浅葱の空へ

第38話 近藤勇、襲撃事件

 年の瀬が押し迫った、十二月九日。また時代の大きな波が襲ってきた。王政復古の大号令が発せられたのだ。

 これまで徳川主体で動いてきた武家社会を撤廃し、天皇の下で新たな組織を立て直す事が決まった。これによって徳川は今までの地位と、支配してきた土地を全て天皇に返上せよと迫られたのだ。大政奉還を申し出はしたものの、これまで築いてきたもの全てを手放すなどとは言っていない。誰が納得するだろうか。幕府はこれに徹底的に抗戦する構えをとった。


「というわけだ。大阪に向かう!」

「はい!」


 先日、二条城の警護へ出かけた新選組だったが、先に水戸藩が配置についており再び京に戻ってきていた。情報が錯綜さくそうし誰の命令なのか、何が正しい指示なのか見失っていた。そして落ち着く間もなく、新選組は大阪へ行くことになった。隊士たちは混乱の中、移動の準備に追われる。


「斎藤さん、なんだか落ち着きませんね」

「仕方がないだろう。幕府も混乱している」


 すでに帰隊した斎藤は諦めの胸中でそう椿に諭した。


「しかし大阪なら椿は困らないだろう」

「そうですね。私も何かのお役に立てるかもしれません」


 もともと大阪で生活していた椿は京よりも慣れている。

 こうして新選組は京を引き上げ、大阪へ向けて出立した。土方がもう戻ることはないだろうと言うと、誰もがそれに頷き、武士と言う時代の終わりを感じ始めていた。


 そう言えば山崎の姿が見当たらない。気になった椿は、隣を歩く沖田に尋ねる。


「ところで、山崎さんはどちらに」

「山崎くんなら先に行っていると思いますよ。誰かさんが急に用事を頼むから」

「......?」


 山崎は主に近藤や土方の命で動く。沖田の言う誰かさんは土方に間違いないだろう。とにかく何かにつけて山崎、山崎なのだ。幕府の隠密も会津の隠密も用をなさなくなってきた。唯一信用できるのは新選組が誇る監察方のみ。山崎を中心に数名の監察が散らばって動いていた。


「そうですか。でも、いつも山崎さんですね」

「彼は身のこなしが軽いですからね。椿さんは見た事ないでしょうが、彼は棒術が得意ですよ。一度手合わせをしたいなぁ」

「棒術、ですか。知りませんでした」


 山崎は一般隊士と違い戦うことは少ない。しかし、戦場を伝令などで駆け抜ける必要がある。ある程度、身を守る術を持っていた方が断然有利なのだ。また、島田は刀の使い手であり、近頃は組長補佐伍長として忙しくしていた。

 そんな話をしながらやがて大阪に着いた。


 大阪では以前のように屯所となる場所は広くなかった。その為、必然的に誰かと相部屋になる。しかし唯一の女である椿には一部屋与えられると思っていたが、違っていた。


「あの、何故こうなったのですか」

「何故でしょうね」


 椿は納得の行かない表情で愚痴る。それに答えたのはにこにこ笑顔の沖田だった。ようやく合流した山崎は複雑な表情をしている。その理由は......。


「部屋が足りねえんだ、仕方がないだろ。にしても、総司! 何でお前まで此処に居るんだよっ」


 一般隊士は相変わらず雑魚寝だが、組長級の者は三人から四人で一部屋を使うことになっている。


「あの、それは私の言葉ですよ? どうして、土方さんと沖田さんも同部屋なのですか」


 そうなのだ、この部屋は土方、沖田、椿そして山崎の四人部屋となっている。


「山崎は忙しくなるから俺が責任をもってお前を護るためだよ」


 と土方は言う。


「そんな土方さんも会議で殆んど居ませんから、僕が椿さんを護衛するんですよ」


 沖田が尤もらしく言う。すると山崎は真顔で割って入った。


「俺、出来るだけ椿さんから離れないようにします」


 椿は思った。そういう問題ではないのだ、と。




 ようやく大阪に腰を下ろして隊務が始まるのかと思った矢先。近藤の意気揚々とした声が響いた。


「伏見奉行所の警護を仰せつかった!」


 幕府軍は伏見で薩長連合軍をくい止めるつもりでいる。いよいよ戦争が始まるのだ。近藤の表情とは逆に土方は厳しい顔をしていた。なぜならば、他の藩とも折り合いをつけ、新選組の居場所を確保しなければならないからだ。ただ幕府の犬となり働くだけではダメだ。いかにいい位置で、いい働きをするか。それが今後の評価に大きく影響する。

 落ち着く間もなく、また移動の準備が始まった。


「椿。お前は大阪に残れ」

「え、それはどうしてでしょうか」

「今回のは戦になる。此処にいた方が安全だ」


 椿はそれを聞いて腹が立った。このひとは今更何を言っているのかと。あれほど何度も確認したではないか、と。


「何度も言わせないで下さい! 私もついていきます!」

「本当に戦になるんだぞ」

「現場に軍医が居なくてどうするのですか。怪我をした隊士に大阪まで歩いて帰れと? 軍医の持ち腐れはやめて下さいっ」

「椿、死ぬかもしれないんだぞ」

「私は死にません。それに皆さんを死なせない為に私は存在している筈です。最後まで全うさせてください」


 土方は暫く黙り込んだ。自分が椿を軍医にと押し上げておきながら、本心はこんな危うい戦争に椿を巻き込みたくないと思っている。山崎の事を思うと尚更にそう思ってしまうのだ。しかし、椿は梃子てこでも動かない頑固者だ。置いて行ったとして、自力で伏見に来ることだってあり得る。ならば、


「分かった。その代わり俺の傍を離れるんじゃねえ。これは副長命令だ。いいな!」

「はいっ」


 その夜、土方は山崎を呼び出した。


「すまん。椿を連れて行く」

「承知しています。土方さん、椿さんの事を宜しくお願いします。もしこの先、俺に何かあったら」

「山崎」

「彼女の事は副長に託します」


 そう言って、山崎は深く、深く頭を下げた。自分は死なないと誓った。しかし、誓いと現実は違うことを誰よりも知っている。自分に何かあっても、土方なら椿を幸せにしてくれるはずだ。そう思っていた。

 椿だけは何が何でも護りたい。今の山崎はそれしか頭になかった。



 ◇



 再び、新選組は伏見奉行所の警護を理由に伏見入りした。新選組は会津藩の主力となるべく気合を入れる。近藤は偉い方と会合が増え忙しくしているが、表情は晴れやかだった。


「新選組が幕府のお力に添えるよう、我々は尽くさねばならん」

「ああ。ここからが本当の正念場だろう」


 土方は近藤の率いる新選組を動きやすくする為に根回しに追われていた。

 そんなある日、山崎が血相を変えて飛び込んできた。


「失礼しますっ! 副長、緊急事態です」


 土方の顔が一瞬で曇った。椿はこの場を外したほうが良いと判断し、部屋を出ようとする。


「椿さんもお聞きください」

「あっ、はい」


 いつもは土方の指示を待つ山崎が先に言った。二人の間に緊張が走る


「何があった」


 山崎は表情を緩めることなく、寧ろ更に険しい顔になる。


「局長が二条城からの帰りに、何者かに襲撃されました」

「なに!」

「今、島田と戻ってきている途中です。右肩に銃弾を浴びたと」

「椿、すぐに準備をしろ! 俺が途中まで迎えに行く。山崎は椿を補佐してくれ」

「はっ!」


 土方がそう指示を出すと刀を腰に差し、部屋を慌ただしく出ていった。山崎は椿に治療は近藤の部屋で行うと伝え、その準備に取り掛かる。

 局長が撃たれたと聞いて、体中から嫌な汗が噴き出るのが分かった。銃で撃たれたとなると、切開もしなければならないだろう。


「熱いお湯、さらし、切開、摘出、消毒、縫合…あ、薬」


 炊事場の者に湯を沸かすように指示を出す。痛みで暴れるかもしれない、食いしばる手拭いも必要だ。松本良順から学んだ医術が、まさか局長が最初の患者になるとは思いもしなかった。


––––失敗は許されない、局長は絶対に助けなければ!


 自然と心臓が早まり、指先が震える。ぎゅっと拳を作って心を落ち着かせる。


「椿さん!」

「はい、山崎さん」

「自信を持って下さい。貴女は医者です! 蘭方医から学んだ優秀な新選組の、軍医です!」


 そう言い、椿の震える手を両手で包み込んだ。椿は思い直す。自分がおどおどしてはならない。他に誰が出来るというのか。自分しかいないではないか。いや、誰にも任せられない。


––––私は新選組の軍医なのだから!


「ありがとうございます。大丈夫です!」


 受け入れ準備が整ってすぐ、外が慌ただしくなった。山崎が迎えに出る。椿は深呼吸をし、皆の到着を待った。

 廊下が足音で騒がしくなり、土方と島田が近藤の両脇を抱えて入って来た。近藤の顔色は青白く、唇も血の気を失っており紫がかっていた。右肩から胸にかけて血が付いている。


「そこに仰向けにお願いします。島田さん手伝っていただけますか」

「勿論です!」

「近藤さん! 椿です。もう大丈夫ですから」


 椿は近藤の耳に届くようはっきりと大声で叫んだ。近藤は薄っすらと目を開け軽く頷く。


「着物を脱がせます」


 羽織りとその下の着物を上半身だけ脱がせる。襦袢は既に真っ赤だった。肩の付け根あたりが酷く黒い。椿は目を必死に凝らした。


「ここ、ですね」


 背中を確かめたが無傷だ。やはり弾は体内に残ったままなのか。


「近藤さん、かなり痛みますがどうか堪えて下さい! すみません、近藤さんが暴れてお怪我をしないように押さえて下さい。両膝と腰、あとは反対側の肩。身体が浮かないように、お願いします!」


 近藤も体格が良いため、もし暴れでもしたら椿には手に負えない。土方、島田、山崎の三人がかりで近藤を押さえた。

 椿が濡らした手拭いで傷口を押さえて血を拭うと、弾丸で裂けた皮膚が見えた。傷口はこんなに小さいのになんと恐ろしい威力か。幸いにも弾が残っている気配は無かった。それでも傷は決して浅くない。筋肉を裂き、神経をもエグっている。

 ガタガタによれた皮膚を切り、縫合した。化膿止めの薬を塗り、サラシてキツく縛った。その間、近藤は呻き声すら上げることもなく、額から脂汗を流しながら手拭いを噛み締めていた。


「終わりました。弾は残っていません。恐らく掠めただけでしょう。それでも神経を傷つけていますから、当面は動くことは出来ません」

「そうか」

「二、三日は熱との闘いになるでしょう。その間、私がここに寝泊まりします。宜しいでしょうか」

「 ああ、頼む。島田と山崎は誰がやったのか調べろ」

「はっ!」


 こうして椿は近藤の看病の為に昼夜傍に仕えた。近藤は伊達だてに局長ではなかった。かなり痛むだろう傷を抱えておりながらも、それに黙って耐え続けたのだ。

 そして三日後。


「椿くん、すまんな」


 会話ができるまでに回復した。

 椿は涙を拭いながら、近藤が目を覚ましたことを喜んだ。しかし近藤の腕はまだ上がらない。痛みは今もあるだろう。それでも近藤は柔らかな笑みを椿に向けたのだ。


「近藤さん!」

「ん、総司か」


 待ちかねたように沖田が飛び込んできた。近藤の事を死ぬほど心配していた一人だ。様態が落ち着くまで誰も部屋に入れていなかった。意識が戻ったと聞いて飛んできたのだ。だから椿は静かに部屋を出る。まるで親子の再開のように見えたから。


「椿さん」


 声を掛けられ振り向くと、眉を下げた山崎がいた。山崎はゆっくりと椿に近づくとそっと肩を抱き寄せた。


「あ、やまっ」


 山崎の腕の中に収まると、これまでの緊張が少しづつ解れていくようだった。冷え切った身体も温もりを取り戻す。近藤が倒れてから、初めてゆっくりと呼吸をしたような気がする。


「流石です。椿さんは新選組が誇る立派な医者です」


 その言葉を聞いて、ようやく役目を果たせたのだと感じた。強張った体が山崎の声を聞いて、ゆるゆると崩れる感覚に陥る。椿は山崎の胸で暫く泣いた。


「山崎さん。ありがとうございます」

「いえ、俺は何もしていません」

「そんな事ありません。山崎さんが励ましてくださったから、近くに居てくれたから成し遂げる事が出来たのです」


 そう言って、山崎の着物の袖をギュッと握った。山崎はにこりと微笑み、椿の背中をポンポンと撫でてやった。






 その後、面会が可能となった近藤の部屋に会津藩の者が出入りし、今後の事を話し合い始めた。後日、監察方の報告によると近藤を襲ったのは、あの油小路で取り逃がした御陵衛士の残党と知らされる。


 因果応報とは、こう言う事を言うのかもしれない。

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