第16話 救護班
椿は土方に言われた通り、処置を始めようと藤堂の側に腰を下ろした。藤堂は血が顔を流れ目を開けていられない状態だった。早く処置をしなければと顔近づけたところで、藤堂が刀の鞘に手を添えた。
ーーえっ!
それを見た山崎が直ぐに椿の腕を掴み自分の方へ一旦引き寄せた。
「藤堂さん! 山崎です。今から治療します。良いですか!」
「山崎くんか。悪い、頼むよ」
椿はそれで理解した。椿は当たり前のように近寄ったが、藤堂は相手が誰か分からないのだ。敵である可能性が高いこの状況下で、身を守るために刀を抜いてもおかしくない。自分は分かっていても視界を奪われた藤堂には分からないのだ。
いつもの日常ではない。ここは戦場なのだから。
「藤堂さん! 椿です。今から額の血を拭います。痛むかもしれませんが、頑張って下さい!」
「椿……おお、頼む」
山崎が往診箱から濡れた手拭いを椿に渡す。尾形は周りに目を向け、浪士の動きを見張った。
椿が藤堂の額の血を拭うと、そこにはかなり深く斬られた痕があった。拭ってもすぐにまた血が流れ出てしまう。椿は藤堂をその場に寝かせることにした。
「藤堂さん、私の膝を枕にして仰向けに寝てもらえませんか」
「こう、かな」
「はい! ありがとうございます」
上から覗き込む形で血を横に流しながら傷を確認する。別の手拭いで目を隠し、これ以上血が目の中に入らないようにした。ごしごしと傷回りを濡れ手拭いで拭く。藤堂は気が高ぶっているからだろうか、痛がる様子は見られない。化膿止めの薬を塗り込み、更に上から止血薬を擦り込んだ。その機を見計らって、山崎がサラシを出してきた。二人の息はぴったり合っている。
サラシで額をぐるぐる巻にし、強く縛る。
「藤堂さん。終わりました。あくまで仮の処置です。出血が酷いのでこのまま此処で待機願います」
「分かった。ありがとう」
椿があたりを見渡すと、刀の音は殆どしなくなっていた。すると、敷地内から誰かが呼んでいる。
「誰か手を貸してくれ! 奥沢がヤられた!」
その声を聞いた瞬間、椿は脳内が沸騰したように熱くなり、何かに憑依された如く身体が勝手に動いていた。
「山崎さん、裏庭は入れますか。確認を」
「承知した」
山崎は軽快な動きで手を塀につき、トンっと飛び越えて敷地内に入っていった。暫くして内側から戸が開き、手招きされた。椿は尾形と二人で中に入る。
椿たちが裏庭につくと、かなりの数の人が倒れており血の臭いが漂っていた。
「椿さん! こっちです」
奥沢と言う隊士が胸から血を流し息も絶え絶えだった。椿は山崎と共に素早く隊服を剥がして行く。刀傷は右袈裟がけに二本、一本は浅くもう一本は深く長かった。
「奥沢さん! 気をしっかり持って下さい! 痛むと思いますが我慢してください!」
手拭いの端を丸めて奥沢の口に突っ込んだ。痛みで舌を噛み切らないためだ。消毒用の酒を口の中に含むと、勢いよく身体に吹きつけた。
「ぬうぁぁぁ! うぅっ、ぐぐぐ」
奥沢の肩を押さえつけ二、三度繰り返した。そして、化膿止めの薬をすり込んでいく。不思議なことに血はそれほど流れていない。
斬り手の腕がかなり良かったのだろう。見事な太刀筋だった。サラシでキツく巻き終えたころには、奥沢は気絶していた。
「表に、藤堂さんの隣に運んでください」
「承知した!」
「新選組、救護班! 他に負傷者はいませんか!」
椿は助けを求める声を聞か逃さまいと必死だ。その時、逃げ遅れた一人の浪士が椿の後ろに立った。椿はまったく気がづかない。椿の少し先にいた原田が怖い顔をして叫んだ。
「椿っ! 後ろだ、後ろ!」
椿がふと首を後ろに振った時、男が椿の首を取り刀を顔の横に突き出した。それを見た原田の表情が強張った。
しかし、次の瞬間!
椿は身をかがめ、踵で男の足の甲を思い切り踏みつけたではないか。「うっ」と男の声が漏れたのを聞くと、すぐに股間を後ろ足て蹴り上げた。そして男が前のめりになったのを利用し、なんと椿はその浪士を背負い投げしたのだ。
「ぐはっ。いで、で」
すぐさま駆けつけた原田が男を押さえつけ、縄で縛る。
「椿、お前……やるな」
椿の憑依状態はまた継続したままだった。屋内から「沖田が倒れた!」と言う声を耳にするとその方へ迷いなく走った。
「沖田さんは何処ですか! 椿です!」
「椿さん、中は危ないっ!」
戻って来た山崎に椿は後ろから両脇を取られ進入を阻まれる。
「でも、沖田さんがっ!」
「俺が行きます! 椿さんは此処に居てくださいっ!」
山崎が真っ暗な部屋に消えていく。椿はその後ろ姿を見て正気になった。
ーーだめ、行かないで!
「山崎さんっ!」
椿は柱を背にして待った。僅か数分の事がとても長く感じられ、手に汗が滲んだ。
ーーどうか、お願い。無事でいて……
ギシ、ギシと
椿は静かにふうっと、息を細く吐いた。安堵の溜息だ。沖田は意識があるのか分からないまま、外に運び出し横にした。沖田の胸元には血がついている。椿は山崎と沖田の装備を手早く剥がし、着物の襟元を大きく広げた。肩、首、胸、背中、腰と確認したが、どこにも怪我は見当たらない。沖田に付いた血は誰かの返り血だったのだろうか。
「沖田さん。沖田さん! 分かりますか。椿です!」
息はある。しかし目は閉じられたままだ。苦しいのか眉をぎゅっと寄せて、口も引き結んだままだ。それなのに握りしめた刀は、どうやっても離そうとはしなかった。
「怪我はない。では何が……。斎藤さん、沖田さんが倒れていたのは何処ですか。状況を教えください」
斎藤が言うには、沖田は壁を背にして寄りかかったまま立っていた。額からは大量の汗を出し体は小刻みに震えていたと。
「熱気に当てられたというの」
椿は沖田の首筋に指を当てる。熱を持っているし、脈も弱い気がした。
「山崎さん、脈を測ってもらえませんか」
「分かりました」
椿は脈を正確に測るのが不得意だった、しかし逆に鍼灸をする山崎は脈や血流に敏感であった。ここは山崎に診てもらうほうが確実だ。
「一定していますか」
「……
とっ、とっ、とと、……と、とっ、とっ……。
「両脇と後頭部に濡れた手拭いを敷いて下さい。あと、尾形さん水有りませんか」
「此処に」
念のためにと竹筒に飲み水を入れていたのだ。椿は沖田の首を持ち上げ、水を口の端から少しづつ流し込んだ。山崎は脈を取り続けている。そして沖田の体をを締め付けているもの全てを緩めた。
「山崎さん、どうでしょう」
「まだ弱いですが安定してきました」
「ありがとうございます」
突入からおよそ
結局、会合に参加した者の半数以上が死亡。新選組も救護班の働き虚しく、三名が殉職。ほぼ即死であった。
屯所に帰隊したのは
隊士たちが帰還した後も広間は怪我をした者で溢れていた。刻限は
多くは命に別状はなく、傷口の洗浄と化膿止めの薬を塗る程度で終わりそうだ。しかし、椿たちの戦いはこれからが本番だ。寝る暇もなく夜が明けるまで、負傷者の手当に当たるのだった。
後に、これを【池田屋事件】と呼ばれるようになり、新選組が世に知れ渡った事件となった。
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