3-1
ガラス張りのエレベーターは見晴らしがよく、付近の街並みが一望出来た。そのエレベーターに三人の女性が乗っている。
一人は比類なき豪奢な純白のドレスを身に纏っており、艶やかな金色の巻き髪は手抜かりなく手入れされていることが伺える。また気品溢れる佇まいから、一般人とは一線を画す高貴な存在だと窺える。凜然とした自信にあふれる表情は、彼女の性格を全面に表している。可愛らしい造形と相まって非常に好感が持てる顔立ちだ。
一人は身長が高く非常にスタイルが良い。男性が着ても違和感のないスマートな衣服は、格好いいと評価されること請け合いである。また、ボーイッシュに整えられた綺麗な黒髪も男性的印象をより助長させている。加え、究極まで整えられた美顔は男性のみならず同性まで虜にしてしまいそうな程だ。だが変化の乏しい冷徹な表情は、他人が受け入れ難いものであることは間違いなかった。
その二人に挟まれ、それぞれの手を力強く握りしめている彼女は、猫耳を思わせる造形のキャスケットを前方が見えなくなる程深々と被り、オレンジ色の伊達メガネは鼻先までずり落ちている。だが、老婆のように腰を曲げ膝をがくがくと震わす彼女は、前が見えなかろうとメガネがずり落ちようと気にはならなかった——気が気ではなかった。
「もうさぁ! ビルの上層で会議するの止めようよ! 一階でいいよ一階で——いや、地下がいいんじゃないかな! 地下なら安全だもん!」
両手を抱え込むようにして——二人のそれぞれの腕を抱きしめて——彼女は叫ぶ。怒声らしくはあったが、これは紛うことなき悲鳴だった。
「却下ですわ! そんなことしたら
「酷いよぉ! ねぇ
「……別に、私はどっちでもいいけど」
「んーもぅ!!」
猫——否、獅子が牛のように鳴く様子を見て、
アイドルユニットであり、ヒーローチームである『アペクシーズ』の三人は、HSCOから急な呼び出し受けHSCO日本支部ビルへと赴いていた。内容は不明、とにかく急行せよとのことで、ぶーぶーと不満を垂らしながら会議室まで行ける唯一——非常階段を除き——の方法、エレベーターへ乗り込んだわけだった。
しかし、エレベーターに乗り込むたびに悲鳴を上げる者がいる。『ライオン』という異能力を持ちながら皮肉にも高所恐怖症である巴だ。彼女は会議室へ呼ばれるたびに今回のように何かに縋りついている。滅多にないが一人で乗る際には、ドアにべったりと貼り付きその場から一切動かない。
エレベーターに乗ろうと待っている従業員が、ドアの開いた瞬間ガチガチに固まって顔面蒼白の物凄い形相をしている彼女と出会い、驚きのあまり声を上げると、それにつられて彼女も悲鳴を上げながら近くの人——つまり乗り込もうと待っている従業員——に抱き着いてしまう、なんてことも複数回あった。その件から、このエレベーターは幸運のエレベーターとして利用者が急増していたりもする。
そしてそんな巴を見たいがために自らの権力を行使しているのが深雪だった。
深雪は筑森財閥の御令嬢である。あらゆる業種をまたにかける大企業、筑森グループのトップ、つまり会長の娘であり、彼女自身もその性格や能力によって、良くも悪くも影響のある人物だった。そして彼女の権力は、このHSCOでは特に顕著に行使される。なぜなら、彼女がそのHSCOに組し、人々のために命を懸け従事しているから、というのもあるが、HSCOの運営に必要な資金を出資しているのが、筑森財閥だからだ。このHSCOは勿論国によって補助されている側面はあるのだが、全てではない。残りのほとんどを出資、協力しているのが、かの筑森財閥である。各国が自国の支部ないしは本部を維持、運営するために補助しているが、筑森財閥はHSCOという存在全てに投資している。故に、筑森深雪という女性はこのHSCO内部で——否、HSCOの存在理由を鑑みれば、全世界でトップクラスに権力のある人物である。
その彼女が一声掛ければ、会議室の移動——どころか支部ビルごと移動——など容易である。あくまで会議室は会議をするための部屋でしかないので、機材さえ移動出来てしまえば憚る理由などない。しかしその声がかからないのは、仕事仲間でありライバルであり、そして友人である巴の存在があるためだった。
そんな二人を特に干渉するわけでもなく、さりとて放任するでもない様子の紺碧は、常に冷徹な表情でいつもの光景を観賞していた。彼女にとって二人のかけ合いはもはや習慣と化している。巴と深雪の小競り合いがなければ一日が始まった気すらしない程だ。故に、休みの日やソロでの活動日は、ただでさえ感情の起伏が平坦だというのに、それ以上に活気がない。
そのため、この日の紺碧はとても調子が良く、比較的明朗な心持ちであった。その違いが分かるのは肉親か付き合いが長いアペクシーズの二人だけだろう。
紺碧は二人とは仕事の取り組む姿勢がやや違う。巴は何ごとにも臆せず意欲的に行うし、深雪の興味のあることしか邁進しないという点においては紺碧と似たり寄ったりではあるが、その方向性が全く異なる。紺碧は自身のためにという保身的思考が先行しているが、深雪の基準となる対象は他者である。それは巴もそうだし、そもそもヒーローというのはそういうものだ。その点を鑑みると、紺碧はヒーローとしてもアイドルとしてもいまいち積極性に欠けている。
それでもこの仕事に従事している理由は、勿論仲間——アペクシーズのためだ。
紺碧が唯一、他人のために何かをしようとした人物、何かをさせることの出来る人物。その二人のために紺碧は今日もHSCOの言いなりになっている。
「あら、もう終わりですわね。巴、降りますわよ」
軽快な電子音を鳴らすエレベーターは、緩慢な動きでドアを開く。
三人が半透明な箱から降りると、紺碧が一歩前に出た。クンクンと鼻を鳴らし何かの臭いをかいでいる。そして定規を当ててようやく分かる程度の微細な動きで眉を顰めると、一人納得して更に奥へと進んでいった。
深雪はそんな紺碧を見てから巴を見る。その表情は何かとよく見かける意地の悪い笑みだ。そうして巴を置き去りにし紺碧に足早に近づいていった。
巴は「ま、待ってよー」とやはり本調子でない様子で、壁伝いながらに廊下を進む。
三人が歩みを止めたのは会議室の前に一人の女性が立っていたためだ。彼女はきっちりとした黒いスーツを着ている。スカートの前で柔らかく握られた手が、三人を確認した瞬間強張ったのが見て取れた。
「お待ちしておりました。というか、本当に待ってました……。どうしてヒーローの皆さんはこう時間にルーズなのですか……?」
焦燥を臭わせ落ち着かない様子の彼女が、心底がっくりした様子に変わり項垂れて言った。
「まぁ失礼ですわ! 私たちは人命に直接かかわることに関しては、悪戯に時間を浪費したりはしませんのよ? ただ、会議となると気持ちが億劫になって少しばかり歩調が緩慢になるのも致し方がないと言うのかしら。あなたの上司の会議大好き指揮官様が鬱陶しいのがいけないと思いますけれど?」
深雪は突如、雄弁に告げる。その表情は怯える巴に向けるものと全く同じだった。
紺碧は、またか、と思いながらもその無表情は決して崩さない。巴は既に回復しているらしく二本足でしっかりと自立している。深雪の発言に多少呆れている表情を見せた後、言い詰られている女性を見据えて同情している面持ちだった。
「部署は違えど一応貴女の上司でもあるでしょう……。確かに
だが、彼女は巴とは違い毅然とした態度で深雪に言い返す。つつがなく言えている様は、どこか慣れのようなものを感じる。
「全く……。まっ、恋は盲目と言うものね」
「ですから、恋ではありません。純粋なる尊敬です」
「あら、そうでしたわね。けど言わせてもらうわ。いつまでも貴女の名前みたく若葉ではいられなくてよ? いい加減、恋を実らせるべきじゃなくって?」
深雪はそう言ってさわやかな笑みを浮かべると、彼女——
三人に声を掛けられた当の本人は、それぞれに呆れと苦笑いと慈愛に満ちた笑みを浮かべて返事をした。
「恋を実らせるね……。その実はもしかして、リンゴだったりするのかしら……?」
独りごちる彼女はしかし動かない。人を待つという仕事はまだまだ終わっていないからである。
その部屋は所謂スクール型式と呼ばれる形で机の配置が成されていた。正面には大きなモニターが据えられ、対面する形で九つの机が均等に並んでいる。前列、中列、後列——奥側、中側、手前側とある机の中で、前列の中側に一人、大柄な男が座っていた。会議室にある机は横長で、それに合わせ椅子も四つ置いてあるが、彼は一人で左寄りの中央に威風堂々と腕を組んで鎮座している。
深雪が彼の隣の島——最前列の出入り口に最も遠い奥側の机の席——大柄な男とは前列の中で一番遠い席——に座った。紺碧も巴も何かを言うでもなくついて行き、奥から深雪、巴、紺碧の順に座る。
彼女たちの並び順は常に決まっているため、身体が覚えているのだろう、紺碧はわざわざ巴が深雪の隣に座るのを見てから、更に隣へと座った。
深雪が巴の左の二の腕をつつく。愛嬌のある顔を深雪に向けて「ん?」と訊ねると、無言のまま隣の島の男を指さす。巴は声にならない程小さく「えー……」と難色を示すと、深雪と同じようにして紺碧の二の腕をつついた。全く同じ動作を紺碧にして見せると、紺碧は深雪を見る。『行け!』と目だけで伝える深雪に、やれやれと頭を振る紺碧。
「ねえ、あんたさ」
「……ん? もしかして俺のことか!?」
うんざりしていた気持ちもあったのだろうし室内ということで気も使っていたのだろう、短く、そして相手に聞こえる最小限の声量で声を掛けた紺碧であったが、相対するように腹の底から大声疾呼で返事をするのは、厳めしい表情で正面を見据えていた大柄な男だ。
彼は筋肉質で重厚な腕を机に乗せ、アペクシーズへ険しい顔を見せる。
「俺はあんたじゃねえ!
雄叫びにも似た怒声のような大声は室内に所狭しと響き渡る。さほど広い部屋ではない、且つ人も現在四人と少ない中で誰も話し声は出していない。にも拘らず鼓膜を破らんばかりに叫ぶのは、彼元来の性分というものだった。
それを予期していたアペクシーズの三人は、耳に手を当て大音声のダメージを軽減していた。
「あーうん。熊ノ郷さん。他の二人はどうしたんです?」
感情のない面持ちで感情のない声色を発する紺碧。疑問符はついているが、声の調子に抑揚は全くない。
「
遥登の厳つい顔が一層強張る。やりきれない思いがあるのか、机を叩き「クソッ!!」と叫んだ。
紺碧が面倒くさそうな顔をして巴と深雪を見る。わけを訊かなくてもいいよね? そう告げているようだった。巴は「……うん」と首肯をして、遥登がとっている態度の真意を確かめることはしようとしなかった。しかし、深雪はむしろもっと理由を知りたいと思ったのだろう。残りの三人に聞こえるよう咳払いをして質問を投げかけた。
「やられたとは? 何があったんですの?」
「俺も詳しくは聞いてねえ! が、かなりヤベえ状態らしい! 怪人にやられたとかなんとか……。恐らく、俺らが呼ばれたのもそれが理由だろうよ!」
遥登は、全身の至る所の骨を折られ、特に右足の損傷が激しく重体である、と聞いたチームメイトの日傘司と、司に比べ軽傷——あくまで比較してである——だが、肋骨数本の骨折と左腕の著しい破損という重傷、と聞いたチームメイトの星流雲母を思い浮かべ、再び机を叩く。叩打音は先程よりも大きい。机が壊れなかったのが奇跡だとさえ思えた。
——どうして俺も一緒に戦ってやれなかったのか、と遥登は悔恨の念に苛まれていた。
「なるほど、ヒーロー二人がヤベえ——重体ということですの? ——な状態にさらされているとは。今回のお仕事は少々危険な気がしますわね」
深雪はふむふむと頭を小さく振ると、「では、何故貴方は無事なんですの? それに詳しく聞いていないなどと——あなたはその場にいなかったんですの?」と質疑を続ける。
「俺はその時別の場所にいた、ちょっくら悪を滅してたからな! だがそのせいで司と雲母が二人で仕事に当たることになっちまったんだ! 何故俺を待たなかったのか、何故二人だけなのに行かせたのか、何故もっと早く駆け付けられなかったのか! 今や全てが憎い!」
紺碧は相も変わらず無表情を貫き通したまま異音の原因を見つめる。実に冷徹な瞳で、それだけで射殺せそうな冷たさがある。巴は驚いた様子で目と口を開いたまま遥登を窺っている。突然の衝動的な言動に戸惑いを隠せないようで、縋りつくように紺碧の服の袖を握っていた。深雪は呆れた表情で彼の行動に引いている。いくら憎しみや怒りのあまり我を忘れていようと、人や物に当たる人間は碌なものではない、そう教育されてきた彼女にとって、遥登の行動は同じヒーローとして度し難いものだった。
「命に別状はありますの?」
深雪が訊ねる。
「命の危険はないらしいが、以前のように生活出来なくなる可能性が高いとさ……!」
「でしたら良かったではありませんの」
「——何だと!?」
椅子を吹き飛ばす程の勢いで立ち上がった遥登は、紺碧以上に冷淡なことを言う深雪の前へと詰め寄る。
深雪は負けじと立ち上がり、堂々と胸を張って対抗した。
「ヒーローとはそういうものでしょう? 命がけで戦っているのですし、生きてるだけ喜ぶべきですわ。チーム行動が必須になったこんにちではほとんどあり得ませんけれど、昔はヒーローが死んでしまうのはよくあることだったらしいですわ。生きてることに欣喜雀躍こそすれ、勇敢に戦ったヒーローに対して憎むだなんて烏滸がましいですわよ。貴方一人だけで懺悔し戒めてなさい」
怒り心頭といった巨漢が迫ってくるにも拘らず、起立して胸を張って捲し立てる様は流石だと言わざるを得ない。巴は改めて深雪に尊敬の念を抱いた。紺碧は離れていった巴の手を名残惜しそうに自分の袖を掴むと、気を取り直してつとめて無表情に遥登を見つめる。何と言い返すのか見物だった。
「…………確かにな。俺がもっと強く早く、より正義であったならばこんなことにはならなかった。筑森の言う通りだ」
彼は感嘆符を忘れて喋る。冷や水でも掛けられたかのように極めて冷静になっていた。
遥登は、己の中に確固たる正義が存在しており、その正義に反するものは紛れもない悪だと思っている。故に、彼は謝るということは滅多にしない。その行いは自身の正義でない部分——つまるところ悪——に屈することを意味しているからだ。
だが、最愛の仲間たちが決死の攻防の果てに敗退した場合、それを咎めることが出来るのか。そんな分を弁えぬ行いこそ——正義のために戦った勇士に異を唱える行いこそ、悪ではないか。遥登は逡巡の末にそう帰結させた。
彼は自分自身の愚行を恥じながら謝罪を告げる。迷惑な行為を働いてしまったことに対して、強い口調で凄んでしまったことに対して、そして病室で安静を余儀なくされているヒーローに対してだった。
「いやはや、斯様な場所で口説くとは節操のない。況してや相手は筑森嬢か。身の程知らずじゃのぉ」
頭を下げていた遥登に茶化したような気の抜けた調子の声がかかった。
アペクシーズと遥登の四人が会議室の扉の方を見ると、白髪の老人が一人と、三人の見た目が若い男性が立っている。老人は快活に朗笑しているが、後ろの三人は汗にまみれ肩で息をしている。その所為だろうか、彼らの着ている白の空手着には違和感を覚えなかった。しかし、目に痛いくらいに鮮血を思わせる赤色へと染め上げられた空手着を着た老人のそれは違和感しかない——意図的に奇抜な色合いにしているのだろう。
「冗談言うな! 俺の好みは正義を体現した女だ! アイドルなんぞやってる女に興味はねえよ!」
元通りの厳めしい表情に戻った遥登は歪に凹んだ机の下へ行き、転げている椅子を直すと重々しく座る。
「失礼ですわね……」
苦渋の表情で一人呟く深雪は、遥登が座ったのを見て自分も席に着いた。
「そうかい。カッカッカ!」
わざとらしく呵々大笑した老人は最も近い位置——最前列の扉側の机にある椅子——に座った。若い男の一番手前にいた男性は、会議室に入ると同時に「失礼します!」と礼儀正しくお辞儀をした。次に入ってくる坊主頭の男は「あっついし疲れましたねー」とニヤニヤ笑いながら先程の男性の後に続く。最後の男は寡黙に残った席へと座った。紺碧と似たような内向的で控えめな性格と見えるが、その性質はまるで違う。彼の方からはもっと黒く鬱々しい雰囲気が漂っていた。
これで全員か、とアペクシーズの三人が思った矢先、廊下側から何やら不平不満が聞こえてきた。
その声を聞いて三人は、それぞれの性格とその声の主に対しての印象をそっくりそのまま表情で示す。深雪は鬱陶しそうに、巴は嬉しそうに、紺碧は——やはり何も変わらない。
「つーかさぁ、ありえなくない!? マジフツーにガッコ—だったんですけど!? 帰りにクレープ食べる予定だったしさぁ。マジだる、マジキレそう……」
腕を組んでしかめっ面の若い女性が少し速足で会議室へ入って来た。日に焼けた小麦色の肌に髪の毛も似たようなブロンド色、艶のあるロングヘアだが、アイドルの三人と比べてしまえば見劣りする。少し度合いを超過した化粧だが、素の顔は悪くないように見える。夏の時季らしく生地の薄いシャツは少し派手めな色合いであり胸元はがっつりと開いている。ショートパンツから覗かせる瑞々しい肌理の細かい美脚は実に健康的だ。
そんな彼女を、まあまあ、と宥める若葉の声は届いているようには全く見えない。
しかし、その後ろから温和な言葉がかかる。
「まあ良いじゃないか
物柔らかだが芯の通った口調でそう言ったのは、二人の女性の後ろから粛々と現れた一人の男性だった。彼は紺色のスーツに身を包み、毅然と端然とした態度で交際相手——
「えー……。まっ、ぎんぎんがそーゆーなら良いケドー……?」
とはいえ全く納得のいかない美波は不承不承といった容顔で席へ向かう。彼女にぎんぎんと呼ばれている彼——
「ねぇ、もえぴー。あーしたちがビリって感じ?」
静かな室内で美波は前方に座っている巴に声を掛けた。
「うーん、かなぁ?」
巴は自身も知らないことであるが故、首を傾げて答える。ただし、現状関東圏を活動範囲としているヒーローはこの場にいる全員と例外の数名だけなので、恐らくそうであろうという憶測はあった。
「美波ちゃん、さっき学校って言ってたけど、制服じゃないんだね」
「ヒーローが制服とかマジなくない? 確かに可愛いけどさ、汚れたり破れたら終わりぢゃん。だから着替えてきたし」
先程の激しい物言いから、美波が学校を途中で早退しHSCOビルへと赴いたことを聞き取った巴は、彼女のラフな格好を見てそこはかとない疑問に頭をもたげる。
それに対し、美波は尤もらしい理由で、着替えてきたと説明する。確かに制服は複数着持っていることの方が稀だ。汚れたり破れたりでクリーニングや買い直しだなんて事態になった暁には、ジャージ生活という彼女のような性格の女性には受け入れがたい現実が待っている。それに、制服を着た人物が、命を賭して国民を守っているというのは、あまり見せたいものでも見たいものでもない。守られているという観点からすればそこまで違和感を覚えないだろうが、守らせているという観点から見ると、非難の対象にならざるを得ない。
そこまでを美波が理解しているかは兎も角として、ここまで遅れたのは、わざわざ自宅に帰って着替えてからHSCOビルへと向かっていたからというわけらしい。
「もえぴーはアイドル衣装で戦えっからねぇ」
美波は机に両腕を伸ばして突っ伏す。腕を枕代わりにして明後日の方角を向いて言った。
『ともえ』だから『もえぴー』、『ぎん次郎』だから『ぎんぎん』。美波は人にあだ名をつけて遊ぶのが好きだった。というより、自分のギャルという属性と同じく、アイデンティティのようなものとすら感じていた。
故に、たとえ自身の上司であれ、たとえ鬼指揮官と恐れられ、たとえ自分よりも強い相手だろうと、その信念にも似た思いは、決して曲げたりはしない。
「あー、たっる……。あーしたちを呼びつけたくせにカムロン遅すぎっしょ。つか、カバっちもどっか行っちゃったし」
「ウィンドミル! 口を慎め! それにそのふざけた呼び方を改めろと何度注意したら分かる!」
正面の大きなモニターの横からはち切れんばかりの叱咤が飛んだ。
そこはただの壁に見えたが、どうやら隠し扉になっているらしく、長方形にくり抜かれたように穴——否、扉が開いていた。
そこから赫怒の相を露わにしながら怒声とともに現れたのが、美波の言うところのカムロン——深雪の言うところの鬼指揮官——若葉の言うところの宇賀神冠その人であった。
非常に厳しい眼光で、眉根は常に寄っている。髪の毛がほとんど残っていない禿頭も相まって、何もしていないにも拘らず萎縮してしまう雰囲気が漂っていた。
「はーい、めんごー」
しかし、美波はどんな人間であれ震いあがってしまう圧迫感のある怒声に軽々しく言葉を返す。表面上ですら謝ろうとしていない様は、もはや怒られ慣れていることが窺い知れた。
「……」
冠はピクリと眉を動かすと、鼻で深呼吸をして頭を振る。そして今はまだ映像を映していないモニターの前に行くと、鬼と言われるのも納得な指揮官然とした立ち構えで、ヒーローたちを見据えた。
遅ればせながら会議室に踏み込むのは、少し不機嫌気味の若葉だ。
彼女が会議室に入ると、壁と同色の扉が横からスライドするように現れ、長方形の穴を隙間なくピッタリと塞ぐ。そこには扉などなく、元から壁だったと今更言われても納得してしまいそうな程、綺麗に壁と同化してた。
「時間も無い。さっさと始め、さっさと終わらせる」
そう言って冠がモニターの前から退き、若葉が手に持っているリモコンを操作する。会議室内の明かりが消えると同時に、モニターが煌々と室内を照らした。そのモニターには地図が映っていた。
「今回の怪害の詳細を聞いた者は?」
冠が端的に鋭く皆に訊ねる。返答を返す者はいない。
「よろしい。市熊、手短に説明を」
「はい」
冠が若葉にそう言うと、彼女は二歩前に出て胸を張るようにして少し大きな声で説明を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます