永遠を彷徨うコンドルの噺-4-

 アルマスの街へつくと、ヨセフはいつものように馬をおり、人々のまばらな市場の間を通り抜けた。神学校は町の中心部、パサクタ広場の向こうにある。寮住まいの級友達も、そろそろ寝床をい出して、顔を洗い、髪を整え、教室に向かっているところだろう。

「おはよう、ヨセフ」

 市街地から通う級友の一人が、馬を引いて歩くヨセフに声をかけた。白い肌だが、顔立ちはインティに近い、彼もまた混血の子である。ヨセフは人当たりのよい笑顔を浮かべると、「おはよう」とそう返す。

 アルマスの神学校には、ヨセフのような混血児も多く通っている。インティの母をさげすみ、その血を継ぐことを恥じる傾向にある彼らと、心から通づることはできなかったが、それでもヨセフはそれなりの関係を築いていた。

 征服者たる白き人々の子として生きるか、被征服者たるインティの民として生きるか。それを選べる立場にあれば、征服者たることを選択するのは、当然の流れであるのだろうと、そういう理解は彼にもあった。学校の授業でさえ、教師達は学生に、それこそが正しい考えであるのだと教えるのだ。

(けど俺は、インティの文化が劣ってるなんて思わない。まだうまく説明はできないけど……、俺には、この土地でつちかわれてきた固有の考え方も、とても尊いものに思えるんだ。容易たやすく消し去っては、ならないものだとそう思うんだ)

 そんな事を告げたところで、周囲の嘲笑ちょうしょうを買うだけだ。だからヨセフは精々他人の顔色をうかがい、それに迎合げいごうすることで、形ばかりの穏やかな日々を送ってきた。

(ああ、はやくチュチャのところへ行きたいな。先週は、最盛の王コリンカチャの話の途中だった、──)

 チュチャが語るインティの話の中でも、ヨセフが最も好んだのが、最盛の王コリンカチャの武勇伝である。タワンティン・スウユを治めた歴代の王のうち、最も賢く最も勇敢であったその王は、少年の頃から智謀を巡らせ、敵に囚われた父と兄を救い、その功績をもって人々に王と承認された。そうしてこの王は、数々の民族を従えてタワンティン・スウユの統治下へ置き、道を整えて人々の交流を助け、タワンティン・スウユにかつてない繁栄をもたらしたのだ──。

 今もってインティの人々の尊敬を集めるというこの王には、数々の逸話が残されている。都市の浄化のために神々の詩を読んだこと、その見返りに神々から、死と再生を司る黄金のコンドルを授けられ、常にその身に従えていたこと。

 そして度々、ビルカバンバの麓にあるという、ススル・プガイオと呼ばれる泉に通っていたことなどだ。

(ススル・プガイオは知の泉。チュチャが前に言っていた、……ああ、そうだ。それは泉だったんだ。……泉。そう、泉だ、)

 授業を聞きながら、ふと、窓の外へと視線を向ける。アルマスの空はよく晴れて、深い青に輝いていた。

(俺が知る、と同じだろうか)

 上の空でそんな事を考えるヨセフの傍で、級友達が顔を突き合わせ、深刻な様子で何やら話し合っている。いつの間にやら、休憩時間に入っていたらしい。ヨセフは板書を書き写しただけのノートを閉じ、次の授業の準備をしようとして、耳に入ったその会話に、思わず手を止めた。

「アロンソのところ、母親が追い出されたって?」

「この前の船で、本国から大量に『花嫁候補』が来ただろ。それで父親がインティを追い出して、本国から来た女と再婚したんだってさ」

「それで今日は来てないのか。あいつ、母親と仲が良かったから」

「そりゃ、ショックだったかもな。俺のところはもともとインティと一緒に住んじゃいないし、本国人の母親ができるなら、それもいいなって思うけど」

 平然となされるその会話に、思わずごくりと唾を飲む。平静を装うべきだと努めるのに、つい羽ペンを落としてしまった。拾おうと身をかがめるヨセフに気づいた級友達は、一旦会話を止め、親切にそれを拾ってくれる。

 彼らはただ、教室で習ったとおりにインティを軽んじ、蔑むだけの、至って善良な級友であった。

「そうだ。お前のところも、確かインティの母親と仲が良かったよな」

 問われて、「ああ」と曖昧あいまいな声を出す。「本邸と別邸とで、住むところは別れてるけど」言い訳がましいヨセフの言葉を、級友達は感慨もなく受け取った。

「今の話、聞いてたか? まあ、仕方ない流れっていえばそうだよな。未開の土地だった新大陸も、旧大陸の人間が開拓したおかげで、これだけ住みやすくなったんだし。最近じゃ、本国からの船には大抵『花嫁候補』がわんさか乗ってくる」

「お前のところも、軍人を呼んでは宴会三昧ざんまいらしいじゃないか。そろそろ、帰ったら新しい母親ができてたりするんじゃないか?」

「……、いや、うちは、……うちの父親、見栄えが良くないから。本国からはるばるやってきた女性になんて、きっと見向きもされないよ」

 やっとのことでヨセフが言えば、級友達は軽く笑って、「そういうもんでもないらしいぜ」と語る。

「『花嫁候補』っていうのは、玉の輿こしを求めて新大陸へ来るんだって。裕福な家に嫁げるなら、相手がどんな醜男でも、そんなに気にしないんだとさ」

 「そうなんだ、……」顔に笑みを貼り付けて、一言言うのがやっとであった。

 授業の終了を告げる鐘の音と共に、ヨセフは颯爽と教室を後にした。ビリヤードをしに行かないかと誘う級友達に、今日はごめんと声をかけ、すぐさま厩舎きゅうしゃへ足を向ける。馬の手綱を引いてアルマスの市場を通り抜け、広い道に出るやいなや、ヨセフは馬に飛び乗り、道を駆けた。

 胸がずきずきと鳴っていた。それを誤魔化すかのように、速度を上げ、己の呼気を弾ませる。

(何が、……何が新しい母親だ。そんなふうに、──まるで物を買い換えるみたいに)

 ぎりりと奥歯を噛み締めて、シャツの上から己の胸元を握りしめる。

 あの父が、ある日女を連れ帰る。その光景を想像すると、ヨセフの胸のうちに激しい炎が湧いて出た。己の容姿にコンプレックスを持つ父は、きっとまた美しい女をよりすぐり、己の手中に収めようと策を巡らせることだろう。それが手に入ったなら、もはやヨセフの母になど、見向きもしないかも知れない。白き人々の崇める神は、他重婚を許さない。ならば母は、捨てられるのだろうか。ヨセフはどうであろう。インティの血を引くヨセフは、──同じように、安易に打ち捨てられるのだろうか。

 だがそこまで考えて、ヨセフは思わず笑ってしまった。

「今更じゃないか。……そうだ、今更だ。白き人々も、インティの民も、考えることは違わない、……」

 ヨセフが取り戻した、太陽の紋の首飾り。白き人々の支配を受け入れた母は、神と信じたその首飾りを、、泉に投げ捨てた。

 とぷんと響く静かな水音。恐ろしく澄んだその泉に、他の生命いのちの姿はなかった。何が何だか分からないまま、ヨセフは月光を湛えるその水面を、捧げられた供物の大きさだけ乱れた波紋を、ただ声もなく見つめていた。

「新しいものを得るために、みんな、古いものを手放していく、……」

 一人ぽつりと、呟いた。

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