7-1

「うげぇ……改めて見るとかなり嫌かも……」


 どこぞの風を操るヒーローよろしく、忌避の念を思わず吐露してしまったのは、アイドルらしい華やかなオレンジ色の衣装に身を包んだともえだった。


 その服は上下でセパレートしており、腹部は素肌が露出している。これから会場でライブを開催すると言われても、何の疑問も持たずに納得出来る装いだった。しかし当然、彼女の前には大量の闇蟲ごきぶりがダムのようにせき止められ、滞り群がっている。


「たかが蟲ですわ。勿論、されど蟲なのですけれど。だからといって、現実から目を逸らしたとしても、私たちがやることは何も変わりませんのよ?」


 そう巴を諭すように説法するのは、白を基調とし袖口や裾あたりに薄く淡い水色が舞うようにあしらわれている衣服に身を包んだ深雪みゆきだった。彼女も巴同様、装いも新たにこの戦場へと赴いている。


 HSCOからヘリコプターに乗る前は豪奢なドレスだったが、今は和服を着ている——豪奢であることは変わりないが。顔立ちがはっきりとしており、その美貌を有した彼女が着ると、和洋折衷にも似た趣があり、和服ならでは、とはまた違った美しさを醸し出してた。


「……大丈夫、闇蟲が巴に纏わり付いてきたら、私が退治してあげる」


 情動を限りなく抑え、酷く冷淡な語調でそう言ったのは、巴と色違いの衣装を着た紺碧あおいだ。彼女はその名の通り、紺碧こんぺきに染められた、アイドルが着るようなフリルの付いた服に身を包んでいる。巴のスカート姿は胸中にストンと入るものであるが、紺碧のスカート姿は非常に不自然でアンマッチだった。だが、その不調和さがファンの中では人気を博している。


「ありがとう紺碧。うーん、これどうやって進もうか……?」


 とはいえ、アイドルである巴はヒーローでもある。ここで闇蟲が気持ち悪いから、人々を救うのを諦めますなど、言えるはずもない——そもそも、彼女たちからはそんな考えが浮かぶことすらない。


「試しにあの蟲たちを踏ん付けてみてはいかがですの? 足が無事返ってきたらそのまま横行闊歩出来ますし」

「無事じゃなく返ってきたら——返ってこなかったら洒落にならないよ! 若葉さんが言ってたでしょ? 人を襲うんだって、この闇蟲。不用心に近寄らない方がいいかもね」


 どこぞのプリン頭の友人を思わせる意地悪い笑みを浮かべている深雪の発言に、巴は冗談と知りながらも正論を返す。所謂ツッコミというものだ。昔から冗談ばかり吐く友人がいたせいで、彼女はボケにはツッコまざるをえない質になっていた。


「実際に見たわけではないのでしょう? 案外安全かもしれませんわよ?」


 そう言って深雪は足下に転がっていた空き缶を手に取る。

 こんなときでも清掃活動だろうか、流石ヒーローだ、と巴が感心をしていると、深雪は闇蟲の群れへそれを投げた。

 空き缶は地面へ接触する音を鳴らさずに跳ねる。ほとんど重なり合う程の量の闇蟲にあたったのだろう。その瞬間目立つ鮮やかな色をしていた空き缶は、一瞬のうちに黒に染まって闇蟲の中に溶け込んだ。


「……凶暴ですわね」


 ある一定の範囲内から外に出ない闇蟲たちはごそごそと蠢いているが大人しいものだった。しかし換言すると、範囲内に入ってきた場合、急激に気性が荒くなり対象物を襲うかもしれないという可能性の示唆にも思える。

 それを確かめるための投擲だったわけだ。そしてその可能性は寸分も違わずに当たったらしい。

 迂闊に身を賭しての行動は控えるべきだろう。


「じゃあさ、車に乗って渡るとかは?」

 紺碧が近くの無造作に停めてある車へ目配せをして言った。


「あー、確かに! それなら車に守られているから襲われないし、タイヤで踏みつぶして行けるもんね! それに何より疲れない!」


 アイドルスマイルで紺碧の意見に賛同した巴だが、その二人とは調和性のない格好をした深雪が、しかし——と反論を口にする。


「私は免許証持っていませんわ。二人は持っていますの?」


 そう言われ、巴の笑顔は固まった。紺碧は無表情を貫き通す。だが目を逸らしたその顔には、私も持っていない、と書いてあった。


 免許などとこの緊急事態に何を言っているのか、と更に反論を重ねることはなかった。

 当然である、彼女たちはヒーローなのだ。あくまで法の下で異能力を行使し、許された戦闘を行っている。暴れたいから異能力で暴れているのではないし、殺したいから怪人という目標を殺害しているのではない。

 故に、運転免許証を持っていないと公道を運転することは許されない法があれば、彼女たちは疑問を感じることなく従うのだ。


 定められた制約の下、怪人を鎮圧し世界に平和をもたらす者こそがヒーローである——HSCOのに所属した初日に、ヒーローたちへ必ず言われることだ。


 国民——一般人たちは、力ある者が縛られていなければ安心出来ない、そんな考えの裏返しがヒーローたちを束縛している。


「じゃあどうするの? 一匹一匹倒していくなんて日が暮れちゃうし、深雪の能力で殲滅、っていうわけにも行かない。怪人に会う前に疲弊しちゃったら元も子もないもんね」


 うーん——巴は頭を抱える。


 自分たちのチームで出来ることはかなり限られている。巴の異能力は『ライオン』だ。広範囲の敵を一気に攻撃出来る力ではないし、敵を近寄らせない防御壁を構築出来るわけもないし、空を飛んでいくことも出来やしない。一対一になれば百獣の王の力を用いて、あまねく善戦出来るだろう。しかしこうも有象無象の大群となると、全く活躍出来る気がしなかった。


 それは紺碧も同様だ。彼女の異能力も巴と似たタイプのものだ。身体能力を格段に向上させるのみで、火を吹けたり風を操ったり出来る力は備わっていない。


 そのため、紺碧も巴と同じくして作戦を考えている。うーん、とつい唸ってしまう巴とは違い、右手を軽く握り、人差し指の第二関節を唇に付け、左手はそれを支えるように右腕の肘へ添えられている。

 このような状況でなければ写真でも撮りたくなってしまいそうな程様になっている紺碧だが、彼女の口からも新しい案が出ることはなかった。


 そして深雪だ。彼女は力強く尊大に腕を組んで眉間にしわを寄せて思案している。考えているより怒っているように見える深雪だが、三人の中で次に発言をしたのはその深雪だった。


「ここは私の異能力使うしかありませんわね。乗り物は先程の理由で駄目ですし——そもそも自動車どころか自転車すらまともに運転出来ない人もいますもの、私たちのみの力で進むしかないですわ」

「ん? 自転車すらって、誰のこと?」

「……?」


 そんな情報初耳だ、と巴は深雪の言葉に質問を投げる。自分ではないし深雪が言ったのだから紺碧だろうか? ちらりと紺碧を見るが——彼女も自分ではないことを知っている、且つ巴が誰と疑問を呈したということで——深雪を睨め付けている。


「私ですわ! 自転車なんて一度も乗ったことがありませんもの!」


 深雪は自信満々に胸を張り、右掌を胸に当ててそう鼻高々と宣言した。


「何でそんな誇らしげなの……」

「深雪の異能力ね。で、どう使う?」


 巴、紺碧、彼女ら二人のシンプルな異能力とは違い、深雪は非常にトリッキーな異能力の持ち主だった——異能力自体はさほど難解な力ではない。『風』という自然現象を操る大それたものではないし、『重さ』などという概念を操るものでもない。その点では、アペクシーズは皆同じ異能力の系統である。

 ——別動物への変態。それは数ある異能力の中で最もシンプルなものだ。だが、彼女はその変態する動物が異質だった。


「どうにでも——貴女たち猫ちゃんとワンちゃんでは出来なくとも、私の『妖狐』なら何でも出来ますわ——出来ないことなどないんですのよ」


 横柄な態度で尊大にそう言う深雪に、巴はいつも通り、そして紺碧も珍しく抗弁する。


「猫じゃないよ! ライオンだって!」

「狼だ。それにワンちゃんっていうなら、狐だってイヌ科だろ?」

「ただの狐と一緒にしてもらいたくありませんわ。幻想の生物、謂わば『ドラゴン』や『フェニックス』といった上位種ですのよ」

「でも狐は狐じゃん」

「む」


 これ以上話すのは時間がもったいないと判断したのか、それとも確かにその通りで、反論するための論拠がないと考えたのかは定かでなかったが、深雪は目を細めて紺碧を睨むと、小さく、短く唸る。そして、「まぁ良いですわ。お二人とも準備を」とだけ言った。


 深雪は瞳を閉じると、異能力を発動させる。


 彼女の頭髪から色という色が抜け落ちる。それはまるで、しんしんと降り注ぐ純白の雪のようだった。そして頭頂部からは同じく白雪を思わせる毛色をした二つの耳が生えてくる。もぞもぞと臀部あたりの着物が動き出すと、真っ白でふっくらとした尻尾が顔を出した。その数は四本で、それぞれが独自に動いている。目を開いた彼女が手素早く二回叩くと、彼女の顔——鼻から上を覆い隠すように狐を思わせる面が姿を現す。当然その面は白く、そして耳はない。


 白磁器のような肌に栄える艶やかな桃色の唇が、静かに微笑んだ。


「さぁ! 行きますわよ! 開戦の狼煙を上げるのですわ!」


 神秘的な姿とは裏腹に、斜め上方向にビシッと人差し指を向けた彼女は、決めポーズらしくその態勢を保っている。角度と指向性を持たせたクラーク博士のような格好の彼女を、呆れた表情で見つめる二人。ざわついているのは闇蟲という名の観客だけだった。


「……な、何ですの? ……二人とも準備をしてくださる!?」


 じろりと細い目で睨んでくる二人に、彼女は自分と同じく変態するようを促した。


 僅かに声を漏らし笑った巴は、「よし! やるよ!」と快活に返事をする。


 彼女は全身に力を込める。身体が小刻みに震える程、全力を注ぐ。すると、頭部と腕、足部に変化が訪れた。頭頂部からは小さく先の丸い耳が、跳ねるようにして現れる。微かに動いているそれは間違いなく本物だった。髪の毛のボリュームも増え、ふっくらとしている。そして固く握られている手も徐々に野性味溢れるライオンのそれに変貌を遂げていた。肘の手前程まで黄褐色の体毛に覆われているその腕の先端には、非常に鋭い爪がギラリと伸びている。また彼女の履いていた靴や靴下を破砕させて露わになった足も、腕と同じく黄褐色の体毛に覆われていた。煌びやかなオレンジ色のスカートからは、これまた可愛らしい尻尾が生えている。尻尾の全体は耳や手と同じく黄褐色だが、先端が黒に近い茶色でつぼみのように膨らんでいた。


 同時に紺碧も変貌を遂げている。


 彼女は二人と違い、ほとんど人間の要素をなくしている。二足歩行であり手足の先端が霊長類のそれらしいこと以外は、完全に狼の姿をしている。紺碧と鉄紺をない交ぜにした色合いの体毛は全身を覆い、人だった頃の人形のような美しい肌は見る影もなかった。鋭い爪牙は、生物を殺めるためだけに存在しているような禍々しさがある。骨格すら変わってしまった彼女の顔は、しかし、どこか美しさが残っているようにも思える。人間の要素がほとんど皆無と化した彼女だが、身に纏う可愛らしい衣装が最期の人間らしさを感じさせ、また間抜けな雰囲気を醸し出してた。


「よーし! 行けるよ深雪!」


 手を握って開く——その手は完全に猫の手になっているので、そのように見えるというだけだが——という動作を数回繰り返すと、巴——レプシーは旺盛に応える。


「ヒーローとしての姿になったのですから、名前で呼ぶのは御法度ですわよ、レプシー」

「あぁ、ごめんねルナール。ウルフォルドも行けそう?」

「あぁ、準備出来た」


 三人はそれぞれ異能力を解放し変態を遂げる。それはヒーローとして本格的に始動するという合図でもあるのだ。であれば、ヒーロー名で呼び合うのが暗黙の了解だった。


「で、ルナールの力を使うって言っていたけど、どう使うの?」


 レプシーは首を傾げて耳をぴくぴく動かす。


「言いましたでしょう? 狼煙を上げると——実際に上げるのは煙ではなく、狼そのものですけれど」

「狼そのもの……?」


 ルナールの口角が上がり不穏な台詞が飛び出る。それを聞いたウルフォルドは、ルナールの頭髪に負けないくらい白い歯牙をむき出しにして、彼女の言葉を繰り返す。


「えぇ」


 短く返すルナールは人差し指をウルフォルドへ向けると四本の尻尾が扇状に真っ直ぐと伸びる。そして指を素早く曲げ空を指さした。

 そのとたん、ウルフォルドの身体がゆっくりと宙に浮く。


「ちょっと! 何すんだよ」


 珍しく焦った彼女は、手足をじたばたとさせ超常的な力に逆らおうとする。が、健闘虚しく彼女の努力は文字通り空回る。


「乗り物には乗らないと言いましたけれど、生き物に乗っていきますわよ、レプシー」

「え、ど、どういうこと?」


 もしかして——と予測が浮かんではいるが、まさかそこまで珍妙な方法でこの闇蟲地帯を渡るわけがないだろう——そう思ったレプシーは確認の意を込めてルナールへ真意を訊ねる。


「ですから、ウルフォルドの背に私たちが乗って空を渡るということですわ」


 レプシーは小さく「やっぱり……」と呟く。


「何で私だよ」


 狼の顔とはいえ、ウルフォルドの顔は、人間だった頃より十分表情豊かだった。彼女の顔は、お前がやれ、と告げている。


「三人の中で一番背が高い——つまり、私たちの乗る面積が多いのがウルフォルドだったからですわ。レプシーがもう少し太っていたら、彼女にしたと思いますわよ」

「も、もう少しって何! ちょっとも太ってないよ!!」

「つかさ、三人それぞれを飛ばせば良いんじゃないの? 私だけ飛ばさなくてもさ」


 容易に想像出来る惨めな姿を何とか避けたいウルフォルドは、尚も抗議の声を上げる。少しでも可能性があるのであれば縋りたい、それ程追い詰められていた。

 だが、すでに宙に浮いている身——当然手も足も出るわけがない。


「一つ百キログラムの荷物を三つ浮かせるのと、一つ三百キログラムの荷物を一つ浮かせるのでは、前者の方が圧倒的に労力を必要とするのですわ。怪人との戦闘に備え、なるべく疲労をため込みたくないんですの。致し方ない措置ですわ」


 宙を舞うウルフォルドは、その言葉を承諾する他なかった。いろいろと駄々を捏ねることも出来るし、そもそも力尽くで暴れてしまえば、この拘束も解けるのだが、他の案なしで実行可能な案を否定は出来ない。

 それに彼女が嫌がっている理由は外面的な問題である。自分に乗っかられても、浮かべているのはあくまでルナールなので、ウルフォルド自体は力を必要としない。あくまで格好悪いからという理由だけなのだ。しかし、ここには現在アペクシーズの三人しかおらず、報道関係者やファンは目の見える範囲にはいない。気にする必要は全くなかった。


 ウルフォルドはアペクシーズの中で最年長だ。だったらお姉さんらしく、大きな心でルナールの意見を承知するのが最も賢い選択だ。

 彼女は小さくため息を吐いてから「分かった」と言って、アペクシーズ最年少であるルナールの意見を肯んじた。

 二人はウルフォルドの背中へと乗る。


「あお——ウルフォルドってやっぱりもふもふしてて気持ちいいなぁ」


 だらりとだらしなく四肢を放り出して宙に浮遊しているウルフォルドの尻尾を下敷きに、尻のあたりへ座るレプシーが、紺碧色の背中を擦りながら甘い声で言う。


「もふもふ具合なら私も負けていませんわよ!」


 そう言って人狼の肩甲骨あたりに横向きで座るルナールが、ぴんと伸びた尻尾を慎重に撫でつつ対抗する。

 レプシーは少し驚いた表情を見せて、これ見よがしに見せつけられているルナールの尻尾を、豆腐をつかむように優しく握った。


「きゃん!」


 突如甲高い悲鳴が聞こえた。それと同時にルナールの尻尾が枯れかけの草花のように萎れる。するとウルフォルドの高度が急降下した。


「うわ、ちょっと!」


 目を見開き周章狼狽とするウルフォルド。眼下に広がる闇蟲たちが近づくのを拒もうと、犬かきのように手足をばたつかせる。


「危ない! ——ですわ!」


 ルナールが再び力を込めると、尻尾が真っ直ぐに伸びる。そしてウルフォルドの降下も止まった。手足の先が闇蟲と数十センチといったところだった。


「何するんですの巴! 妖術の使用中は尻尾が弱点だと知っているでしょう!?」


 あまりの焦りようにレプシーを本名で呼び叫ぶ。その顔は焦燥と憤怒に塗れていた。


「ごめん! 自慢げに突き出してたから、触っていいのかなって、つい……」

「つい……じゃないですわよ! 全く……レプシーはそういうところが抜けていますわよね。天然と言うのかしら……」

「天然の一言で片付けられちゃ堪ったものじゃないぞこっちは!」


 いつも冷静だが、珍しく——否、当然の如く、牙をむき出しに狂犬よろしく低い唸り声を上げるウルフォルド。あとちょっとで四肢の骨がむき出しになっていたかもしれないのだ、簡単に済ませて良い話ではないという、彼女の意見も分かろうものだ。


「ままっ、何事もなかったのですから、そう唸るものではありませんわ。それに巴——レプシーの天然は今に始まったことではありませんもの」


 ——ね? と語調を強くし睨むルナールに、レプシーは、ごめんと苦笑いするしか出来なかった。


「——確かに、それもそうだな。それにルナの精進が足りないという見方もあるし」


 速くも平静を取り戻しつつあるウルフォルドはため息を吐き、いつものようにレプシーを庇うような言を発する。


「何を言いますの! 聞き捨てなりませんわね。私これでも毎日鍛錬に励んでいますのよ? その結果、そーっとそーっとやさーしく撫でることなら出来るようになったのですわ」

 実演をして見せながらルナールは力説する。彼女の手は尻尾に触れるか触れないか——よく見ると触れていない——の距離を保って尻尾を撫でるように動いている。


「ところで、怪人全然見当たらないね」


 動物らしく夜目が利くのか、遠く前方を見ながらレプシーが言う。


「被害範囲は結構な範囲でしたもの、私たちの反対側に怪人がいたら、全く見当たらないのも当然ですわ」


 同じく周囲をキョロキョロと見回すルナール。その度に揺れる尻尾が愛おしく、再び触りたくなる欲求がレプシーの中に沸々とわいて出た——というより、ネコ科としての本能というべきだろうか。次ルナールの尻尾を触ったら、恐らく本気で怒られるだろう——先程も本気で怒られていた気はするが——レプシーはブンブンと大きく頭を振って邪念を掃った。


「五分くらい飛んでるけど怪人見当たらないもんね。もしかしてら他のチームにもう倒されてるかも」

「そしたら通信が入るはずですわよ?」

「……そもそも速度が出てないからじゃないの?」


 二人ですでに姦しい彼女らの下から、冷淡な物言いが聞こえてくる。三人は改めて周囲を見る。その景色はゆっくりと、まるで散歩でもしているような緩慢な速度で流れて行っている。


「仕方がないではありませんの。なるべく力を使用するわけにはいきませんもの、尻尾四本の力であればこの程度が限界ですわ。——ウルフォルドが縮んでレプシーが痩せればもう少し速度は出ると思いましてよ?」

「太ってないよ! 筋肉で重たいだけ——って重たくもないよ!」


 レプシーの唸りは、ウルフォルド程鬼気迫るものではない。ゴロゴロと喉を鳴らす様は、構ってほしいが故に母親へと向ける甘えた唸り声にも聞こえる。迫力のない彼女の表情に、ルナールは皮肉や嫌みの一切ない、柔和な笑みを浮かべた。


「もぅ! 何で笑うのー!」


 ある意味では緊張感のない、しかし別の意味で自然体である彼女らは、そんないつもと変わらないやり取りをしながら、空中散歩に勤しんだ。当然、遊んでいるわけではない——ウルフォルドだけは。愉快に談笑している二人をよそに、彼女は目と耳と鼻で怪人の有無を探る。


 故に、その異変に気付くのはそう時間はかからなかった。

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