6-1

 街中を歩く彼ら四人は、傍から見るとヒーローには見えなかった。三人の若い男性は薄汚れた白の空手着に身を包み、その足は皆下駄を履いていた。短髪で強い闘気を蓄えた凛々しい顔立ちの男は、前から二番目に位置し、その握り拳からもやる気がひしひしと伝わる。坊主頭のにやけ面をした男は、前から三番目に位置し、口をくちゃくちゃと動かしている。ガムを噛んでいるようで、時折風船のように膨らませていた。前髪によって目が隠れてしまっている暗い雰囲気を放つ男は、最後尾に位置し、腕をほとんど動かさずに極力存在感を消して、ただ皆に追従しているだけといった様子だった。


 そんな彼らを率いている、白髪白髭の年を召した老人がその皺だらけの顔を顰めて更に皺を深くする。彼の着ている空手着は目に痛い程赤々と染まっている。数多の怪人を屠りその血で染め上げられたと噂が立っており、彼の強さの象徴でもあった。また嫌でも目に付くその赤は、彼のシンボルカラーでもある。


 その老人は歩みを止めると、外見とは裏腹に非常に若々しく鋭い眼光で周囲を見回す。


「何とも悍ましい光景よのぉ。さて、どうしたものか……」

「どうしたもこうしたもないんじゃないですか? 義虎丸ぎこまるさん。怪人を殺すしかないでしょ?」


 中途半端な敬語を用いて、敬意など感じさせない軽い口調でそう言ったのは、坊主頭で楽観的な態度を見せる男だ。アヴァンチュルズの窓川まどかわ美波みなみとは違った方面に不真面目な風である彼は、なんとも自信に溢れていて、お気楽な様子である。


「そんなことは分かっている、二号! そうではなく、この闇蟲ごきぶりの群れの中をどう渡るか、と頭を抱えていらっしゃるのだ! 少しは頭を使えといつも言っているだろう!」

「なんすかーその言い方。もう少し優しく言ってくださいよ一号さん。俺ってばセンシティブなんすから」


 二号と呼ばれる男に対して、烈火の如く糾弾するのは、義虎丸のすぐ後ろにつく剛胆な出で立ちでいる、一号と呼ばれたいかにも真面目そうな男だ。彼の剛直的な性格は二号と正反対であり、相性としては全くよろしくはない。事実、現在のように彼が二号に対して、気構えを縷々指導するのは珍しいことではなかった。


「まぁ良い。それに弐ぃが言った意味合いも、あながち間違いではないぞぉ? 怪人を滅するだけならば、他のチームでも出来るじゃろうて。じゃが、この闇蟲の群れはどうするつもりなのじゃろうな。まさか、かの二人が帰郷するまで放っておくわけもあるまい。蛇の子が出向くのであればそれでも良いのじゃが、果たしてあの堅物で頑固な小僧が、素直にあの娘っこを出動させるとも思えん。つまり、出来うる限り今のうちにこの小蟲どもを減らしておくという選択肢は、間違いではないじゃろうと思うとったのじゃ」


 義虎丸が自身の考えを滔々と口にすると、大げさに「なるほど!」と肯いた一号が、感激した面持ちで言葉を紡ぐ。


「つまり、私たちは怪人討伐ではなく、闇蟲の駆除を目的として行動するのですね!」

「いや、ワシらは怪人を討伐する」


 尊敬の眼差しを送る一号だったが、義虎丸の返答に驚きと戸惑いを露わにした。


「な、何でですか? この闇蟲たちを放っておくというのですか?」


 全幅の信頼を置いている義虎丸が、まさかそんな非常なことを言うはずないと思いながらも、しかし、時として冷酷な決断を下す彼の思惑を確かめるべく、一号は真摯に迫って訊ねた。

 それに対して義虎丸はいつものように快活に笑う。その様子を見て一号は安心した。だが、それは早計だった。


「その通りじゃ。こやつらを放っておくほかあるまい」


 義虎丸のさも当然だと言わんばかりのその態度に、一号は自身の師匠に対し久方ぶりに怒りすら覚えた。


「何を言っているんです! この有様を見てください! 人が住める環境じゃないですよ! それなのに放っておけって言うんですか!? 僕たちはヒーローなのに!」


 一号は感情的になって思いを吐露する。


 対して義虎丸は「まぁまぁ」と声を柔らかくし一号を宥めた。


「壱ぃや。確かにこのままにしとくことは辛いことじゃろうて。じゃがな、ワシらに何が出来る? 蒼紅そうこうのように口から火を吹けるでもない。窓川嬢のように遠距離から一網打尽に出来る手段もない。壱ぃ、お主の能力かて、この物量を相手取るのは些か蛮勇だと気づいておるじゃろう? 殴る蹴るしか知らんワシらに、この小さき害虫どもをどう駆除すると言うんじゃ?」


 髭を撫でながら諭す義虎丸のその言葉に、一号は口を閉ざす。


「それにこんな戦いにくい相手とやり合っておったらむしろこちらが負傷しかねん。それじゃったら、この事態を生み出した怪人をとっちめて、後は組織の作業員どもに薬品でも火炎放射器でも使わせて、殲滅させた方がより安全で確実じゃろう?」


 ——そもそもじゃ、と義虎丸はさらに話を続ける。


「ワシらは怪人駆除が仕事で、害虫駆除は職務規定外じゃぞ」


 そう最後に言った義虎丸は、あからさまに戯けていた。だが、言い詰られたのがよほどショックだったのか、それともそこまで考えが至らなかった自身を恥じ戒めているのか、一号はうつむいて「確かにその通りでした」と悲しそうに謝った。


「ぷふ……一号さーん……、少し頭使えば分かることじゃないですかー」

「二号……お前……!」


 一号と二号は、いつも道場で行っている試合の延長で技を掛け合い、ぶつかり合う。


「これこれ、二人とも止めんかぁ……」


 義虎丸が呆れながら制止を促すが、二人には聞こえていないようだった。しかし、その模擬戦の終了はすぐに訪れる。


「痛い痛い痛い! ギブ! ギブっす!」


 お手本のように綺麗に決まった関節技で、二号は敗北の旨を口にする。流れるような体さばきで一号の勝利となった。


「す、すみません。お見苦しいところをお見せしました」


 すっきりした様子な一号の表情からは、先程の憂いなど見る影もなくなっていた。


「いや、いつも見とるし気にせんで良いぞ。じゃが、時と場を選んで欲しかったがの……」

「あはは……すみません……」

「いやいや! 急に暴力振るってきたんですよ! もっと叱ってくださいよ!」


 有耶無耶にさせまいと声を大にして抗議する二号だったが、水を打ったように黙りとされ、「そりゃないっすよー……」と項垂れ、とぼとぼと一号の後ろへついた。


「となると、やはりこの闇蟲たちの群れの中をどう渡っていくかですね」

「そう言うことじゃ、そこで先程のワシの台詞に戻るというわけなのじゃが」


 どうしたものかのぉ、と再び首をひねる。癖なのか——髭を撫でている義虎丸はしばらく唸っていた。

 ぐるりと周囲を見回す。歩いてきた後方の道は何の変哲もなく、いつも通りの日常が広がっている。彼ら以外誰もいない路上にぽつねんと駐車してある自転車は、どこか哀愁を漂わせていた。しかし、前方は哀愁どころか絶望すら思わせる、地獄を体現したかのような闇が渦を巻いている。地面は勿論、電灯やガードレール、建物の壁から屋上に至るまでびっしりと闇蟲が犇めいていた。


「家々を伝っていくのは無理そうですね……」


 一号が義虎丸と同じ方向を見ながら呟く。


「そもそも、走り抜けちゃ駄目なんです? Gくらい踏みつぶして進めば問題ないと思うんすけど」


 すると二号が挙手しながら、当然の疑問を口にする。たかが蟲、如何に外殻が硬かろうと、人間の体重に耐えられる程の強度は持っていない。新聞紙ですら叩き殺せてしまうのだ、文字通り二の足を踏むことはない。二号は率直に考えを口にする。


「ふむ、そんじょそこらにいる闇蟲であれば、ワシも尻込みせんで済んだのじゃが、如何せんこやつらは怪人によって支配、若しくは生み出された傀儡じゃ。そこに足を突っ込んで、皮や肉が残っている保証もあるまい。それにじゃ、小僧——指揮官の部下も言っておったろう。一般人が襲われたとな。こやつらは狂暴化している可能性が高い。故に無闇矢鱈に行動するのは控えたいところなのじゃ。分かったかの弐ぃや」


 師匠という教える立場らしく義虎丸は、懇々と説明する。非常に論理的な物言いは、反論する気さえ起こさせない程だ。


「まあ分かりましたけど、それじゃあどうやって進んでくつもりなんです? 地面も壁も建物も駄目だったら飛んで行くしかないですけど……。それともサボっちゃいますか?」


 ニヤケ面を取り戻し期待するように言う二号だったが、勿論そんな不真面目な発言を一号が聞き逃すわけがなかった。


「サボるわけがないだろう! いつも修練をサボっているからそんな思考が生まれるんだ! それに空なんて飛べるわけもない、バカなことを言っているな!」

「さっき乗り込んでたヘリを使えばいいじゃないっすかー。で、怪人見つけたらダイブ! いい作戦でしょ?」


 身振り手振りを大きくして自分の案の妥当性をプレゼンする二号だが、納得出来ない一号は駄目だ駄目だと、首を振って否定した。


「スカイダイブなら僕たちであれば出来るだろう。でも考えてみるんだ、怪人の周りもまた闇蟲だらけなんじゃないか? そこに落ちるのと、今この場で闇蟲の群れに突っ込むのとどう違うんだ? 突飛な発想は面白いが、もう少し現実を見るべきだぞ」

「あー、確かにそうですねー。どうしましょか?」

「それを今考えているんだ!」


 もはや日常茶飯事である一号と二号の口論は、義虎丸にとって夏場に聞く風鈴や川のせせらぎと同じような耳心地であった。

 仲が良いのか悪いのか分からない彼ら二人だが、日常生活においてもヒーローとしての活動においても、案外息がピッタリだった。柔らかすぎる二号をお堅い二号が正し、そのまた逆も然り。凸と凹、まさにそう表現するのがふさわしい二人だ。


 そんな人間関係もあるからだろうか、先程から一言も言葉を発さない三号が、疎外されているように見えてしまうのは。


 三号は過剰な人見知りだ。両親にさえ月に一言話すか話さないかである。義虎丸が門扉を開いている道場に入ってからすでに二年程たっているが、彼の口数は当初とほとんど変わらない。

 そんな彼が格闘技という道に居続けているのは、彼の揺らがぬ強い意志は勿論のこと、その環境を悪しと思っていないからだろう。


「なぁ三号ー! お前も言ってくれよ、一号さんの杓子定規な考え方はもう古いってさぁ」

「うるさい! 温故知新とも言うだろう。僕みたいな考えがあるからこそ、誰も思いつかない新しい考えが浮かぶんだ。三号! あまりこいつに近寄るな、バカが移るぞ」

「バカが移るわけないじゃないですかぁバカだなー……あれ? あっ、やっぱりバカって移るんですね」

「二号お前!!」


 すると再び一号と二号は取っ組み合いを始める。そんな二人を見た三号が、クスリと笑ったのを義虎丸は見逃さなかった。


「おっ、そうじゃ!」


 義虎丸は数ある方法の中から一つの案に肯ずると、一声上げて二人の弟子の注意を引いた。


「何か思いついたのですか?」

「勿論じゃ。ちょっと待っとれ」


 言うが早いか義虎丸は路上に止めてある自転車へと近寄ると、まるで紙切れを手に取るようにひょいと持ち上げた。その動作は重さという概念を感じさせない自然な——否、むしろ不自然なものだった。


 そうして自転車を担いで闇蟲たちの前まで向かうと、ハンマー投げの要領で、回転をし遠心力を用いて遠くまで投げ飛ばした。

 自転車は宙を乱れて飛翔する。わけも分からず弟子の三人はその様子をただ淡白に見守った。

 何の変哲もない自転車は当然地面に落下する。二十メートル程離れた彼らにも大きく聞こえたのだから、よほどの物音だったろう。すると、自転車周辺の闇蟲たちは一斉にたった今飛来してきた物体へ群がり出す。

 じわりと浸食するようにして自転車は闇に呑まれ、しまいには何処にあるのかすら分からなくなってしまった。


「さて、これで何が分かったかのぅ?」


 義虎丸は弟子訊ねた。それは教鞭を執る教師のよう——その中でも温和なタイプの校長先生といった風だった。


「何って、そうですね。やはりと言いますか、闇蟲たちの領域に入れば、立ち所に襲われてしまう、と言うことが分かりましたね」


 一号が自分なりの回答を口にすると、二号もそれに頷いた。三号は相変わらず、長い前髪で隠れた顔を義虎丸に向けている。


「確かにそうじゃ。これで走って渡るという案は完全に否定されたじゃろう。しかし、そんなことを証明するためにやったのではない——そんなことを確認するためにやったのではないのじゃ。自転車はどの地点で闇蟲に襲われたか、はっきり覚えておるか?」

「そりゃ当然ですよ。ついさっきのことですからね。師匠が投げて、地面に落ちた瞬間でしたよ」


 二号が、話の要領を得ないといった表情で、先程見た光景を見た通りに言った。そして不思議に思っているのは一号もだった。彼も先程とは反対に、二号の言葉に首を縦に振る。


「そうじゃ。地面に落ちたときじゃ。投げる前も投げた直後も飛んでいる最中も、闇蟲は襲ってこなかった。そう、飛んでいる最中もな」


 老人はいよいよ確信めいたことを口にする。それに対して二号は顔をパッと明るくした。一号は相変わらず、何を言っているんだこの人は、と言いたげな面持ちで義虎丸を見つめる。


「ほらやっぱり飛んで行くんですよ!」

「待ってください師匠! 飛ぶっていったって、ぼ——私たちにはそんなこと出来る者はいませんよ! もしかして、二号の言う通りヘリコプターを使う、なんて言わないですよね?」


 勝ち誇った顔の二号と、信じられない出来事を目にしているといった風な、喫驚を露わにした一号に、義虎丸は笑って答えた。


「カッカッカ! トブと言っても、跳ぶじゃがな」


 一号、そして二号までもが首を縦でも横でもなく斜めに傾げた。


「参や、釘を出してくれ。それもどでかいやつをじゃ。長さは三尺程、重さは考えられる最重量で頼むぞ」


 義虎丸が三号に対し命令を下す。その令を受けるやいなや、三号はこくりと頷き、右腕を腹の脇からにゅっと前腕だけ伸ばすと、掌を天へと向けて全身に力を込める。


 すると、彼の右手のやや上、何もない空間に黒い粒子が集う。それは渦を巻き量を増やし、まるでブラックホールと喩えるべき、漆黒の穴を作り上げた。

 その深淵からゆっくりと現れたのは、専ら虚無僧が被る天蓋と呼ばれる深い編笠だった。黒い空間を更にこじ開けるようにしてずるりと姿を露わにしていくそれは、全身をこの世に顕現させると、ポトリと重力に従い三号の右手の平へと落ちた。


 そうして、三号はその深編笠を躊躇いもなく被った。するとその瞬間、三号の首元——編笠の口から先程の空間に穴を空けた黒い粒子が溢れ出る。その粒子が身体を覆いぴたりと張り付くと、次第に輪郭と色を持ち始める。


 その姿はそのまま虚無僧のようだった。


 だが、あくまで白い小袖や手甲、脚絆に足袋や草鞋といった、大雑把な見た目ばかりで、尺八や袋、偈箱もなければ腰に据えてあるはずの五寸程の刀すらない。細やかな小物を一切取り除いた、飾り気のない質素な虚無僧だった。


 そんな彼が手を——今度は平を下に向け——前に掲げる。すると先程と同じように黒い粒子がどこからともなく集まって、先の見えない穴を作り出す。その穴から出てきたのは、義虎丸の言っていた大きな釘だった。


 その大きさはもはや、釘と呼称出来そうなものではない。小さめの鉄柱——小さめと言っても全長一メートルは優に超え、その太さは持つのに脇に抱え込まなければならない程だ。

 重力に逆らうようにゆっくりと穴から生まれ出るその釘は、深編笠同様、全貌を顕現したところで、自由落下する。

 その釘と地面の衝突は、一号と二号が少し狼狽える程のものだった。見た目には相応しくない重苦しい音を発し落下した釘は、地面に小さい亀裂を作る。


「それ……どんくらい重いんすか?」


 二号が苦笑いをしながら訊ねると、あまり聞かない声が返ってくる。


「……じゅ、十トンです」


 天蓋の奥から聞こえる、女声とも男声とも聞こえるような妙に高い声は、その発信源からして間違いなく三号のものだった。


「十トンって……どんくらい重いんすか?」


 想像出来る重さをとうに超えてしまっており、二号はなんとも阿呆らしく質問を繰り返してしまう。

 しかし、訊ねられた義虎丸は、真面目に答えるでもなく、冷静になるよう徳のある言葉を言うでもなく、行動で示して見せた。


「こんくらい重いのぉ」


 そう言って義虎丸は、十トンあると言われている釘を、片手でひょいと持ち上げた。先程の自転車と同じように、まるで綿毛でも拾い上げたかのようだ。


「師匠、異能力を使われてしまっては分かりませんよ……」


 翁の行動は、しかし一号には冗談と捉えられなかったようで、真面目に正されてしまう。


「したらば……こんくらいかのぉ!」


 義虎丸は右手に持つ釘をやり投げの要領で投げ飛ばした。角度を高くつけ、遠くへ飛ばさないように投げる。


 一人陸上競技やってるみたいですねー、と思った言葉を口にしようとした二号だったが、次の瞬間、伝わってきた衝撃に思わず閉口した。


 震源地へ振り向くと、義虎丸の目の前、二歩程進んだところに、釘らしきものが突き刺さっていた——否、突き刺さっていたという表現は適当ではない。それは埋まっていた。釘としての本来の役割らしく、平らな頭を地表に出してそれ以外の芯部分はすっぽりと地中に埋没している。


「十トンは重すぎじゃのぉ……少し突き刺されば良いから、もう少し軽くしてもらおうかの」


 一号と二号、そしておそらく三号も、唖然として言葉も出なかったが、義虎丸はこともなげに飄々と言う。


「まずは半分の重さから始めるぞ!」


 ————。

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