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『皆のアイドルヒーロー、レプシーにゃんが皆をお守りするにゃん。怪人を見かけたらこちらまで連絡だにゃん! 電話番号は——』


 テレビから聞こえる可愛い子ぶった女性の声とその姿に、ソファに深々と腰を下ろしている彼女——想馬そうま英華英華は哄笑した。その理由は英華の後ろで、睨みを利かせている一人の女性に起因している。


 テレビの向こうでは、コスプレをしているのか、おかしな格好をしている女がいた。胸と腰をフリフリな衣装で纏い、腹部は恥も外聞もなく晒け出している。手には毛むくじゃらな何かを纏っており、猫耳を生やし尻尾を官能的に揺らしている彼女のそれらは、模造品のようには見えなかった。


 電話番号を二度繰り返す。駄目押しに『にゃん』と鳴いてそのコマーシャルは終了した。それと同時に、英華は一人で爆笑の体を成すかのような勢いで、大口を開けて大笑した。


 英華の背後にいる女性は、床を踏み鳴らして英華に近づくと、「むぅー!」とわざとらしい怒りを口にした。その頬は、木の実を頬張っているリスの頬袋のように膨らんでいる。そんなあざとい言動を、彼女は素で行ってみせる。


「何度見てもヤベえだろこれ……にゃんって……、アイドルヒーロー……レプシーにゃんって……」


 腹が痛い——と涙目で訴える英華の頭頂部を彼女は手刀で叩く。その頭は髪染めによって金色に染められているが、根元の方は彼女本来の黒色の髪が覗いていた。


 まるでプリンだと揶揄されようとも、英華は特に気にしていない様子だったが。


「何すんだよレプシーにゃん……、っぷ! そこは手刀じゃなくて、ネコパンチだろ? くっくっく……」

「もぅ! そんなに笑わないでよ! そんなに言われると、私だって恥ずかしいんだからね!?」

「はいはい、ごめんよともえ。後でマタタビあげるから許して欲しいにゃーん」


 変なツボに入ってあまりよくない時の英華が出ている、とレプシーこと心坂こころざか巴は渋面を顕わにする。


 巴はこの世界に蔓延する悪——怪人を討伐するヒーローという存在だ。HSCO——Hero Security Control Organization——と呼ばれる、怪人を殲滅させるべくヒーローを統括する機関に所属している。


 そこでは彼女は『レプシー』という名前で通っている。彼女の異能力である『ライオン』から着想を得た名前になるはずだったのだが、HSCOからの扱いや姿勢、そして世間からの目や認識は、完全に『ネコ』だと思われている。故に、名前もほとんどネコ要素しか残っていない。


 そんな巴は、とあるお偉いさんの娘から発せられた思い付きのような意見により、アイドルなる業務に身を投じることとなった。当初は周りから反感もありながらも、半ば無理やりアイドル枠を作られ、半ば無理やりその枠に入れられ、半ば無理やり歌や踊りを練習させられた。しかし、やっていく内に、国民からの支持も高まり、一つの大きなプロジェクトとして取り扱われるようになってきた。コマーシャル出演も、より国民と距離感を近づけさせるためと、お偉いさんから発案されてものだ。


 当の本人も、喜んでくれる人がいると実感し、今では率先してアイドル業を全うしようとしている。勿論、怪人が現れた際には、ヒーローとして出陣することも疎かにはしない。戦い守ってくれるアイドルというのはなかなか受けが良いのだ。


 その企画はいつの間にか、雇用者と被雇用者、そして消費者が満足のする形の良い企画になっていた。


 また、アイドルに会えるかも、という一縷の望みで、怪人を発見し次第すぐ連絡をくれる国民が増えてきたことは僥倖と言えた。その反面、会いたいがために虚偽の通報をする人も増えてきたのは大きいデメリットだと言える。


 しかし、そういった苦労を感じても尚、今の仕事にやりがいを感じている巴だった。


 だが、それとこれ——英華とは全く別問題である。


 周りの人が巴の言動を恥ずかしいものだと諫めても、彼女は自身の仕事に誇りがあるため、多少の羞恥を覚えたところで、ここまで激しい情動は起こさなかっただろう。しかし、英華から言われるのは癪に障った。


 巴と英華は幼馴染だ。お互いの母親が友人関係だったため、それ繋がりで仲良くなったのが始まりだった。それから二十年以上苦楽を共にして、心の底から親友と言える仲になっている。だからこそ——英華の全てを知っているからこそ、巴は英華の態度が気にくわなかった。


「うぅー! そんな態度だと、もうお部屋の掃除してあげないよ!」


 巴は獅子を思わせるつもりでしかめっ面を作ってみせる。それを見た英華は、縄張りに入ってきた相手を威嚇する子猫を連想して破顔する。


「別にしてくれなくても良いんだけどさ」


 そんなこと交渉材料にはなりえない、と言いたげに英華は冷めた笑いを浮かべる。


 今現在の英華の部屋は綺麗だった。しかしそれは巴が掃除をしてくれたからである。


 巴がこの部屋に入って来たのは朝の八時頃。その時の部屋の状態は驚愕に値するものだった。


 所狭しと積み上げられたゴミ袋は、地震など少しの振動で雪崩が起きるのではないかという程。部屋の隅には髪の毛やら塵埃などが蓄えられている。脱いでそのままにしてあるのだろう衣服は、異臭こそしないものの汚れが幾つか散見され、洗濯をしていないのはありありと見て取れる。台所が他と比べて綺麗だったのは、一切自炊をしていないからだろう。風呂場は流石に毎日使っているからか、台所よりは汚れていた——喜ばしいことでは全くないのだが——床や浴槽の縁、壁などに繁殖する赤カビ、大きな鏡には全面にこびり付いている水垢があり、潔癖症でなくとも耐えがたい有様だった。


 そうこう考えながら掃除をしていた巴が一息ついたのは、現在、昼の十二時を少し過ぎた辺りだ。約四時間をかけて見違える程綺麗にして、最後に洗濯物を干して今現在一段落といったところだった。


 そこまでやった後にやらなくても良いなどと言われるとは——巴は落胆の思いを抱いたが、じきにそれが怒りの炎によって塵と化すのを感じる。


「良いことないでしょ! あんな中どうやって生活するの!」


 その怒り方は激情してヒステリックなまでに騒ぎ散らすようなものではなく、子どもの不摂生を叱りつける親のようであった。


「今まで生活してたわけだし、どうもこうもいつも通り生活するつもりだったけど?」


 英華がここまで自堕落な生活を送っているのは何も最近始まったことではない。このアパートで一人暮らしを始めた高校時代から、二十二歳の今現在に至る六年間、一度も掃除というものをしたことがなかった。全て巴に任せっきりだ。


 初めて巴が掃除をしに来たのは——正確には遊びに来たのだが——英華が一人暮らしを始めて一年経った頃だった。


 英華へ家に遊びに行っていいかと連絡を取り、「まだ駄目」や「今日は都合悪い」や「昨日だったら良かったんだけど」などと間違いなく嘘であろう理由で断られること一年、巴はついに強硬手段へと踏み出した。英華にアポイントメントを取らず、サプライズで会いに行こうとしたのだ。


 その時の惨状を、巴は昨日のことのように思い出せる。そして苦虫を噛み潰したような顔になるのだ。


 巴はあの地獄を完全に思い出す前に頭を振って、忘却の彼方へと飛ばす。


「英華が良くても他の人は嫌だよ、あんなの」


 嘆息をし口をとがらす巴。綺麗好きというわけではない巴が、英華という人間性を把握したうえで掃除したくなってしまう程だ。赤の他人や知り合ったばかりの人などは断固として入室を拒否するだろう。


「誰も来やしないし、唯一来る巴が掃除してくれるし——良いんじゃないかにゃーん?」


 英華はソファにごろりと寝転んで応える。丁度頭が来る場所に置いてあるクッションから、いつもその体勢で過ごしているのだろうことが分かる。慣れた手つきでテレビのリモコンを取ると、ザッピング行為を楽しんでいた。


 巴はああ言えばこう言う英華に辟易としながらも、しかし確かにその通りだと納得もした。


 英華は友達がいない。巴を抜きにすると、誰一人として友人と呼べる間柄の人間がいない。巴はそんな英華を第三者目線で見て、作れないのではなく作らないのだと感じていた。


 確かに英華の性格は大衆向けではない。がさつで口も悪く面倒くさがり屋、基本不真面目で人を見下すことがある。だが根は良い人だ。ただ少し不器用で素直になれない恥ずかしがり屋なだけ。人に強く当たってしまうのは照れ隠しのためだろう——良いことだとは思えないが、本心でそんな行動をとっているよりはマシだ。


 付き合いが浅くともそんな英華の本心に気が付く人はやはりいるものだ。しかし、そういった人たちからの好意を一切受け取らない英華は、きっとわざと親しい友を作らないのだろう。


 巴はため息を吐きながら、そんな考えを起こす。


「もしかしたら人を家に上げるかもしれないじゃん。人生何があるかなんて分からないんだから」

「はっ、そしたらありのままの状態を受け入れてもらうしかねえなぁ」


 巴は掃除をするたびにやっているいつもの会話をし終わると、「もぅ!」とため息交じりに漏らす。一段落着いたので休憩するためにソファへ座ろうと移動する。座ろうとしているところには英華の頭があった。わざとそちら側に移動したのだ。


「座っちゃうよー?」


 突き出された巴の臀部に、英華はがっしりと鷲掴むことで否と答える。


「——っ、ちょっと!」

「だって——」

「だってじゃない!」


 首だけで後ろに振り向き、何が起きたのかを確認した巴は、眉間に皺を寄せて不満を顕わにする。


「——掴んでほしそうにしてたから」


 そんな様子を見た英華は、やはりアイドルとしての素質があるだろうなぁ、怒った顔もまた可愛いし——反省の色など全く見せず考えながら、飄々と言った。柔らかい肉を掴んだ左手はそのままだ。


「退いてほしそうにしてたの!」


 巴は英華の手を素早く払うと、悪いことをした者を罰するかのように、英華の頬をぺしぺしと幼子の如く優しく叩いた。

 煩わしそうにしながらも、不満を言うでもなく上体を起こした英華。巴はその開いたソファへ腰を下ろす。そしてさも当然のように、英華は巴の膝を枕代わりにして頭を預けた。巴もそれに何かを言うことはない。


「はぁ、最近暇だよな」


 動物特集をやっている番組を眺めながら、英華が呟く。そこには退屈にうんざりしている様子はない。平和な世間に安堵のため息を漏らしているようであった。


「だったらちゃんと働けばいいのに。HSCOが嫌なら一般の会社でもいいんだよ?」


 巴はそんな言を言葉通りに受け取り、憂色を濃くしてを親友に告げる。


 英華は謂わばフリーターというやつだった。自分の家——古めかしい小ぢんまりとしたアパート——の近くにある、喫茶店に勤めている。家賃が安いおかげで何とか生活していけているが、趣味嗜好といった娯楽に割けるだけの余剰の金はあまり持っていない。折角ポケットマネーが出来ても、ゲームセンターでその日の内に使い切ってしまう。

 だが英華は、その生活自体に不満は一切持っていなかった。彼女自身やりたいことがありそれに時間を割くため、という決断を下しているのだ。自分が選んだ道ならば不満もないだろう。

 つまり、正社員として型にはまった仕事をすることは、英華としては望むところではないのだ。


「ちゃんと働いてるっつーの。フリーター皆が手を抜いてると思ってんのか? 酷い偏見だぞ」

「あ、確かにそうだね。ごめん」と巴が素直に謝ると、英華は「それに——」と話を続けた。

「暇なのは平和過ぎて暇だってことだよ——巴も最近アイドル活動しかしてないんじゃないの?」


 巴の本業はヒーローだ。しかしヒーローは怪人がいなければ活動出来ない。なので、最近の仕事の比重はアイドル業の方が忙しくなりつつあった——そもそもヒーローは巴だけではない。東日本だけでも両手で数えるだけの人数がいるのだ。巴の仕事がアイドルへシフトしていくのは必然とも言えた。


「平和なのは良いことだよ。それとも英華は毎日怪人が現れてほしいと思ってるの?」


 英華は顔を上へと向ける。そこには首を傾げた巴が至近距離で見つめていた。英華は表情を崩さないように——無表情のまま身体ごと反転——巴側へ向き直る。


 そして巴のスッキリとした腹部へ顔を埋めた。


「硬い」

「嬉しいような嬉しくないようなだね……」

「そりゃ怪人が出ないに越したことはないけどさ、何か嫌な予感がするんだよなー」


 とは言いつつ、英華の口調は言葉程重苦しくはなかった。あくまで予感。何の確証も統計もない、第六感がそう言っているだけだ。面白味もないのに、むやみやたらに巴を怖がらせることはしない。


「ふぅーん、嫌な予感ねー……。でも、英華そういうところ鈍いしなー」

「言ってくれる」


 そんなやりとりをした二人は、しばしテレビ鑑賞を楽しんだ。会話が途切れるが、かといって嫌な空気ではない。まさに平和を享受していると感じられる時間だった。

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