7-2

「——というわけですの。つまり、ホワイトチョコの方が人気があって然るべきなのですわ」

「でもホワイトチョコって、トッピングと言うかコーティングと言うか、おまけってイメージが強いなー」

「だからこそですわよ。一辺倒なカカオの風味に新鮮さをもたらす純白の救世主。黒という暗い色に白という明るい色を纏わせる。ホワイトチョコがあるからこそ通常のチョコレートがより美味しく感じられるのですわ」

「でもでも! 黒があるからこそ白が映えるってわけだし、下地のおかげってこともあると思うけどな」

「お二人さん、白黒付かない勝敗はそこそこにさ、いよいよ気を引き締めた方が良いんじゃない? ——なんかいるっぽいよ」


 ウルフォルドの声に二人はハッとして進行方向へ顔を向ける。その先は星月の明りで僅かに見える仄暗い街並みが鎮座している。いつもと違うのは、建物も道路も標識も、そこにあるものすべてが闇蟲ごきぶりに覆われていることだ。


 だが、彼女らの目線の先には、ぽっかりと穴が開いたように闇蟲一匹おらず、綺麗——とは事実言い難い——に道路が見えていた。そこにあるのが当然なものであるのに、もはや違和感を覚えるその光景は、彼女らが警戒するのも当然であった。


「中央に何かいますわね……人ですの?」

「他のヒーローかな?」

「——それとも怪人か」


 三人の獣の顔が一層険しくなる。今しがたの牧歌的な雰囲気はどこへやら、肌をさすピリついた空気がこ

の場を制した。


「ゆっくり歩いてくるけど……」

「ですわね。あの人物を中心に闇蟲たちが避けていますわ。それに遠目で見ても小さいですわよ。それこそ若葉の言っていた小学生低学年くらいの背丈しかありませんわね」

「ていうことは、やっぱり怪人なのかな……?」


 近づくたび——近づかれるたびに動悸が早くなっていく気がする。その人物は危険であると野性的勘で感じるのだ。否が応にも身体が強張る。三人それぞれの体毛は逆立ち膨れ上がっており、身体全体で警戒心をまざまざと剥き出しにする。


 虚無の円は怪人を中心に半径五十メートル強といった具合で、アペクシーズの三人は円の淵ギリギリのところへ地に足つける。


「見るからに闇蟲って見た目の怪人ですわね」

「手足がちゃんと四本で良かったよ。あくまで人型だからかな」

「翅でもありそうな背中してるから、飛ぶことは想定しておいた方が良いよ」


 ウルフォルドの言葉に、二人はそれぞれ了解の旨を告げる。


 レプシーはちらりと背後を一瞥する、遅鈍ながらも少しずつ彼女たちから闇蟲が離れていく。それはつまり、闇蟲怪人が近づいてきていることを示唆していた。


 彼女は前を向く。この距離であれば、夜目のない普通の人間でもその姿を捉えることが出来るだろう。闇が凝縮し人の形を成したような悍ましきそれは、こちらを発見したようで顎をカチカチと鳴らし、後ろに反り返るように伸びている触覚を愉快に弾ませた。


「先手必勝だと思うけれど、どう出る?」

「ウルフォルドに賛成ですわ。いつも通りの陣形で責め立てますわよ」

「了解だよ!」


 と、行動を開始しようとした矢先、裏をかくように——ウルフォルドの意見に賛同するように——闇蟲怪人は駆けだした。


「なっ!」


 先頭にはレプシーがいる。真っ先に攻撃されるのは彼女だろう。レプシーは反応しきれずに吃驚の表情を浮かべて、両手を盾にしようと前方へ構える。同じように行動したナーサディの腕がどうなったなど、詳しい話を彼女たちは聞いていない。避けられないのだとしても、攻撃の要である腕を差し出してしまうのは悪手と言わざるを得なかった。


 だが、怪人の拳が届くよりも前にウルフォルドが動く。その速度は闇蟲怪人の速度と遜色ない——否、より速いものだった。


 それは巨大な口だ。子どもであれば一呑み出来てしまいそうな程大きな口、そこにはU字に綺麗で鋭利な歯牙が所狭しと並んでいる。

 ウルフォルドは闇蟲怪人の伸びた腕に噛み付いた。そして顎と首の力だけで闇蟲怪人を振り回し、地面へと叩き付ける。


 起き上がった怪人はすぐさま距離をとろうとするが、身体が動かない。


「レプシー! 急いでほしいですわ! 凄い力で抵抗されていますの! 長時間は押さえつけられませんわ!」


 四本の真っ白な尻尾をそれぞれの方向へ一文字に伸ばして、両手を前方へ伸ばし力を籠めているルナールが叫んだ。

 彼女の妖力も万能ではない。反抗しようと思えば容易に反抗出来る。現に、怪人は見えない力に縛られた身体を必死に動かそうと、全身に力を入れ抵抗を試みていた。


 レプシーは右手を後方へ引き絞り、左足を大きく一歩前へ踏み出す。可愛いと形容されるに納得出来るその手から伸びる鋭い爪は、もはや凶器と言って差し支えない。


「せりやぁーーーーあ!」


 勇ましい掛け声とともに、レプシーは闇蟲怪人を思いきり殴りつける。

 怪人は勢いよく吹き飛ばされ、三回程地面に叩きつけられるように転がる。闇蟲たちがそれに伴い近寄り、そしてルナールの着物の数センチ手前で停止した。


「ごめんですわ! 攻撃が当たる直前、私の拘束を振り解いたようですの」


 彼女の言う通り、闇蟲怪人は難なく立ち上がり、大きな叫びを上げ怒りを露わにしている。その顔には左頬全体に大きな爪痕が残っている。その傷口から黒々とした液体が流れ出ており、怪人の頬を濡らしていた。


「怒ってるみたいだけど、次はどうする?」


 ウルフォルドが両手両足を地に着け、いつでも駆け出せる体勢になりながら、二人へ問いかける。


「レプシー、殴ってみてどうでしたの? 倒せそうですの?」

「うん、しっかり攻撃が当たればいけないことはないよ。でも、すごく硬いから本当に全力の攻撃を当てないと駄目だと思う」


 ルナールの質問にレプシーは経験から倒せそうだと判断しそう答えた。

 それを聞いた二人はにやりと笑う。


「でしたら簡単ですわ。レプシーが全力で倒すなら、私たちは全力で翻弄し全力で拘束するまでですの。行けますの? ウルフォルド」

「当然。このノロマなら直ぐ決着付くんじゃない」


 余裕綽々といった様子で言葉を返す。吊り上がっている口角からは、楽しそうな感情すら読み取れる。

 レプシーとルナールはその言葉に安心する。きわめて冷静な彼女だからこそ、難しいときは難しいとしっかり言葉にするし、勝てないと判断したら迅速に撤退の命令を下す。そんな彼女が、不安を感じさせない雰囲気で勝てると言ったのだ。


「ではレプシー、チャンスが来るまでは不用意に動かないこと、良いですわね?」

「もっちろんだよ!」

「ウルフォルド、奴をこちらまでおびき寄せ、そして隙をつくって欲しいですわ」

「任せて」

「私は見事に拘束して見せますわ。次は五本で行きますわよ!」


 ルナールはてきぱきと指令を出すと、ギリギリと口を強く閉じ厳めしい表情をつくる。すると四本生えている尻尾の根元が、再びもぞもぞ動き始め、そして五本目の尻尾が躍動して現れる。


「行くよ!」


 レプシーの掛け声で、三人は走り出す。レプシー、ルナールは自分の出しうる五割程度の速度で駆ける。最も速いのが当然ウルフォルドだ。


 その三人の行動を見た闇蟲怪人が遅れて走り出す。両者の間は五十メートル程しかない。ウルフォルドと闇蟲怪人が再び相まみえるのは五秒にも満たなかった。


 先に攻撃を仕掛けるのはウルフォルドだった。彼女は四足にて走ってきたが、両前足を上げて小さな闇蟲怪人へ覆い被さるかのように迫る。開かれた口は、闇蟲怪人の頭部がすっぽり入ってしまうであろう程大きかった。


 対して闇蟲怪人は、今しがた攻撃されたばかりのその大きな口を意識してしまったのか、目線と拳が凜々しい狼の顔へと向かっている。


 いくら彼女が速かろうとも、闇蟲怪人も速度に関しては負けず劣らずのものを持っている。先程腕を噛まれたのは、標的がレプシーだったためだ。一対一であれば、その素早さは拮抗する。


 確実にカウンターをとられたかと思いきや、闇蟲怪人の攻撃は空を切った。


 ウルフォルドは右足の爪を地面に食い込ませ、スピードを瞬時に殺した。そして俊敏な動きで身を屈ませたのだ。それは相手から見れば、一瞬で消えたのではと錯覚する程だっただろう。


 背の低い怪人よりも更に低い位置に身体を潜ませたウルフォルド。彼女の顎はまだ開いたままだ。火山の噴火が如く、ウルフォルドの牙が闇蟲怪人の喉元へ向かう。

 一瞬だけ、怪人は彼女の居場所を見失ってしまった。確かに闇蟲怪人は速い。だがそれは彼女と同等でしかないのだ。


 一瞬の行動停止が命取りだった。


 首を噛みつかれた怪人は、彼女の乱暴な首の動きで、再び宙を舞う。

 間髪入れずにウルフォルドは、真上から怪人の背中目がけ掌底打ちを喰らわす。たいした打撃はいらない。ただ怪人を地面に触れさせておきたかっただけだ。


 闇蟲怪人は翅を広げ、飛び立とうとする。

 捷速なウルフォルドは目にもとまらぬ速さで、闇蟲怪人の背中へと乗っかり、翅の動きを阻害した。


「ルナ! 私の力じゃ無理だ! 早く拘束!」

「分かりましたわ!」


 ウルフォルドの声に、ルナールは叫ぶように答える。次の瞬間、怪人を取り囲むように五つの白く太い尻尾が、地面を突き破り生えてくる。ルナールの尾てい骨辺りを見ると、五つの尻尾全てが地面へと吸い込まれていた。

 五つの内四つの尻尾は、それぞれ闇蟲怪人の四肢を拘束する。植物の蔓のように毛の一本一本が腕に脚に絡みついていた。

 五本目の尻尾は闇蟲怪人の背後に回ると翅を飲み込み、一切の身動きを封じてしまった。


「さぁレプシー! かましてやるのですわ!」


 尻尾を器用に操り怪人をレプシーの方へ向け、大の字で少しだけ宙へ浮かす。その位置であれば、レプシーの全身全霊のパンチが、闇蟲怪人の胸を直撃するだろう。


 レプシーは助走を付けて、そして目一杯振りかぶり、雄叫びを上げる。


「にゃぁあああああああ!」


 彼女が放つジョルトブローは、威力の逃げ場がない体勢である闇蟲怪人の胸のど真ん中に当たる。そこからえぐり取るような手と爪の動きで、怪人の上半身の四割程が吹き飛んだ。

 四肢を縛り上げられ吊されている闇蟲怪人は、力なく痙攣したかと思うと、電池が切れた人形のようにがくりと項垂れた。


 動かなくなったそれを乱暴に放り出す尻尾は、地面へと潜り込むと、ルナールの足下から顔を出す。土が少し付いており、折角の白無垢を思わせる美しい毛色が台無しだった。


「いつも思うのですけれど、レプシーのそれ。本っ当にエグいですわよね……。『必殺猫パンチ』」

「『必殺猫パンチ』で死ななかった怪人見たことないしな……。怒らせたらレプが一番怖いと思う……」


 無残に体液をはき出しながら倒れ伏す怪人を見下ろして、二人は顔を青ざめながら言う。


「そんな暴力女みたいに言わないでよ! 人にやらないって! それに『必殺猫パンチ』っていうの止めてってば! なんかいろんな理由が混ざり合って嫌だ!」


 三人は勝った余韻に浸ることなく、早くもいつも通りの談笑を始める。

 女三人寄れば姦しいとは言うが、二人の時点で姦しいのだ、興奮し口数が多くなっているウルフォルドが加われば、喧しい程である。


「ねぇねぇ! そういえば忘れてたけど、怪人見つけたら報告するんじゃなかったっけ? もう倒しちゃったけど」


 レプシーの少し間抜けに思える表情と声色に、二人は黙って顔を見合わす。口を開いたのはルナールの方だった。


「レプシ—、貴女がリーダーなのですし、貴女が報告するべきですわ」


 彼女は女性が髪の毛を弄るような自然さで、尻尾の手入れをしながら言った。


「何でこんなときだけリーダー扱いするのさぁ……」


 がくりと肩を落とし耳が垂れる。


「それは良いけどさ、このままここに突っ立てて良いのか? この怪人が死んだら闇蟲たちが近づいてきたりしない?」


 ウルフォルドがそう言いながら周囲を見回す。そのたびに揺れ動く尻尾に戯れつきたくなる衝動を、レプシーは必至に堪える。


「確かにそうですわね。少し疲れていますけれど、背に腹は返られませんわ。それ!」


 ルナールは子どもらしく掛け声を上げる。すると再びウルフォルドが宙へ浮かんだ。


「また私か……」


 独りごちる彼女の声は二人に届かない。いそいそと二人は背中に乗った。


「では、通信よろしくですわ」


 五つの尻尾を真っ直ぐに伸ばしたルナールは、脚をぱたぱたと動かして、レプシーの仕事を待っている。


「もぅ!」


 いつもの口癖で唸ると、レプシーもといともえは変態を解除する。ライオン状態のままだと手が獣のそれになっているので、通信機が扱えないためだ。


 誰にでも分け隔てなく快活な巴は、通信機の奥にいるオペレータへも愛想良く振る舞う——当然、狙ってやっているわけではない。彼女の性格、性質そのものからにじみ出る親しみやすさだ。

 しかし、元気よく朗らかに応答していたのは最初だけだった。

 一時、不思議そうな表情を浮かべ、次に困惑した顔つきになる。少し大人しくなったかと思うと、次には喫驚を浮かべていた。


宇賀神うがじん指揮官! どうしたんですか?」


 巴が口にした人物名に、二人も驚き困惑する。あくまで指揮官である立場の彼は、直接ヒーローと通信をとることは滅多にない。そして、三人が不安に思っているのは、その滅多にないという点に起因している。


 全くない、と滅多にない、とでは意味が大きく違う。冠が直接ヒーローと通信するとき、それは、何か異常事態が起きたときだ。


「何か問題でも発生したんですか?」


 巴は矢継ぎ早に言葉をかける。冠の話すタイミングがない程だった。


「レプシー落ち着け。良いか? 後に全体回線を用いて改めて行動を指示するが、今はまず、闇蟲の群れの中心へと向かえ。追って全体回線で詳細を説明する」


 巴が何かを言う前に、通信は切れた。勿論、その命令に従う以外に考えはなかったが、こうも一方的に指図だけされるとなると、反抗したい気持ちが芽生えなくもない。


「どうしましたの? 指揮官の名を出していましたけれども……何か問題ですの?」

「……分かんない。とにかく、この闇蟲群の中心に向かえって言ってた。追って全体回線で連絡するって……」


 ルナールの不安に満ちた表情に、同じくらいの不安を抱えた巴は、眉をハの字にして困り果てた表情で答える。


「分かんないって……あの指揮官、時々言葉足らずになるよね」

「ウルフォルド程じゃありませんけれどね」

「はぁ?」


 凄まじい勢いで会話の雰囲気がシリアスなものから、いつものまったりとした和やかなものへと変わる。

 女性のみのチームらしいと言えばらしいものだろう。


 そんな会話が再び遮られ、絶望を突きつけられるのは約五分後の話だった。

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