5-2

 準備が整った一行は、いよいよ侵攻を始める——何やら思いついた風なウィンドミルと彼女に止められたスターチスの二人を除いて——歩みを進めるたびに闇蟲たちの反応が激しくなる。だが逃げるわけでもなく辺りをうろうろしているのは、やはり敵を警戒しているからだろう。謂わば奴らは先兵であり、怪人へ敵の来襲を告げる連絡網なのだ。


 ケラティオンは蠢く闇へ大きく足を踏み入れる。同時にグシャリともバリバリとも何とも言い難い、悍ましい音が聞こえる。闇が宝石の放つ輝きによって潰えた音だ。

 その音を聞いた闇蟲たちは一斉にケラティオンへと襲い掛った。七色に煌くその体躯は、一瞬の内に黒一色へと染め上げられる。


 だがその動きを予期していなかったにも拘わらず、ケラティオンは悲鳴一つ上げずに、敵の領域から退いた。


「おい、ウィンドミル。これをどうにかしてくれ」


 端的に願いを口にするケラティオンだが、その有様は冷静でいられるものではない。


「うっわ! きっしょ! 近づくなし! ありえないんですけど!」


 陣形はすでに崩れ、ウィンドミルはスターチスの背後へ回る。頼られたことに心を大きくした騎士の男は、盾を構えてケラティオンの動きを封じた。


「ふざけてねえでさっさとしろっつーの。こいつら俺の身体を噛んでやがる。俺じゃなきゃ食いちぎられて死んでるぞ」


 漆黒な謎の物体と化したそれは、尚も淡々と状況を説明する。


「ったく、しゃーないなーハルちんは……。あーしがいなきゃなんも出来ないんだから」


 そう言って更に後退したウィンドミルは、両手を前に掲げる。すると身体に巡る翡翠の線が明るく光を迸らせた。柔らかくぬくもりすら感じ取れる優しい光は、ケラティオンに纏わりつく闇すらをも祓う——否、闇蟲ごきぶりたちが宙を舞ったのは光に浄化されたからでは勿論ない。ケラティオンすらよろめく程の旋風が彼目掛け奔ったからだ。


「洗車された気分だ。サンキューな」


 輝きを取り戻したケラティオンはお礼を言う。


「マジキモ過ぎ。やっぱり近づいたらあーなんのね」

「確かに、予想通り敵を攻撃するようだね」


 二人は首を縦に振り合いながら話し合う。


「おい、何だ予想通りって。そう思ってたなら俺に言えよ。何も考えずに足突っ込んじまったじゃねえか」


 アヴァンチュルズの二人に怒りをぶつけるケラティオンだが、彼の喋り方の所為か、二人は歪な形の彼から喜怒哀楽というものを読み取ることが出来なかった。


「まぁまぁ、傷一つつかなかったんだし良くない?」


 悪びれる様子もなく意地悪な微笑を浮かべる。

 実際ケラティオンの身体には傷一つなかった。噛み付かれたと言っていたが、そのような痕跡は目を凝らしても見当たらない。人ひとりを襲い呑み込んでしまった怪人ならぬ怪物である闇蟲たちですら、彼の身体に擦過傷一つ拵えることは出来なかった。


 だが、そうであっても美波の発言は立場的に納得しがたいものだ。事実銀次郎は、美波に非難の声が浴びせかけられないよう、言い訳を垂れる。


「確かに予想してはいたけれど、あくまで予想だったんだ。それにケラティオン君の守りの高さがこの段階で通用するかどうかを確認したかったというのもある。当然君の硬さを信用してこその行いだった、ということを分かってほしい。君程信頼出来る守りはいないのだからね」


 信用、信頼。どうも薄っぺらい言葉だったが、スターチスの性格を鑑みて、その言葉が真実だと読み取ったのか、それともケラティオンの直情径行な性格があったからなのか、散々おだてられた彼は、満更でもない様子だった。


「ふっ、まあ確かにな。俺だったらこんな虫如きにやられはしない。たとえ怪人だとしてもな。だからこそ、安心して俺についてくればいい」


 仄かに吊り上がった口角を見て、アヴァンチュルズの二人は、ケラティオンが笑っているのだと理解した。


「とはいえ、ケラティオン君。何も考えなしだと先程の繰り返しになるだけだと思うよ」


 上手く誤魔化せたことに安心したスターチスは、意気揚々と再び闇蟲の沼地へと足を踏み入れようとしているケラティオンを呼び止める。


「じゃあどうするつもりだ? ウィンドミルは走るなっつったが、やっぱりここは駆け抜けるしかねえんじゃねえか?」


 そう言うと、ケラティオンの手足が人間らしいそれに戻った。同時に上体も屈強な分厚いものへと変化していく。鎚を四肢に括り付けたような姿よりは幾分走りやすそうではあるが、ケラティオンの元々の体型が大柄なため、あまり速そうには見えない。


「先程も似たようなことを言ったと思うけれど、ウィンドミルが攻撃の要なんだ。怪人に対してじゃなく、この闇蟲に対してのね」


 スターチスがウィンドミルへ近づき、後ろを守るように彼女の背後へ回る。そしていつの間にか徒手空拳となっている左手を彼女の背中に回すと、ケラティオンに確信を告げるかのように言った。


「……あぁ、聞いたな。だからウィンドミルを守るんだろう? どういうことだ、何が言いたい?」


 しかし、身体だけではなく頭までカタイ彼は、スターチスの言わんとしていることが理解出来なかった。


「だから! あーしがこのゴキちゃんを近寄らせなきゃいいっつー話っしょ? そうすりゃあ後はピクニック気分でお散歩って感じ? とりま見とけって。はーい、みんな並んでー」


 ウィンドミルは意を汲まないケラティオンに苛立ちを覚え、実践して見せることにした。


 三人は陣形を組む。ウィンドミルは今しがた彼の身体に纏わり付く闇蟲たちを吹き飛ばした時のように、両腕を前方へと突き出した。仄かに輝く翡翠色の線は、彼女の意思によって煌々とその光を強くする。

 風がどよめく音がした。大気同士が押して押されて、轟々と激しい抗争をしているように聞こえる。

 その風は彼ら三人の一メートル外側を、守るように渦巻いている。


「こーゆーこと」


 ウィンドミルがこともなげにそう言うと、スターチスは「さあ、進もう」とケラティオンに前進を促した。


「風のシールドか。なるほど確かに、これならちっこい虫たちは近寄ることすらままならないか」


 感心したように首を縦に振る彼は、スターチスの言葉に反論することなく、自然な歩調で進む。


 すると、風のシールドに接触した闇蟲たちが、もの凄い速度で宙を飛び回り、そしてくるくると回転しながら明後日の方角へ吹き飛んでいく。自分たちのテリトリーに入ってきた敵として認識した少し離れた闇蟲たちも、近づこうとはしているが、次の瞬間上下左右も分からなくなる程縦横無尽に回転し、その果てに元いた位置よりも遠くに飛ばされる。幾匹かの闇蟲たちは、宙に浮いたことで反射的に翅を広げて、風に乗ろうとしているが、自然発生ではあり得ない乱気流を乗りこなせるわけがなく、あまりにも強い風力は、その抵抗を十二分に受ける柔な翅をもぎり取っていた。


 しかし、ここでウィンドミルが「ちょっとハルちん」とケラティオンの足を止めさせる。


「どうした?」

「風のシールドとか、そんなダッサい名前じゃないから。マジ勘弁。『ラブシールド〜美波スペシャル〜』だから。間違えんなし」


 ウィンドミルはケラティオンのつけた名前に異議を唱える。


「……はぁ」


 これと言った技もなく、そして技の名前などにたいした関心もないケラティオンは、正直言ってどうでも良かった。勿論、『ラブシールド〜美波スペシャル〜』という名前は些かどうかと思ったが、そんな名前は断じて拒否する! などと反論するつもりはないし気も起きない。


「分かった」と一言了解の旨を伝えて、再び歩き出した。


「しかし、こりゃいいな。鬱陶しい虫どもを相手しないってのは楽でいい。だが、そしたら俺たち男組は何のためにいるんだ? ウィンドミルでこと足りそうだがな」


 ケラティオンは殿を務めるスターチスへ暢気な質問をする。


「トースターさんとナーサディさんは苦労していたんだろうな……——そう、今回の怪害がこの闇蟲だけならばね。だが相手は怪人だ。いくら子どもくらいの大きさとはいえ、人なんだ。この程度の風は突進してくれば難なく突破出来るだろう。だからこそ僕たちが必要になるんじゃないか。ウィンドミルのシール——『ラブシールド〜美波スペシャル〜』がなくなってしまえば、僕と彼女はかなりの被害を被るに違いない。君にしたって傷は負わないとはいえ、全身に闇蟲が這いずり回っていい気はしなかっただろう? それに視界が塞がれては怪人と戦うこともままならない。だからウィンドミルが必要で、だから僕たちが守らなければならないんだ」


 一度小さく——遥登には聞こえない程度に——嘆息混じりにぼやいたが、その後は過剰な程懇切丁寧に説明をした。ケラティオンの理解力のなさというものを理解したからだ。


「ふぅん、そうだな。そう言われればそうだ。それじゃあ警戒に当たるとするか」


 ケラティオンは疑問が晴れ、迷いがなくなった。そして怪人という言葉を聞いて、自分の立場を再確認する。

 自分は怪人を殺さなければならない。それはヒーローとして当然だが、それ以上の感慨がある。

 自然とその歩みは速くなっていた。


 何事もなく歩くこと約五分、それまで何も変化がなかったが、ようやく異変らしきものが黙認出来た——そもそも異変だらけなのは言うまでもないが。


「おい、見ろ。あそこ、闇蟲が見当たらねえ」


 ケラティオンが言うそこは、久しく見ていない道路が露出している。

 三人はより一層の警戒をしながら、その位置まで移動した。

 ウィンドミルが少し間を空けてから、風のシールドを解除する。すると翡翠色の光が次第に薄くなり、ただの線へと戻っていった。


「不思議だ。闇蟲たちはここへ入ってこようとしない。意図的に避けているみたいだ。何故だ……?」


 スターチスは独り言のように呟いた。無論、断じて独り言ではなく、情報共有や問答と言ったコミュニケーションのつもりだったのだが、ウィンドミルとケラティオンの二人は黙って前を見据えていた。


 ——それもそのはずだ。


「おい、前に誰かいねぇか?」

「あーし目良いんだけど、確かに何かいるっぽいかも? でも、暗くてよく見えないし、何? って感じ」


 二人は進行方向に何者かを捉えていた。


「近づいて来てね? ヤバくね?」


 何者かはゆっくりと三人との距離を縮めている。同時にガサガサと闇蟲たちの蠢く音が遠ざかっているように感じる。


「……闇蟲たちが逃げている? もしかしてその誰かを避けているのか?」


 スターチスは再び独り言のように言葉を漏らす。何者かの正体を突き止めるべく、兜の奥でキッと鋭い眼光を前方へ向けた。


 それは驚異的なまでの闇だった。


 黒々と漆黒に染まったその姿は、悪魔のようだ、と喩えるのが最も正しく思える。絶望を滲ませるその造形からは、言葉を交わさずとも、拳を交えずとも、怪人なのだと分かるようだ。


「黒い、子どもの怪人……」

「本当に、子どもの怪人だ」

「マジちっこい。小学生くらい? なんつーか、弱そうくない?」


 ケラティオンは怪人の姿を見て、抱えきれない程の憎悪を覚えた。あの怪人が大切な仲間を傷つけたのだ、そう思えば思う程、全身の筋肉が強張っていく。

 スターチスはHSCOの情報と一致した怪人の姿に、ただ驚きを隠せなかった。今まで前例の無い程小さな怪人に、ある種物珍しさのような感慨が過ぎり、それが雑念だと気づいて小さく頭を振った。


 ウィンドミルは率直に油断をしていた。若葉の話を聞いていなかったわけではないのだが、しかしこうも幼い怪人を目の当たりにすると、大人の力業でどうにでも出来てしまいそうな気がしてしまう。ケラティオンのような豪腕で殴れば、一発で昏倒するのではと、その様子を想像して力んだ肩を落とした。 怪人は三人から一定の距離まで近づくと、ぴたりと止まる。じっと三人を見据えて観察しているようにも思えた。肩程まで伸びきった触角をチロチロと動かし、何かの情報を得ようとしているように見える。


 やはり怪人の周りには闇蟲たちはおらず、ぽっかりと数十メートルの大穴が空いたように地面が見えていた。


「ケラティオン君はとにかくウィンドミルを死守して、ウィンドミルは遠距離攻撃。僕は前へ出てこの剣で戦おう」


 そう言うスターチスは二人の前に出ると、右手に持っていた縦を左手へ持ち替えると、右の掌を空へ向け肩の横へ持って行く。すると、その手には鋭利な長剣が現れた。


「よし、戦闘開始——の前に、ケラティオン君。怪人を見つけたとHSCOへ連絡しておいてくれ」


 スターチスは敵から目を逸らすことなく仲間へ告げる。

 怪人が見つかり次第、無線でHSCOへ連絡を入れ、他のヒーローを呼ぶ手はずになっていた。何せ相手は、いくら戦闘向きの異能力ではなかったとはいえ、ヒーローを二人も瀕死に追いやった怪人だ。これ以上犠牲を出さないためにも、過剰な程用心するに越したことはない。


 だが、ケラティオンから返事は返ってこない。代わりに聞こえてきたのはウィンドミルの疑問の声だった。


「ハルちん? どったの?」


 彼女の声に、スターチスは何が起きているのか確認するため、後ろを向いた。その時。


 怪人が動いた。怪人は翅を広げるとけたたましい音を上げながら浮遊する。そうして、中空で翻り背中を見せて逃げ出した。


「——っ! 待ちやがれ!」


 そう言って走り出したのはケラティオンだった。感情が表面に出にくい彼ですら、声を荒げ鬼気迫る表情をしていた。それ程までに彼の自責の念と、仇討ちに対する思いは強かったのだ。


 怪人の飛ぶ速度はそれ程速くはなかった。なぜなら、翅の一部が少し欠けていたからだ。そのため上手くスピードを出すことが出来ないのだろう。故に、ケラティオンの走る速度でも追いつけなくとも離されることはなかった。


「ケラティオン君!!」

「うっわぁ、ホンット空気読めねぇ……」


 二人は後を追おうとするが、間に闇蟲たちが割って入る。丁度怪人のテリトリー外になったところなのだろう。

 すでにウィンドミルの異能力を一時停止している今の状態では、この闇蟲の沼地に足を踏み入れるのは即致命傷だ。


「しまった。ウィンドミル、急いでラブシールドを頼む。僕はHSCOへ連絡をする」

「りょ!」


 ウィンドミルはみたび能力を行使する。美しく輝く翡翠色の線に見惚れてしまいそうになるが、そんな暇はない。スターチスは耳に取り付けてある無線で連絡を取ろうとした。


 が、その時はたと気がついた。


 何故、風のシールドを張る余裕があるのか。何故、連絡を取る余裕があるのか。


 ここは敵陣の真っ只中だ。敵の陣地は闇蟲で埋め尽くされている。であれば、ここだって闇蟲にあふれかえっているはずだ。なのにここには闇蟲が入ってこない。


 ——まるで先程の怪人を避けていたときのようだ。


 スターチスは周囲を見回す。ぽっかりと穴が空いたように、闇蟲がある一定の範囲に侵入していない。

 彼は疑問を解消するべくよく目を凝らす。が、特に変わったものはなかった。上空も見たが綺麗な星空が見えるばかりだ。地面を見つめるが、吹き飛ばされて死んでしまったのであろう闇蟲の死骸や、歩きやすそうな舗装された道路。色が褪せている車道外側線に古びたマンホール。どれも変わらぬ日常的なものばかりだった。


 ——マンホール?


 スターチスはゆっくりとマンホールに近づく。突如黙り不思議な動きをする彼を疑問に思ったウィンドミルは「ぎんぎん? なんかお宝見つけた?」と様子を窺う。


 マンホールの一歩横についたスターチスは、右手の剣でマンホールを小突く。


 すると、下の方からなにやら物音が聞こえてきた。それは大雨などで増水した川のような重たい音だった。

 スターチスは危険を察知し、盾を構えてウィンドミルの前へ急いで移動する。


 重たい金属が跳ねる音がした後、彼の盾に衝撃が伝わった。

 盾に弾かれたマンホールが勢いよく地面に落ちる。鐘の音のように響いた重い音は、マンホールの重さを誇示しているようだ。


「ナニナニ! どったの!?」


 ウィンドミルが現状の説明を求める。しかし、スターチスは黙してやや上空を睨んでいた。

 そこには、大きな羽音をまき散らしながら、重圧を降らしている忌々しき存在がいた。更には火山の噴火が如く、地面から闇蟲が噴出している。


「ちょっ、何でこいつこっちにいんだし。ハルちんは?」


 怪人を目視したウィンドミルは、スターチスにも答えられるはずもない疑問を呈する。故に彼も「さぁ。一体どういうことだろう」と懐疑に満ちている様子だった。


 闇蟲たちは曇天のように空を支配した。円を描いて飛行し続け、来る時を待ち構えているようにも見える。

 アヴァンチュルズの二人を凝視している小型怪人は、額程まで伸びた触角を器用に動かし、そのタイミングというものを計っているようにも思える。


「ウィンドミル、シールドを急いで張るんだ」


 怪人を刺激しないように、小声で彼女に聞こえる程度の声音で喋る。そして兜を外し、耳に手を当てると、無線機にてHSCOへ連絡を取った。

 名前がどうだ、と後ろからウィンドミルの抗議の声が聞こえた気がしたが、スターチスは珍しく無視をして喋り出す。


「こちらサー・スターチス。怪人と遭遇。これより討伐に移る。至急応援を送られたし。尚、ケラティオンは……独断専行で配置から離れたため安否不明。そちらにも応援の程を。どうぞ」

「了解」


 短く無愛想な女性の声が聞こえると、ブツリと通信が終了した。

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