第15話 池田屋
新選組の監察隊の報告によると、池田屋が一番可能性が高いと言われていた。何故ならば池田屋の主人である惣兵衛が贔屓にしていた客の殆どが、長州弁を話していたからだ。また、池田屋から少し離れた先には長州藩邸がある。
一方、会津藩の隠密の報告では四国屋だと報告された。古高俊太郎もこの二つのどちらかだと言っていた。
「歳、どちらだと思う」
近藤は土方に問いかけた。
「俺は池田屋だと思っている」
「そうか、ならば私が池田屋に行こう。歳は四国屋に向かってくれ」
「分かった」
近藤は土方の勘の鋭さを信用している。それはまだ京に上がる前、日野にいる頃から土方が思う事に外れが無かったからだ。その土方が池田屋だと思うなら皆で向かえば良い。しかし、会津藩預かりの身としては、四国屋情報を無下にはできない。それに、他にも優良情報が二十近くあった。
近藤は松原隊にそれらをざっくりと御用改めさせ、
これには会津藩も応援として、当たりを付けた宿場へ行く手筈になっており、
こう言った作戦のもと、新選組は出陣したのである。新選組は間違いなく池田屋だと睨んでいた。土方も近藤も新選組の監察隊は、会津藩の隠密よりも有能であると信じていた。
日暮れと共に町へ散った新選組は、近藤隊を除く二つの隊が京の町を駆け巡った。あの重装備で六月の蒸し暑い中を駆けるのだから、半端ない量の汗が至る所から噴き出してくる。
「足を止めるな!」
「はい!」
土方は先頭を駆けていた。ザクザクと音をたてながら片っ端から店の戸を叩いた。
「新選組、御用改めである!」
数件それを繰り返したが、やはり当たりはなかった。
「次! 四国屋」
「はいっ!」
この時点ですでに、隊士たちはかなりの疲労を感じていた。
松原隊に与えられた御用改めは十五箇所あまり。どんなに池田屋だろうと臆測を立てていても、あくまで臆測だ。何処に当たりが潜んでいるかは分からない。松原隊も緊張の糸は緩めることはなかった。
「あと二箇所だ。終わったら池田屋に向かう。気を抜くな!」
「おお!」
新選組は大将に値する者はみな先頭を走る。それは大将自ら先頭に立てば、平隊士の士気が高まると知っているからだ。大将の背中を見ながら、蒸し暑い京の街を走り続けた。
ーーやはり池田屋か……!
みながそう思い始めた頃、屯所守備組は出動準備に追われていた。刀での戦闘になるため、大量のサラシと濡らした手拭いに消毒用の酒を袋に入れる。そして止血用の紐、仮縫合用の針と糸。そして痛みを和らげる薬。椿もこれらを持って走らなければならない。しかも、いつ敵から襲われるかも分からない中での作業となる。
道具の多さから椿一人で抱えて走ることは出来ない。そのため、山崎と尾形という男が椿の護衛を兼ねて出動することになった。
時間は
まだ、伝令は来ない。
この時点で、新選組が思う池田屋でほぼ間違いない事が予測できた。
「山崎殿」
「分かっています。尾形君、準備を」
「はっ!」
山崎が尾形に指示を出し、荷物を二つに手早く纏めた。山崎は山南へ現状を報告すると半刻後に出動するようにと命令を受けた。
「椿さん」
「はい」
「半刻後に出動です。あなたは何も持たなくていい。足だけを動かしてください。俺が誘導します」
椿は静かに頷いた。
頭の中でもう一度手順をおさらいする。現場到着後、安全な場所を確保し怪我をした隊士の誘導をする。壁か塀を必ず背にして処置をする。助かる見込みの無い者は手当無用。
怪我の軽い者は手当の方法を指示し自分で処置をさせること。手を施せば助かる中程度の怪我人を優先的に椿が見る。これは全て土方からの指示だった。
限られた現場での処置を効率よく行うには、かなり進んでいる考えだろう。しかし、この場合息がある者でも助からないと判断されれば、見捨てなければならないということになる。それを椿はできるのだろうか。否、やらなければならないのだ。
「ふぅ。大丈夫、大丈夫、できる。私はできる」
何度も何度もそう言い聞かせた。
「椿さん、間もなくです」
「はい」
静かに立ち上がり、山南敬介のもとへ三人は向かった。
「準備はよいですか」
「はい」
「椿くんは出来るだけ、多くの隊士を助けてください。そして絶対に生きて戻る事。これが貴女の任務です。よいですね」
「はい。承知しています」
「山崎くん、尾形くん。貴方たちは椿くんを無傷で連れて帰る事!」
「御意!」
「新選組、救護班出動願います」
三人は山南に深々と頭を下げ、屯所の門を抜けるも池田屋へ向けて走りだした。椿は灯りのない暗闇の中を、山崎の背だけを見てひたすらに足を動かした。
ーー大丈夫、やれます。新選組のために、やるんです!
椿たちが屯所を出たちょうどその頃、近藤隊は痺れを切らし始めていた。来るはずの会津・桑名藩の応援の気配が全くないのだ。
ーー幕府の隠密は何をしているのだ!
その頃、土方隊は四国屋の御用改めを終わろうとしていた。松原隊もあと一か所を残すのみとなった。二つの隊は間もなく近藤隊と合流する。
しかし近藤は待てなかった。
刻限は
「もう待てん! 行くぞっ」
近藤が先陣をきり池田屋の戸を開けた。
「主人はおるか!」
大きな声で叫んだ。
池田屋の惣兵衛はすっかり油断していたのか、待ち合わせの侍だと思いこんでいた。
「へい、お二階でお待ちです」
「御用改めであるぞ」
「……ひ、ひぃっ」
惣兵衛は目の前に立つ近藤たちを見て一気に顔を青くした。同時に二階を振り返り駆け上がっる!
その姿を見て間違いないと確信した近藤は、沖田と二人で追うように階段を上がる。
「御用改めであるぞ! 手向かい致すものは容赦なく斬り捨てる!」
狭い階段を駆け上がった。二階は天井が低く、全員で上がるのは難しい。事前に監察方から聞いていた間取りの通りであった。
そこで、永倉と藤堂は階段の下で待ち伏せることにした。
「他の者は裏庭を押さえろ!」
永倉の指示のもと、他の隊士たちは裏口から裏庭へ回った。二階からはすぐに刀が交わる金属音と怒声が響く。すると、わらわらと二階から転がるように浪士たちが降りてきた。そこへ永倉と藤堂が待ち伏せる。
沖田は部屋から廊下に飛び出してきた者を、一人、二人と舞うように斬った。近藤は一階へ逃げる者を追った。沖田なら一人でも大丈夫だと判断したのだろう。追い込まれた浪士たちの殆どが二階の窓から裏庭へ飛び降りた。それを待ち伏せていたのが、谷、奥沢ら数名の隊士だ。
この裏庭が一番の激戦区となりつつあった。次から次へと浪士たちが逃げ場を求めて落ちてくる。
「うあぁぁーー」
「おのれぇーー」
逃げる浪士を一階の奥の間まで追い詰めた近藤は、二人の浪士を目の前に置き、刀を上段に構え直す。
「貴様らの不逞はこの新選組が許さん!」
近藤の凄まじい気迫に押され、手も足もでない浪士二人は、あっけなく近藤の袈裟斬りでこと切れた。
一階では沖田の刀の攻撃からすり抜けた浪士たちが、滑るように降りてくる。永倉と藤堂が店の出口を塞ぎ、右から左からと迫りくる者を順に斬り捨てる。この時点で数名の人間を斬ったのだ、刀は次第に用を成さなくなりつつある。
「くそっ」
藤堂が一瞬、自分の刀の刃零れに目をやったその時ーー!
「ぐはっ」
藤堂が斬られた。
「平助! 危ねぇ!」
藤堂にとどめを刺そうと振りかぶっていた男の背を、間一髪で永倉が後ろから斬った。永倉が藤堂の側に行くと、額から大量の血を流している。鉢金をしていたにも関わらず、その隙間を縫うように斬られてしまったのだ。流血は止まらず、藤堂の視界は血の色で塗り替えられていく。
「外に出ていろ!」
藤堂、戦線離脱。
永倉も左手に怪我を負っていたが幸い深くなく、尚も立ち向かっていく。
閉め切られた屋内は血の臭いが充満し、湿った重苦しい空気が全体を覆った。気をしっかり持っていないと、この空気に意識を持って行かれそうだ。
一方、二階で戦っていた沖田の足元がふらつきはじめた。今になってこの重装備が体に響いてきたのか。
「どうして……こんな、大事な時に限って」
沖田は壁を背に凭れ掛け、唇を噛みしめ何とか踏みとどまる。
裏庭は戦場と化していた。互いに斬り合い、誰が味方で誰か敵か判断がつかなくなっていた。ばたばたと倒れる人、それは敵なのか見方なのか。
「裏口から逃げろ!」
誰かが叫んだ。
裏口から長州藩邸まで走ればすぐの距離。浪士たちの目が裏口へと向けられた。これ以上ここで戦うのは難しい。
この池田屋にいる全員が、少しずつ限界を迎え始めたのは、
「原田! 裏口へ回れ! 斎藤、武田、島田、正面から近藤さんたちを加勢しろ! 後は裏庭へ回れ!」
土方隊の到着だ。
それを機に形勢は少しずつ新選組へと傾き始めた。この時点で「斬り捨て」から「可能な限り拿捕」へと作戦が変更される。
その後、十二名の隊士が池田屋の四方を固めた。松原隊の到着だ。これで形勢は完全に逆転した。
「松原。恐らくのんびりと構えたお役人たちが、我が物顔でやって来るだろう。絶対に中に入れるんじゃねえ。いいな!」
「はい」
土方が全体を見渡していると表で藤堂が倒れている。裏庭からは血の臭いがしていた。その裏口は原田が行ったので押さえられるだろう。
「椿は、まだか……」
この状況を見て、土方は自分たちが救護班より先に到着した事に安堵した。
土方が池田屋を正面から中に入ると、そこはめちゃくちゃに物が散乱しており、どれ程の死闘が繰り広げられたのかが目に見えて分かった。
「土方さん、あんた近藤さんの所に行かなくていいのか」
刀を下に構えた永倉が奥の広間を見ながらそう言った。
「斎藤が行ったから大丈夫だろう。なに、近藤さんなら心配はいらないよ」
これも土方の野生の勘なのだろうか。ちらりと奥を見ただけで外に出た。夜目の効く土方は目を細め遠くを見つめる。そこに三つの影がこちらに向かって走って来るのが見えた。
「来たか」
先頭を山崎が走り、その後ろを椿ともう一人の隊士、尾形が続く。それを見て土方は先ずは藤堂からだなと、頭の中を整理した。
「ただ今、到着しました」
「ご苦労、なかなか良い頃間だ。椿、先ずはそこの藤堂を見てくれ。刀の音がする間は此処から動くな」
「承知、しま……したっ」
ずっと走ってきたのだろう。椿は肩で息をしている。土方が山崎に目で合図を送ると分かったように頷いた。
「さて、お役人様のご登場か」
闇に紛れて、悠長に幕府の部隊が到着した。土方は隊士の間をすり抜け、会津・桑名藩が率いる数百名の部隊の前に立ちはだかった。
「新選組か。其処をどけ」
ここからの処置は幕府の人間がすると言うのか、土方にそう言った。しかし、土方は道を譲るどころか逆に堂々と言葉を述べる。
「ここから先は近づかない方がいい。中は既に地獄絵図だ、今から入ったのでは気が立った隊士どもが、間違えてあなた方を斬りかねない。万が一残党が逃げ出した時は、処理の方お願い申す」
丁寧に相手を思いやった物言いだが、本音を言えば近づくな。遅れて来ておいて何様だ、手柄は譲らないと言っているのだ。
苦虫を噛み潰したような表情で会津藩の
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