲ませて——
自宅から飛び出たのが警報の鳴っていた午後五時頃だったが、現在、ようやく
だが、特に調べもせず、当てずっぽうで走り回っていたせいか、ものの見事に反対方向へと奔走し、避難警報によって逃げ出している人々の悲鳴を聞いて、いても立ってもいられずに、子どもやお年寄り、傷病者の助けを買って出ていた。そのため、周囲の一般人が避難する頃には、一日の終わりを告げるように、太陽が赤く輝き、黄昏時を報せていた。
そこから更に走り回って、ついぞ怪害と想しき異常事態を発見したのだった。
「こんな広範囲を見つけられなかったのか……」
英華は眼前に広がる惨憺たる街並みを見て、自分の不甲斐なさをひしひしと感じた。危機察知能力や第六感——所謂、勘と呼ばれるものは、ヒーローにとってかなり重要な要素となってくる。
今回の英華の行動が良い——悪い例だろう。助けられる救える力を持っていながら、事件の発生を知らない、現場を知らない、相手が分からない。それではヒーローとして存在している意味がない。
英華は、よく
かくして、多大な時間と労力を費やして見つけ出した今回の怪害現場だったが、英華はまんじりともせず犇めく闇を見つめていた。
「どうするかぁ……」
その理由は今回の作戦に参加しているヒーローすべてが突き当たる、最初の難関だった。
この先へ、歩いて渡ることは出来そうにない。
それはこの小さき闇蟲たちが非常に獰猛になり、人間を見境なく襲うようになっている、と聞いていない英華であっても、今までの経験で察しは付いた。
流石の勘の悪さであれ、ここまでの異常事態に警戒もせず脚を踏み込む程、英華は愚鈍ではない——鈍かろうと愚かではない。
周りを見回すが、何か役に立ちそうなものは一つもなかった。それこそ自転車や乗用車といった俗に言う足になるものから、投擲出来そうなゴミまで、綺麗さっぱり見当たらない。
この周囲の地域は、誰かさんのおかげで非常に治安が良く、ゴミをポイ捨てするような心の荒んだ人など一人も住み着かないし、近寄りもしない。路上駐車くらいはあってもいいだろうと思ったが、英華のいる通りは、路上駐車禁止の道路だった。
しっかりルールを守る市民たちに、英華は納得し首を縦に振る。
そこで不意に想い出す。昼頃、巴と話した会話が頭の中に蘇った。
ルールに縛られるのがどうだと、なにやら尊大に語っていた気がする。だが、英華自身、ルール全てを否定するつもりは毛頭ない。英華の目指す規律は、人々が安心安全に生活出来るためのルール、である。そういった点で、HSCOの定めたルールと英華自身のそりが合わないのだ。
換言するならば、人々が安心安全になるのであれば、一般的に敷かれているルールであれ、破ることなど吝かではない。
そのような自分の中にある絶対的な正義を体現すべく行動する英華に、進めなくなったから引き返すなどという選択肢は寸毫も浮かばない。
英華は闇蟲たちの外周に沿って、時計回りに歩き始めた。建物や障害物がある場合は、当然迂回するが、見失うことがないように必ず闇蟲たちが見える範囲で行動する。
そうして何か活路が見いだせないかを探すこと十分程、そこには確かに活路があった。それもアイディアが浮かぶような物体ではなく、路そのものだ。
有象無象の闇蟲たちが蠢く中に、そこだけ闇蟲たちの動きの一切が停止していた。
試しに近くの植え込みに植わっている何かの植物をもぎり取ると、時間が停止したように動かない闇蟲たちをその植物で突く。その子どもの悪戯のような行いに、動かぬ闇蟲たちは何の反応も示さなかった。
そして、直ぐ近くの活発に動き回る闇蟲たちへ、同じ悪戯を仕掛けると、その植物は瞬く間に黒く染まる。闇蟲たちが植物を引っ張り出した段階で手を離していた英華は、もはや何処に行ってしまったのか分からない植物の有様を見て、進むのならここしかない、と覚悟を決める。
レッドカーペッドならぬブラックカーペットのように、一直線に伸びるその道は何処まで続いているのか、その先に何がいるのかは分からない。
このまま無為に進み出したら、いきなり怪人が出てきて殺されてしまうかもしれない。まさかそんな間抜けなことはないだろう、と想っていながらも、しかし、慢心が他の過ちを生んでしまうことだって十分あり得るのだ。ここから先は命を賭した闘争が待っている。
——それに素顔をヒーローに晒したくない。
英華は自分の成さなければならないことを強く心に想い浮かべる。怪人を根絶やしにする。人々に笑顔をもたらす。そして——巴を幸せにする。
英華は右手を胸の前で強く握る。すると、胸の中心から、白く、白く——どこまでも白い光が生まれ、そして英華を包み込んだ。
光が晴れるのは一瞬だ。先程英華がいた場所には、英華と同じ体勢をしている何者かがいた。
それは今しがたの光と同様、限りなく白い存在だ。その姿は飾り気など一切なく、気味の悪い程シンプルである。顔を上げたその白き存在の表情は、フルフェイスのマスクに覆われていて全く見えない。フェイスガードに縦三本、横一本の細い隙間が空いており、そこから仄かで淡い紫の光が漏れ出ていた。そして、それらを塗りつぶすように煌々と輝いている一つの赤い点。その点はフェイスガード上を縦横無尽に動き回る。それは目だ。手に届く範囲全ての悪事を見逃さんとするモノアイがギラギラと輝いていた。
彼女は一歩、また一歩、確実に、闇蟲たちを下敷きにして歩き出す。硬質的な外殻が拉げパリパリと軽く砕ける音がする。身体が圧迫されその形を保てなくなり、内側から何かが弾けるような、ぐちゃぐちゃとした気持ちの悪い音がする。
だが、彼女はその歩みを止めることはない。その行いが正しいと信じているからだ。止まることこそ、引き返すことこそ、悪しき行いだと確信しているからだ。
彼女は歩む。その道が途切れるまで、止まることなく。
闇蟲たちが死んでいる理由も、周りの闇蟲たちが近づかない理由も、彼女には分からない。勘は悪くも運は良かったということだろうか。その白い足を黒い破片と体液で汚しながら、闘志満々の様相で強かに歩く。
絢爛豪華とは程遠くしつらえられたカーペットを歩くこと数分、一直線に伸びていたそれは、十字路を九十度左に曲がっていた。歩いてきた方角や星月の位置からして、中央に向かおうと進んでいたが、何かを発見しそちらに興味が移った。そのため、何者か——それとも何かは進む道を変更したのだろう。
彼女は道なりに進もうかと少し手前で考えながら、L字の曲がり角まで向かった。そこでようやく彼女は気付いた。死んでいる闇蟲たちの群ればかりに気を取られていたが、どうしたことだろう、周囲の生きていた闇蟲たちが見当たらなくなっていた。
直角に曲がった道と灰色の道路との境界線に立った彼女は、一瞬だけ——ほんの一瞬だけ足を止め逡巡すると、変わらぬ歩調で硬くて歩きやすい道路へと足を踏み出す。
彼女は相も変わらず落ち着いた様子で、悠然とした足取りで進む。
だが、異変の渦中の更に異変と思われる大穴の中で、重ね重ねの異変を感じ、彼女はようやく足を止めた。不快感を催す音——翅音が上空からしたから——というのもあるが、足元に空っぽのペットボトルとおにぎりを包んでいたであろう包装フィルムが落ちていたのだ。
「この街でポイ捨てとはいい度胸だな」
それらを拾い上げ、包装フィルムをペットボトルの中に入れると、そこでようやく天を仰ぐ。
赤く紅く朱い彼女のその眼は、高い位置で浮遊している漆黒の存在を苛むかのように、煌々と輝いている。
「……なーんかちっちぇな。あれが怪人か?」
彼女の最初の感想は非常に淡泊だった。驚きもせず見た目の印象を口にする無味乾燥な感慨しか浮かばない。強いて彼女がより想いを口外するのであれば、飛べるだなんて狡い、だっただろう。それでも他のヒーローが思うような、邪悪さや油断のならない相手という見込みは一切覚えなかった。
空に立つそいつは、自身とは対照的な曇りなき白を見止め急降下する。真っすぐ彼女へ向かっていく漆黒は、純白の彼女を敵と認識したようで、大きく顎を開き標的の首元目掛け飛ぶ。
多少距離はあれど、自由落下に加えて下方向に加速する怪人の動きは一般人に対処出来る速度を超えている。
無垢に染まった首筋に噛み付こうとした闇蟲怪人はしかし、その目的を果たすことは叶わなかった——むしろ、怪人の首に食い込む白き腕が、その行動を妨害している。
「おい、落ち着けよ——お洒落な触角してんな——お前は怪人なのか?」
驚く程やさしく柔和な声色で、純白は語り掛ける。縦巻きにカールしている触角を持った怪人は、翅を高速に動かし手足をバタつかせてもがいている。彼女の質問など答える気はないようだった——そもそも、人語を理解しているのかも定かではないが——そんな様子の怪人に、もう一度声を掛ける。
「おい、言葉は分かるか? お前がこの街を襲ったのか?」
先程より低くなった声には僅かばかりの憤りが感じられた。それは想い通りにいかない現状に対してなのか、それとも彼女の手の内にある命が、他者の命を脅かした怪人だと確信付き、義憤に駆られているのか、彼女自身にも分からない。ただ何となく漠然と、この世界に悲憤慷慨としているだけなのかもしれない。
怪人は暴れに暴れ、終いには潔白な彼女の顔を蹴り飛ばし、強固な拘束から辛くも逃れた。
「はぁ……殺すかこいつも」
再び飛んで射程範囲外に逃れた闇蟲怪人を、白無垢を思わせる彼女は、文字通り虫けらへ向ける程度の敵意で殺すことを決めた。
彼女にとってこの怪害もこの怪人も、数あるものの一つでしかない。怪人の中で悪意の大小を決めることなど烏滸がましいと想っている彼女の判断基準は、悪であるかそうでないかの二択だ。間はない。勿論、情状酌量の余地はあるかという追加条件も存在しているが、その条件でふるいにかけたことは今まで一度もない。
そしてこの闇蟲怪人もその例に洩れなかった。
白妙の如き彼女は、ここに来てようやく足を前後にずらし仁王立ちを辞める。
闇蟲怪人は未だ圧迫感を覚えるのか、喉に手をやり異常のないことを確認していた。それから顎を激しく開閉させて、カチカチと威嚇音を鳴らす。
先に動いたのは、当然、宙に浮いている漆黒の怪人——ではなく、殺意を持って佇む純白の英雄の方だった。彼女は左手に持つペットボトルを右手に持ち替えると、大きく振りかぶり投擲した。
高速に回転しながら空を切り、疾風迅雷の勢いで突き進むペットボトルは、目にもとまらぬ速さで羽ばたいている翅に直撃する。激しい衝突音が鳴ったかと想うと、闇蟲怪人は身体を後ろに仰け反らせ、無様に落下していった。
地に落ちた闇蟲怪人は四肢を同時に地面に付けて受け身を取ると、身震いする程の殺意を込めて、純白の女へと顔を向けた。が——。
——次の瞬間、怪人の首が飛ぶ。
顎の辺りが不格好に凹み、歪な形をした頭だった。
闇蟲怪人の身体は頭より遙か下、地面すれすれを仰向けで跳ねていた。どさっ、と重たい音を立てて落下した身体は、何度ものたうち回っている。
純白は蹴り上げた脚を元の位置へ戻すと、次の怪人の行動に備える。
闇蟲は頭部を切断されても、長い期間生き続けることが出来るらしい。
昔、何故か食事中にその話をし始めた巴を想い出した。その時、彼女はなんとも想わなかったが、話した本人の巴が、食欲なくなったと堪えていた。
本当あの愛らしい生き物は何がしたいのだろうか——彼女は戦闘という環境下にも拘わらず、牧歌的な想いに馳せた。
故に、彼女は闇蟲怪人の身体が、再び起き上がってくるのではと、身構えていたのだ。
しかし、闇蟲怪人は一頻りのたうち回ると、緩慢にその動きを鎮め、そして最後には沈黙した。その時、独りで小旅行に行っていた頭部が、元あるべき場所へと還ってくる。
非常に生々しい落下音が鳴り、一度だけ跳ねる。遅々として転がり顔の向きを変え、そして彼女を見る。
彼女は怪人の顔を見つめる。何かを考えたのか、何かを想ったのか。彼女は頭を蹴り飛ばした右足を上げると、闇蟲怪人の頭部がある場所に勢いよく下ろす。
中の体液が飛散して、彼女の脚を汚した。だが、気にする様子は見せない。
闇蟲怪人が死んだのを確信した彼女は、口から何も漏らすことなく、身体で何かを表すこともなく、再びブラックカーペットへと脚を踏み入れ、そして直角の曲がり角を曲がり、奥へと進んでいった。
彼女にとって、小さき怪人は怪人ではなく、その名の通り、害虫でしかなかった。
彼女の目標の一つ、怪人の討伐はあっけなく達成されたが、残り一つの目標、巴の安全確保は目下目処が立っていない。
まずは見つけることが最優先だが、しかしこれまた当てずっぽうに探し始めると、数時間前の繰り返しだ——というより、根本的に闇蟲が辺りを埋め尽くしている時点で漫ろと動き回るのは不可能だ。
というわけで、彼女は間違いなく誰かいるであろう、闇蟲たちの死骸の路を進んでいくことにした。
やはり持つべきものを持っている彼女は、運が良いことに、そう時間もかからずに人間を見つけることが出来た。
先程の闇蟲怪人と同じような黒色をしているが、頭から生える触角が桃色で、ガスマスクをしている闇蟲なぞいるはずないだろう。
「おいおい、誰かと思ったら……誰だよテメェ?」
先に声を掛けたのは、ガスマスクの女性だった——顔はまるで見えないが、声からすると女性だろう。
「名前を尋ねるならまず自分からって、ママに教わらなかったのか?」
黒い破片や怪人の体液で汚れきった足を止めると、どこかで聞いたことのあるような台詞を吐く。
どうやら闇蟲たちを殺し回っていたのは、ガスマスクの彼女らしい。彼女の周りに標的を見つけ襲おうとしている闇蟲たちが、彼女にたどり着く前にひっくり返っていく。
陽炎のように大気が揺らめいているのが見える。おそらくガス——それも闇蟲などの昆虫に良く効くガスを散布しているのだろう。
彼女は一瞬にしてそこまで推測する。
「ママなら死んじまったよ」
純白が足を止めたのに合わせ、黒々としたガウンコートに身を包む彼女もまた、足を止めた。そしてガスマスクの奥から、訃報が届く。
「そうか、奇遇だな。私の場合は『母親』も『父親』も最初からいなかったわけだけど」
張り合うつもりはなかったが、自然と不幸自慢のように、身の上を語ってしまう。
「あっそ。そりゃ悲しいねぇ。じゃあ早いもん勝ちだ、テメェが先に名乗れクソ白野郎」
毒々しい言葉を吐くガスマスクの女性は一歩前進する。
「野郎じゃねえだろう……。私に名はないよ」
「はぁ!? テメェぶっ殺すぞ!」
おちょくってんのか——とガスマスク越しでも分かる程の怒りを声を大にして叫ぶ。
「まぁ落ち着けよ、口汚えな。ただ、便宜上あんたら——あんたら? ヒーローが呼んでる『ナイザー』って言う名前でも、一応私だと認めてる。だからナイザーとでも呼んでくれ」
ナイザーはいつもヒーローやその関係者に対してやっている自己紹介をする。
ヒーローとしての名前は、HSCOが独断と偏見で決めているのがほとんどだ。ナイザーはHSCOに属さないフリーな存在のため、名前は存在しない。国民の声が大きすぎ、その名が定着してしまって決定してしまうヒーローもいるらしいが、ナイザーは表舞台に登場する存在でもない。つまり一般人が知る機会はまずないのだ——それこそ、彼女に助けられた人しか彼女の存在を知らないだろう。そして、自分で名前を決めるだなんてそんな寒々しいことは、ナイザーの性格上出来るはずもなかった。
故に、彼女はいつもこの自己紹介をしている。
「ないざー……? 聞いたことあんなぁ。テメェ、ハスコに目ぇ付けられてる奴だろ」
ガスマスクの彼女はハスコ——HSCOの人間が、ナイザーがどうだと言っていたのを記憶していた。
なるほど、この憎たらしい顔の女がナイザーか——ガスマスク越しにその顔を目に焼き付ける——顔と言っても、フルフェイスのマスクに一粒の大きな赤い目が浮かんでいるだけで、表情や彼女の素顔のようなものは一切読み取れないのだが。
「知ってんのか。私も有名人になったもんだな。で、あんたはなんつー名だ?」
ナイザーの言う台詞に、ガスマスクの彼女は一瞬だけ言葉を失う。そして直ぐ舌打ちをして、嫌々ながらも名を名乗った。
「——ヘルモントだ。覚える必要はねぇ。俺もお前を覚えねぇからな」
「……って言うと、また自己紹介しあいたいって言うことか? 面倒くせえ趣味してんな——ヘルモント」
「趣味なわけねぇだろうがよ! 頭腐ってんのか? ここでテメェをぶちのめすから、覚える必要ねぇつってんだよ!」
ヘルモントは力強く叫び、更に一歩前進した。
彼女の足下——ガウンコートと地面の間から、今度ははっきり見えるガスが噴出される。もくもくという擬態語より、さらさらといった擬態語の方がしっくりとくるような、非常に流動的な動きをしている。
「は? 何でお前にぶちのめされなきゃならないんだよ」
ナイザーはヘルモントの言っていることが理解出来ず、両方の掌を空へ向けて肩の位置まで上げ、そのまま首を傾げて疑問を呈した。
「テメェはヒーローでも何でもねぇだろうが。この先に行ってもクソ邪魔なだけなんだよ。だからテメェをぶちのめして、こっから引っ張り出してやる」
——安心しろ、殺しやしねぇ。
ヘルモントは更に多くのガス垂れ流す。それはすでにナイザーの足下まで来ていた。そのガスが人間にどのような効果をもたらすのか見当も付かないが、煙に接触した闇蟲たちが、こぞってひっくり返っていくところを見るに、身体に良さそうなものではないことだけは確からしい。
「お前も巴みたいなこと言いやがって……。何だよ、ヒーローっつーのはどいつもこいつもHSCOの言いなりで、良い子ちゃんしかいないのか?」
ナイザーは、自分を一般人と位置づけ、怪人との戦闘に関わらせないよう動くHSCO、延いてはそれに所属するヒーローに辟易としていた。ましてや、妨害したり本気で殺そうとしてくる輩もいて、ほとほとうんざりしていた。
初めて会い、どちらかというと反社会的な態度のヘルモントであれば、ナイザーの参入くらいどうでも良いと見過ごしてくれるものと想っていたが、どうやら見込み違いだったらしい。
「HSCOの規則を遵守するのはそりゃ殊勝な心がけだけどさ、それが『本当の意味での人助け』にはならないと想うけど?」
「うっせぇな! 何が『本当の意味での人助け』だ。気色悪りぃ!」
ヘルモントはガウンコートが大きくはためく程身振りを大きくして、不快感を露わにする。
「それでも私を止めたいって言うなら、私はそれを止めない。ただし、そこまで言うんだ、今までの口喧嘩みたいな生易しいものと想うなよ?」
ナイザーはじりじりと、左足を後ろに下げ、瞬時に駆け出せるよう体勢を整える。
だが、ナイザーの言葉に対して返ってきたヘルモントの回答は、予想していたものと違っていた。
「テメェの思想は気持ち悪りぃが——確かにハスコの言いなりっつーのは不愉快だ。クソッタレな奴らがクソッタレな考えでクソッタレなルールを決めやがって。それに従う奴らは、じゃあどうだっつー話だ」
ヘルモントはガスの放出を停止させていた。すでに出ているガスは大気の流れに乗って雲散霧消していく。
「……えっと? どういうこと? つまり、先に進んで良いってこと?」
「あぁん? 勝手にしろクソ白女」
たったそれだけ吐き残していくと、ヘルモントは踵を返し、ナイザーをおいて歩き出した。
もはや戦う気満々だったナイザーにとって、ヘルモントの移り気な情緒は、衝撃的なまでの肩すかしを喰らってしまうものだった。
ナイザーはどうしたものかと、少しだけ悩んだが、今までの目標は変わらない。巴の安全を守ることだ。であれば彼女たちヒーローが向かいそうな場所へ行くしかないだろう。
ナイザーはヘルモントに駆け寄ると、後ろにぴたりと張り付いて追従した。
「……ん? ってンだよテメェ! ついてくんじゃねぇ! どいつもこいつもストーキングしてきやがって! ——っ! もしかしてお前も俺に気が——」
「——他のヒーローたちがどこ向かってるか知らないからさ。ヘルモントあんた、場所知ってそうだったし、そこまで連れってってよ」
そう言うナイザーに、ヘルモントは絶句した。自分の考えと相手の考え、そして自分が相手をどう考えているのかと、相手が自分をどう考えているのか、それぞれの思いが頭をごちゃ混ぜにして、次に紡ぐ言葉が出てこなかったのだ。
「なぁヘルモント」
再び名を呼ばれたことで、何とか意識を取り戻す。
「ンだそれ! お前それで良く『本当の意味で——』とかクソみてぇなこと言えたな」
「クソみてぇじゃねえよ。取り消せ、ぶち殺すぞ……!」
ナイザーは決して冗談とは汲み取れない殺意を放った。その怒気は小さき闇蟲怪人が放つちゃちなものとは比べものにならない。恐ろしい程禍々しい殺意だった。
「——! ンだよ、いきなり……。散々気色悪りぃとか言ってたじゃねぇか……。わぁったよ。クソみてぇじゃなくて、崇高で高貴な気高き思想ですよ! 満足か?」
ヘルモントはこの近距離で戦闘になったらまず勝ち目はないと判断し、ナイザーの戦意を削ぐことへ行動をシフトした。素早い英断は、ヘルモントがただの愚か者でないことを証明している。
「……あぁ、すまない。あまり貶されたくはない言葉だったもんでね」
「そうかい。だったらテメェの中にしまっとけ。口に出した瞬間、その言葉はもうテメェのもんじゃなくなんだからよ」
ナイザーはそんなことを言うヘルモントに感心を抱いた。まさかそのような深みのある言葉を言うと想っていなかったからだ。
そしてそれはヘルモント本人もそうだった。どこからあんなお洒落な台詞が浮かんだのか、思い出すと非常に恥ずかしくなってくる言葉だ。
「えーっと! ヒーローたちの場所だっけか? 実は俺もよく知らねぇんだが、あの金ピカ野郎がこねぇとこを見るに、あっち——この闇蟲どもの中心じゃねえか?」
ヘルモントは自分が来た方角——今現在進んでいる道の更に奥を指さして言った。
「ふーん、なるほど、中心か。確かに何かありそうだな中心ってのは」
ナイザーは首を縦に振って一人納得している。
「分かったらさっさと行けよ! いつまでも俺につきまとうな!」
またも、吐き捨てるようにそう言い残し、先程指を指した方向とは別の方へと歩き出す。
そんなヘルモントの背後に、ナイザーは再び張り付いた。
「——テメェ! 何がしてぇんだよ! 嫌がらせか!?」
力の限り叫ぶヘルモントに、ナイザーは軽々しく答える。
「だって私じゃこの闇蟲の中を渡る術がないし。だから一緒に行こうぜ」
「————————っ! テメェはやっぱりぶちのめす!!」
怒り狂ったヘルモントを説得するのに、更に十分時間を要した。
Heroach 〜ヒーローチ〜 堀岡玖哲 @ku-horioka
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