動乱のはじまり

第14話 徳川の命を受けて

 元治元年(1864年) 六月五日 


 広間には隊士が集められていた。上座に局長の近藤勇、副長の土方歳三、そして総長の山南敬介が鎮座している。彼らに対面するように一番隊から順に列を作って座っていた。隊に属していない者は奥の部屋で待機していた。隊に属さない者とは、諸士調役兼監察の山崎烝、専属医の椿など数名の者だ。


 局長の近藤が声をあげた。


「本日、夕刻より一橋慶喜公、松平容保公の暗殺阻止と孝明天皇連れ去りを防ぐため。我ら新選組は出陣致す」

「おお!」


 近藤の勇ましい声が広間に轟くと、士気が高まりを表すかのように隊士たちは声を上げて答えた。椿は拳を膝の上に置き、静かに出陣の儀に耳を傾けていた。


「これより隊編成を行う」


 土方は出陣する隊士を三つの隊に編成しなおした。本来は四番組松原隊の半分を近藤隊につけたかったが、近藤の強い意思に折れ以下の通りとなる。


 近藤隊、計十名。局長近藤勇、沖田総司(一番組長)、永倉新八(二番組長)、藤堂平助(八番組長)、武田観柳斎(五番組長)、谷万太郎、浅野薫、安藤早太郎、奥沢栄助、新田革左衛門。


 土方隊、計十二名。副長土方歳三、井上源三郎(六番組長)、斎藤一(三番組長)、原田左之助(十番組長)、島田魁(二番組伍長)、谷三十郎(七番組長)、川島勝司、葛山武八郎、蟻通勘吾、篠塚峰三、林信太郎、三品仲治。


 松原隊、計十二名。四番組組長松原忠司、宿院良蔵、伊木八郎、中村金吾、尾関弥四郎、佐々木蔵之助、河合耆三郎、酒井兵庫、木内峰太、松本喜次郎、竹内元太郎、近藤周平。


 この三つの隊が夕刻より出陣し、あらかじめ目星を付けている宿場を片っ端から改めるという作戦だ。屯所警備班として総長の山南敬助が就いた。山南の下で山崎を始めとする屯所組が外からの指示を待つのだ。


 別室にいても隊士たちの高揚は十分に伝わって来た。今回の働きが成功すれば、新選組は名実ともに幕府が抱える京都治安維持部隊として、世に知らしめることができる。隊士たちの生活も一気に向上すること間違いなしである。

 新選組の装備は鉢金はちがね鎖帷子くさりかたびら籠手こて、胴などかなりの重さがあるものだった。武器は刀また槍が主要である。

 椿がいちばん心配しているのはこの季節にあの重装備で出陣することだ。六月の纏わりつくような湿った空気。気合で乗り切れるだろうが、相当の体力を消耗する。その中で戦闘が繰り広げられたなら無傷とはいかないだろう。椿は様々な場面を巡らせていた。


 椿は上下濃紺の袴姿に白襷しろだすきを掛け、髪は高く結い上げている。山崎は全身黒づくめで、どう見ても忍びの様相であった。そして、額には鉢金を巻いていた。椿も山崎も命じられたら、すぐに現場に出なければならない。動き易くまた性別が分からないようにしていたのだ。


「以上だ! 号令があるまで暫し待て!」

「はっ!」


 隊士たちの高揚を抑えるのも大変なようであった。あまり浮き足立ってもいい成果は得られない。かといって緊張が高まりすぎても体は動かない。塩梅あんばいが難しいのである。


「椿」


 土方が静かに椿たちが控えていた部屋の襖を開けた。


「はい」

「これを」


 土方が手にしているのはダンダラの羽織だった。それをおもむろに椿へと差し出す。椿は意味が分からず土方の顔を見上げて、意味を求めた。


「出動命令が下ったら、これを羽織って来い。現場に安全な場所はない。誰が味方で誰が敵かの判断もつかねえ。自分の身は自分にしか守れない。だが、俺はお前の命を必ず守ると言った。これは目印だ。これさえ着ていれば少なくとも新選組はお前を斬らない。もし斬ったら、そいつは切腹になる」

「えっ」


 土方は間違えて斬ったら切腹になると言った。なんと恐ろしい事をこの男はさらりと言うのだろうか。椿は震えを堪え、その羽織を受け取った。いったん白襷を解くと、羽織を着てその上から白襷を再び結んだ。


「これでお前も新選組だ」


 右の頬をわずかに上げてそう言った土方の目は、鋭さを増し黒目は怪しげな光を放っていた。そこにいつもの兄のような姿はなく、新選組の鬼がそこにあった。


「ご期待に添えるよう、努めます」


 椿がなんとかそれらしき返答をすると、土方は踵を返して隊へ戻って行った。

 張りつめた空気が屯所内を包み込み、呼吸の音が聴こえてきそうであった。椿は自分にできることを全力でやるのだと、そう強く心に誓う。


「椿さん」


 山崎のいつもと変わりのない声が、椿の緊張した糸を手繰り寄せる。緊張した椿の眉間には皺が入っていた。


「大丈夫です。俺がついています」

「はい。頼りにしています」


 山崎にそう言われてようやく、椿はにこりと笑うことができた。


ーー大丈夫。山崎さんが隣に居るもの。


 椿が握りしめた拳に力を入れると、その上から山崎が手を重ねてきた。その山崎の体温で心と体の緊張がほんの少し緩んだ気がした。




 いよいよ出陣の刻。


「新選組、出陣致す!」


 近藤の雄叫びと共に彼らは町へ散っていった。

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