6-2

「うむぅ! 上出来じゃろう!」


 開始の合図から義虎丸ぎこまるの納得した言葉が出るまでの内に、道に刺さっていたり埋まっていたり転がっていたりしている釘の数が十本程増えていた。それらは太さも長さも重さもまちまちで、一本として同じものはない。


 そして長い実験の末、彼が満足したものは、長さは丁度一メートル、重さは二トン弱、太さは両手で囲みつかめる程度、頭の大きさは直径が平均成人男性の一足半分。それ程の大きな釘を、義虎丸はうれしそうに振り回していた。


「それで師匠ー? そんなもん作って何するんです? 日曜大工ですか?」


 未だこの釘を用いてどのように闇蟲ごきぶりたちの沼を渡っていくのか理解出来ていない二号は、時間をかけて作り上げた理想の釘を、そんなもん呼ばわりして、用途を訊ねる。


「分からんか? 壱ぃ、お主はどうじゃ?」

「すみません、その釘で怪人を殺すのかと思っていましたが、しかしここの闇蟲たちをどう越えていくかという点では、分かりません」


 代わりに説明してくれれば御の字と思って一号に振ってみたが、残念なことにこれまでの行動の真意を見抜いてはくれていなかった。

 少し頭の堅いところがある彼だ、それもやむなしだろう、義虎丸はそう考えを改め、説明をし始めようとしたが、天蓋の奥から強い視線を向けられている気がして、三号にも同じように聞いた。


「参や、お主はどうじゃ?」

「ぼ、僕ですか? た、多分ですけど。さっき自転車を見て思ったんです——義、師匠が投げた自転車です。闇蟲たちが自転車に群がっていったとき、少しだけ、本当に少しだけ間があったなって。う、埋め尽くされるまでにです。なので、もしかしてなんですけど、もしかしたら、その釘を投げて、そして釘が闇蟲に埋め尽くされる前に投げた釘に跳び乗って。そしたらまた次の釘を投げて、埋め尽くされる前に跳び乗って、というのを繰り返していくつもりなんじゃないかなって、僕は、そう思いました……けど……」


 三号はしどろもどろに早口でそう言うと、言葉尻を窄めて、そしてまた俯いた。虚無僧が沈痛に暮れる様はなんとも味わい深いものがあったが、両手を身体の前で握っては解して、そしてまた握るを繰り返し、落ち着きのなさが表れてしまっている点を鑑みると、どこか可愛らしいと思えてしまう。


「その通りじゃ! 流石は参よのぉ。お主たちも見習うべきじゃぞ」


 と義虎丸は言う。が、実際のところ、三人の弟子には考え方の矯正をするつもりはなかった。それぞれの伸ばすべき性格を伸ばして、義虎丸自身が思いつかない画期的なアイディアを期待しているからだ。

 その言葉はあくまで、形だけの教育に過ぎなかった。


 そもそも、彼らも立派な大人だ。老獪なだけの手段で人ひとりの考えが改まるとは思えない。それこそ人生観を変える程の出来事でもなければ、人が変わる、などということは起きないだろう。

 常に命を戦闘に投じている彼らは、尚更今のままでいるしかない。そう言う考えもあって、義虎丸は彼らへ変化ではなく成長を切に望んでいたのだった。


「釘を渡り跳ぶ!? ……待ってください、それっていろいろ無理がありませんか? だって、釘を持てるのは師匠か——頑張って二号くらいでしょう? 私たちはどう渡れば良いというのですか?」

「壱ぃや、お主には応用力というものが足りんのぉ。良いか? ワシらは仲間じゃ——班なのじゃ。であれば皆で協力して渡るのが筋というものじゃろう」


 義虎丸は一号へ諭すように語りかける。しかしその言葉の裏には、優しく教えてあげるのはこれで最後だぞ、という脅しめいたものが見え隠れしている。

 何でも教えを請うてばかりでは成長につながらないと、義虎丸はそう思ったのだ。

 そんな感情を読み解けたのか定かではないが、一号がハッと息を呑んで、もしかして——と言葉を続けた。


「——二号の背に全員が乗り、三号が釘を生成、師匠がその釘を投擲、そして二号がその釘に跳び乗る、という具合に進んでいくおつもりですか?」

「ご名答じゃ。流石は壱ぃじゃのぉ」


 そう言う義虎丸の言葉はもはや皮肉にしか聞こえないが、彼自身は毒のある言葉を言っているつもりは毛頭なく、純粋に称賛を送っている。また、一号においても愚直な程純朴に、師匠の賛嘆を受け入れた。


「でもそれって、一号さん何もしてなくないです? サボりですかぁ?」


 嫌味ったらしくニヤニヤと笑いながら言う二号に、一号は牙をむいて睨め付ける。


「これこれ、弐ぃや。人にはそれぞれ役割というものがあろうて。怪人の移動阻害を主とする壱ぃには出来ぬこともあろう。それを補うのが先も言った通りの仲間じゃ」


 本日何度目になるかわからない一触即発の雰囲気——そのうち何回かは爆発している——を沈めるべく、義虎丸は手に持つ釘で二号と一号をそれぞれ指し示しながら言った。


「はいっす!」

「はい、すみません!」

「何故壱ぃが謝るのじゃ……」


 義虎丸は釘を肩に担いで、不思議そうな顔で言った。すんなりと認める二号には納得がいったが、一号が謝ったのは解せないようだ。しかし三号にはその意味がわかる。何せ自分で成形した釘だ。それがどれ程のもので、そんなものに殴られたらどうなってしまうのか、容易に想像がつく。


「さて、じゃ。壱ぃも言っておった通りの方法でこの闇蟲の湖面を渡るとするかのぉ。弐ぃや、準備をするのじゃ。参や、この釘を素早く成形出来るよう頭の中を整理しておくんじゃぞ」


 二人は静々と頷く。


 二号は腰を落として中腰になり全身に力を込めた。すると、筋肉が次第に膨張して行き二号の風骨が徐々に大きくなる。若干たるみ気味だった空手着は、二号の身体にぴたりと貼り付き密着している。それでも、尚大きく育つ筋肉によってはち切れんばかりに引き伸ばされていった。次に二号の顔が赤くなる。力んだことにより血液が集中し赤ら顔になっているのとはわけが違う。それは塗料で塗りたくられているかのような濃い赤だった。その赤が全身——空手着によって身体の大半は隠されているが——に広がり渡る。鋭く伸びた牙を剥き出しにしつつ荒々しく息をしているその様はまるで鬼のようだった——否、それは紛うことなき鬼だ。その証左に、二号の頭部から一本の角が生えてくる。


 一六〇メートル程だったやせ型の彼が、全長二メートルはある筋肉の塊へと変貌を遂げた。


「ウガァアアアアアアアアアアア!!!!」


 透き通るような夜空に叫ぶ二号。人間の姿だった頃とは似ても似つかない凶悪な表情をしている。破壊のみを生きがいに暴虐の限りを尽くす、まさに化け物の姿だった。


「だから! 変態後に格好つけるため叫ぶなといつも言っているだろう!?」

「ウガウガ。ガッハッハ!」


 しかし見た目とは裏腹に鬼の口から洩れるのは、意味の解らない言葉のようなものとはっきりと理解出来る笑い声だった。骨格すらも変わった二号は、上手く言葉を話すことが出来ないようで、獣よりも不器用に吠えて見せる。石臼をこすり合わせるような、低く響く憎悪に満ちたようなその声は、しかし以前の彼を思わせる柔らかさ、と言うより剽軽な印象を与えていた。


「では、弐ぃや、肩を失礼するぞ」


 義虎丸は言うが早いか、巨大な釘を上空へと軽々しく投げた。そして一号と三号を両脇に抱え二号の肩へと蝶のように舞い降りる。二号に肩車される形で首元に腰を下ろすと、両脇に抱えた二人を二号の両手へ渡し、最後に降り注ぐ二トンの釘を片手で受け止めた。


「弐ぃや、壱ぃを脇に抱え決して落とすでないぞ。参をワシの手の届く位置へと移動して抱えるのじゃ」


 義虎丸に言われた二号は左脇に一号を抱きかかえる。「何でこんな子どもみたいな……」と愚痴をこぼしている彼をよそに、右腕を横に伸ばし肘を曲げて前腕を上へと向ける。そして筋肉が隆々としており座り心地が良くなさそうな上腕に三号を乗せ、落ちないよう小袖をしっかりと握りしめた。


「よぉし、では行くかのぉ! ——ほっ!」


 放たれた釘は勢いよく地面に突き刺さる。そして闇蟲が覆い尽くす前に、数十センチ飛び出た釘目がけ二号が軽快に跳んだ。

「参や!」

 義虎丸が右手を伸ばすと、ずるりと釘が落ちてくる。両手で持ってようやく囲める程周の長い胴部と全長一メートルもある重さにして二トンの釘だが、義虎丸は想定通り、伸ばした右手で軽々しくつかみ取った。


「それ次じゃ!」


 その言葉は二号と三号、双方に対して言っていた。少しでも跳ぶのが遅れれば、少なくない闇蟲が身体に付着するだろう。そこから動揺が広がり、次の一手が更に遅れるだなんてことになりかねない。十匹程度纏わり付かれることを覚悟して行けば心の持ちようで何とかなるかもしれないが、そもそも、闇蟲に追いつかれなければ良い話である。


 また、三号にしても釘を出すのが遅れれば、二号が次の着地地点がなく跳ぶことが出来ない。となれば、闇蟲に襲われることは必至だ。

 どちらも失敗は許されない。皆一心同体で行動しているのだ。自分ひとりの失敗など宣っても、そうは問屋が卸さない——卸す問屋がなくなってしまうのだが。


 それは何も弟子たちだけの話ではない。当然師匠である義虎丸も重大な責任がある。投げるタイミングが早くても闇蟲が先に釘を浸食し尽くしてしまうだろうし、遅くても二号が次の釘へ飛べない。今まで育て上げ、そしてこれからもこの生涯が閉じるまで育て続けようと決意した、彼らの師匠だからなせる技だといえよう。


「敵は見えませんね!」


 この移動方法を始めてからまだ三分程しかたっていないが、二号の左脇からそんな声が聞こえてきた。

 この中で唯一、暇をもてあましている一号が、前方を見据えて大声で報せる。


 何もなく風通しは良いとはいえ、それこそ電灯すら灯っていない——正確には、闇蟲によって光の一切が遮断されている——ため、頼りになる明かりは月明かりのみである現在の街並みでは、一寸先は闇——程でなくとも、チラチラと星や月の輝きを反射する眼下の闇蟲程度しかはっきりとは見えない。


 遠目で見えるのは精々歪に膨れあがった自動車だったものや、時折ぼとりと闇蟲が落下している信号機くらいなものだ。


 あと見えるのは、そう——ぼんやりとした人影くらいなものだろう。


「師匠! 前方見てください! 人影が見えます!」


 一号は己の仕事だと言わんばかりに、異質な存在を視認したと猛々しく叫ぶ。

 ただ、彼らのやることは結局変わらない。安全内地にたどり着くまで、ひとりは釘を成形し、ひとりは釘を投げ、ひとりは釘へ跳ぶしかないのだ。


 勿論、いるいないを知っていることは大きな情報源であることは間違いないのだが。


 彼らがその一連の行動を停止したのは、一号の報せ後、程なくしてだった。四人は確かにその存在を確認する。間違いなく人型の何かがいることを。そして、その何かの周りには、全くと言って良い程闇蟲がいないことも確認出来た。


 それは不自然な程、綺麗な円形を作って、何者かの周りを避けている。それは危機感を覚えて逃げているようには見えない。まるで、近寄るなと命令されて、避けているようだった。


「さてと、ご苦労じゃったのぉ、壱ぃ弐ぃ参や。しかしまだ気を抜く出ない——否、これから気を引き締めるのじゃ」


 義虎丸は年を感じさせない軽やかな跳躍で二号から降りる。一号も三号も、二号によって優しく地面に降ろされた。


「お主は何者じゃ? 新しいワシらの仲間かのぉ? 協力してくれるために駆けつけてくれたのであれば、是非とも礼を言いたいのぉ」


 義虎丸は相手に悟られない程ゆっくり、そして気配を絶って近づく。その動きは武術の達人のみに許されるものだった。

 一号はしゃがんで地面に手を付ける。そしてそのまま相手を険しい顔で見つめた。

 二号は荒々しく息をしながら、拳を握り固める。そして組み手立ちの構えをとり、相手を悍ましい顔で見つめた。

 三号は相手には見えない場所——自分の背後——で金属の杖を作り出す。そしていつでも杖術にて攻撃出来るよう身構え、相手をただ殺す相手として淡泊に見つめた。


 そいつは何の反応も示さない。黒々と鈍く輝く小さな身体を少しも動かさず、頭部から生えた片方が短く片方が長い触覚を、獲物を誘うようにゆらりと動かしているだけだった。


「大人しいのう。人見知りか? 安心せい、自分の歩幅で歩み寄ってもらえれば、それで良いからの」


 彼は知らぬ間に、漆黒に塗りつぶされた相手との距離を、跳躍一回分程度にまで縮めていた。それは卓越した格闘スキルを有しているものであれば、一回の動作で攻撃が届く範囲を意味する。


 両者は見つめ合い動きを止めた。


 義虎丸の表情は柔らかく慈愛に満ちているようにも見える。だが、彼の目に宿る破壊的なまでの闘志は、隠せていなかった——否、隠していなかった。

 対して少年のような体躯の相手は、義虎丸を見上げている。フルフェイスのマスクを身に着けているため人型であれど表情は読み取れない。だが、唯一動いている触覚からはかすかに心情を読み解けそうな動きをしている。小刻みに震え、時折痙攣のように大きくぴくりと動くそれは、義虎丸に警戒していることを表しているのではと思われた。


 どれ程の時間が経ったのか——ヒーロー陣営は数分にも思える間、身動きを取らず——もとい取れず、時が止まったように硬直していた。先に動き出したのは、黒い子ども——怪人だ。


 義虎丸との睨み合いを始めて僅か十秒程で、しびれを切らしたかのように、闇蟲怪人は義虎丸へ鋭い蹴りを入れた。

 しかし、いくら老体と周囲のヒーローや国民から言われようとも、彼は武術を教える身であり、その年にして現役のヒーローを続けている——続けられる——のだ。近距離からであれ軌道が読める攻撃など、彼が喰らうはずもなかった。


 繰り出された怪人の右回し蹴りを、義虎丸は右の足底で止める。子どもとは言え勢いがあり、その力で——戦闘向きでないとは言え——ヒーロー二人を戦闘不能にまで陥れたのだ、そう易々と止められるわけもない。


 だが、義虎丸ならば可能である。


 義虎丸は左足で飛び跳ね身体を捻り、反時計回りに全身を回転させて左足の踵で怪人のこめかみを射抜く。そして右足を怪人から離して、地面へと着地した。


 その動作は一瞬だった。闇蟲怪人が攻撃してから一秒と経たず、カウンターを決め、怪人は大きくよろめいた。

 義虎丸は後ろ飛びで怪人との距離をとりつつ、弟子たちに近づきながら、手短にこれからの行動を指示する。


「壱! そのまま合図があるまで待機! 弐! 相手は予想以上に硬い、素手は無理じゃ! 武器を持ちワシとともに来い! 参! 弐に武器をやれ! 打撃武器が良い! ワシにはお主が持っておる杖で良い! 最後に壱を守れ!」


「「はい!」」「ガウ!」


 義虎丸にそう言われた三人は意気軒昂に返事をする。


 一号は現在の姿勢を崩すことなく、地面に両手をつけて何か集中をしている。

 三号は背後に忍ばせていた杖を義虎丸へ投げ渡すと、野球バットのような棒を成形した。しかし大きさがまるで違う。一回りも二回りも大きなそれは、固い金属で出来ている。ヘッドの部分には四角推型の鋲がついていた。


 それは金砕棒と呼ばれる、打撃攻撃を主とした武器だった。

 二号は三号が成形し地面に落とした金砕棒を両手で握り、力強く構えた。


 怪人は予想だにしない反撃を喰らい、四人の中から義虎丸を獲物と定めたようだった。


「ギシィャァアアアアア!」と黒々とした口腔内から生物が受け入れがたい悲鳴を上げると、一直線に義虎丸へと向かう。赤い胴着に突進していく様は闘牛のようだった。

 二人の間に二号の金砕棒が割って入る。二号はそれを振りぬいた。


 闇蟲怪人は跳んで回避すると、義虎丸目掛け鋭い爪を立てて迫る。

 だが、義虎丸と怪人ではリーチが違う。彼は手に持つ銀色の金属で出来た杖を怪人の首元目掛けて突く。

 自身の向かう速度と杖の迫りくる速度が合わさり、怪人は無様な格好で後方へ吹き飛ぶ。やわな怪人であれば確実に死に至るであろう感触が義虎丸の手に伝わる。しかし彼の燃え滾るような爛々とした目は一向に鎮火する様子はない。


 怪人は背中から地面に落下すると、一度だけ後転して流れるように立ち上がる。そして間髪入れずにもう一度義虎丸へと突っ込んできた。


「何度やっても同じじゃよ」


 杖を構え直し、次こそは仕留めると息巻く義虎丸。そして再び、怪人が義虎丸へたどり着く前に、今度は別の角度から金砕棒が地面へ叩きつけられるように降ってくる。

 義虎丸の言うとおり、何度やっても同じことだった。二号の金砕棒は怪人を捕らえることが出来ない。怪人は再び宙を舞い義虎丸へと襲いかかる。


「愚か者めが!」


 的確に先程と全く同じ位置を突きにかかる。


 がしかし、義虎丸の杖は空を突いた。


 義虎丸の背後から、喧しい羽音が聞こえる。


 次の瞬間、義虎丸が前方へ吹き飛んだ。彼のいた場所を見ると、漆黒の怪人が背から翅を生やし、後ろ回し蹴りを義虎丸に喰らわしたようだった。

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