第39話 その命の使い方

 会津藩の勧めで、近藤は大阪での療養に同意した。ここ伏見はいつ戦争が起きるか分からない。日々、状況は変わっていた。近藤を一人で戻すわけには行かない、護衛もしっかりした者でなければならない。しかし伏見を手薄にするわけにもいかない。

 松本良順と共に幕府の医者が大阪城に入ったと聞く。そうであれば椿が同行する必要はない。誰を護衛につけゆのかを土方は悩んでいた。


「土方さん。宜しいでしょうか」

「椿か、入れ」


 土方は難しい表情で腕を組みしたまま顔を上げた。近藤の代わりに土方が実質、この新選組を仕切っている。その重責は計り知れない。


「お願いがあってまいりました」

「なんだ、あらたまって。言ってみろ」

「近藤さんが大阪へ退くと聞いたのですが」

「そうだ。あの状態で戦が始まっては命が危ない。局長の命は新選組の命と同じだからな」


 椿が隊の編成や仕組みに口を出したことも無ければ、出す立場にない。しかし、医者としてどうしても言っておきたい事があった。椿は土方に深々と頭を下げこう言った。


「近藤さんが大阪へ下がるのに護衛が必要かと思います。その者が誰か決めかねているのであれば、どうか沖田さんを一緒に」

「総司だと! 駄目だ、あいつがどれだけの戦力だと思っているんだ。あれを欠く事はねえよ」


 椿はゆっくりと顔を上げ、更にこう続けた。


「土方さんはお気づきか存じませんが、沖田さんはある病を患っております。本人は気づいていると思います。彼はそれを理由に新選組から絶対に離れません。しかし、このままにしておけば命が縮むばかりです」

「なんだと!」


 沖田はここ数ヶ月、咳が止まらず隊を離れることがたびたびあった。土方は沖田が幼い頃より体があまり強くはなかったと記憶している。それとこれが関係するのだろうかと考えた。


「沖田さんの武士としての名誉を傷つけずに、新選組の士気を下げない為にも彼を、近藤さんの護衛として同行させて下さい!」

「......椿、総司の病気それは治るのか」


 椿は土方の問いに、奥歯を噛みしめて首を横に振った。それを見た土方は目を見開き、暫く椿の顔を睨んでいた。

 椿はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。沖田の病は池田屋事件のあたりから顔を出し始めたのではないかということを。そしてその病名は長州で名を馳せた、今は亡き高杉晋作と同じだということ。この時代では決して完治することのない病、労咳ろうがいと言う肺を蝕むもの。若い沖田の体はその病魔に着実に侵食されていた。


「そうか......お前がそう言うなら、そうなんだろう。暫く一人になりたい、外してくれ」

「はい」


 土方の部屋を出た椿は一人、隊士達の部屋から離れた場所を選んで腰掛けた。本当は随分前から気づいていた。松本良順から借りた医学書を何度も読み直し、進行を抑える術はないかと模索した。しかし、今の医術では沖田の病を治すことはできないと知ってしまったのだ。誰よりも自尊心が強い彼に告げることができずに、今日まで来てしまった。

 椿が新選組の屯所に出入りし始めた頃、沖田はこう話している。


『僕は、近藤さんや土方さんの手足となって戦うために居るんです』


 明日がどうなるか分からない、でも沖田が唯一誇れるもの。それは近藤や土方が率いる新選組なのだと。そんな男に言えるはずがなかった。刀を振るわずに病に倒れるなどあってはならない事なのだから。


「寒くはないのか」


 沖田の事を考えていた椿を現実の世界に呼び戻したのは斎藤だった。


「羽織も持たずに風に当たるな。医者の不養生は一度だけにしてもらいたいものだな」

「あ、すみません。考え事をしていたので」


 ぱさりと椿の肩に着物が掛けられた。


「斎藤さん! だめです。斎藤さんが風邪をひいてしまいます」

「稽古上がりで汗をかいている。今から湯浴みだ。それまで羽織っておけ。俺が戻るまでに部屋に戻してくれればいい」


 斎藤はそう言いながら膝をつき、椿に目線を合わせた。


「誰も自分の死に様は選べんのだ。あんたが気に病んだところで、それは変わらん」

「斎藤さん」


 すっと腰を上げ、斎藤は風呂場へ行ってしまった。山崎にも沖田の事は言っていない。今日、初めて土方に言ったのだ。斎藤も沖田の事はずっと気に留めていたのかもしれない。新選組一、二を争う剣豪者と呼ばれた仲で、壬生に居た頃はよく手合わせをしていた。


 ––私が気に病んでも、沖田さんの病を治すことは出来ない......。


 沖田には伏見で終わってほしくない。まだ、ここぞという時期ときがある筈だと椿は思っている。その時に思う存分刀を振るい、武士としての使命を全うして貰いたい。

 椿は斎藤の羽織を届け、自分の部屋に戻ろうとした。ふと、土方が一人になりたいと言っていた事を思い出す。同じ部屋であるがため、戻るに戻れぬ現状にとため息がこぼれた。


「椿さん」


 振り向くと山崎が心配そうに近づいてくる。


――私、今とても情けない顔をしている


「山崎さん、私っ」

「そういう時は俺を探してください」と


 山崎は椿の頭を自分の胸に押し付けた。

 山崎は土方から沖田のことを聞いたのだ。その事で椿は自分を追い込んでやしないか、一人で皆の命を背負っているのではないかと心配なった。人一倍負けん気が強くて、人を想う心を持っている。だから山崎は椿の姿をずっと探していたのだ。


「一人で悩まないでください」

「すみませんっ」


 人目を避け、二人は廊下の端に腰を下ろした。椿が一人抱え込んで悩んでいたことを山崎は知っていた。詳しくは聞かされていないが、沖田の体は思わしくないと土方が言っていた。山崎もある程度、病に関して心得がある。椿以外に決して脈を取らせない沖田の態度から、何となく察していた。


「沖田さんの事、ですよね」

「っ、はい」

「微熱、咳、倦怠感、食欲の衰え、青白い顔。それを見れば想像がつきます。労咳、ですね」

「そうだと、思います。私、見てしまって。沖田さんの手拭いが、赤く......っ。だから、もうっ」


 俯いてはらはらと涙を流す椿を、山崎はただ黙って見ているしかなかった。剣に生き、剣に死ぬ。それが武士としての最高の栄誉である。それが叶わないのだ。刀を握らない山崎でもその無念さは計り知れない。誰もが思うだろう、沖田に限ってと。鮮やかに舞うように振るわれる剣筋に、倒せぬものは無いとまで言わせた男。


「沖田さんはその事を」

「私からは言っていません。でもご本人は知っていると思います」

「そう、ですよね。他人に敏感な彼が、自身のことを知らぬ筈がないですよね」

「はい」




 その後、土方は近藤の護衛に沖田を指名した。


「椿くん、後の事は頼んだぞ。すぐに治して合流するからな。それまで歳を支えてやってくれ」

「はい」

「椿さん? 土方さんの言う事なんて、話半分ですよ」

「ふふ、はい。沖田さんを見習います」


 年の瀬がいよいよ迫ったその日、二人は大阪城へ向けて出発した。

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