第13話 枡屋を御用改める
武田の事件があった日の翌日、まさか鬼の副長があんな行動を取るなど、椿には思いもしなかった。
「椿! 申し訳なかった」
「え!」
朝、椿はいつもと同じ刻限に副長である土方の部屋を訪れた。すると土方は椿を見るやいなや、畳に手をついて頭を下げてきたのだ。
「頭を上げてくださいっ、どうしたのですか」
「隊士の不逞は俺の不逞でもある。これは、ケジメだ」
「分かりました。分かりましたから顔を上げてください!」
武田は今回の件を大変反省しているという理由から切腹は免れたそうだ。そして。今回の件が最大の弱みとなり、これまで以上に媚びへつらうようになったとか。しかし、椿はそれを聞いて胸を撫で下ろした。
――よかった、本当によかった。これで切腹だなんてなったら私は寝ても眠れません。
「切腹にしたかったんだが......」
「ひっ、止めてください。それだけは絶対に」
「……そうか」
あれ以来土方は椿を常に側に置き、怪我人が出ればそれの手当てにまでついて来る始末。椿は少々やり辛さを感じていた。しかし、いい面もあった。土方を見たことのない一般隊士は、副長自ら見舞いに来られたと喜び、思わぬところで士気が上がったのだ。土方は自分は山崎の代わりであると言い、金魚のふんのように椿につきっきりだ。
――土方さんだって忙しいのに、なんだか申し訳ないです。
「あの」
「どうした」
「少し、過保護ではないでしょうか」
「誰がだ」
「土方さんですよ。私のことを甘やかしすぎです。もう事件は解決したのですから」
椿がそれとなく言うと、土方は不満そうな顔を椿に向ける。土方も正直のところどこまで干渉してよいのか分からないのだ。
「黙って医術を学びやがれ」
「土方さん......もうっ」
「副長!」
その時、監察方の島田が血相を変えてやって来た。それを見た土方は表情を堅くする。
「何か掴んだか」
「はい、
「ほう、その何かとはなんだ」
「長州と密に連絡を取っています。家屋を
「山崎は」
「枡屋で見張っています」
山崎が一人で見張っていると言う。椿は山崎の身は安全なのだろうかと不安が先に立つ。そこで椿は初めて気がついた。自分は部屋を出る機会を失念し、隊の機密を聞いてしまったと。
「す、すみませんっ。私、まだここに居ました」
「見れば分かる」
話の途中で声を掛けてしまったからだろうか、土方は不機嫌に答えた。二人は椿に構う事なく話し、明日にでも御用改めをしなければという結論に至った。そして土方は机に向かって書き物を始めた。島田はじっとそれを見ている。
椿は益々その場を外せなくなり、じっと座ったまま目を瞑った。
「島田、これを近藤さんに渡してくれ」
「はい!」
「それから、椿」
「はいっ!」
「出動準備をしておけ。いざという時の予行練習だと軽く構えておけばいい」
「え!」
「なんだ」
「いえ、承知しました」
思わぬ土方からの命令に椿は驚いた。はじめは機密を聞いてはならないと焦っていたが、自分は新選組お抱えの医者なのだ。よくよく考えれば、機密を知らずして隊のために動くことはできない。これは椿が本当に新選組の一員で、且つ重要な位置にいるという事を意味している。
◇
翌日とはいかなかったが、局長の近藤が
椿は土方の指示のもと、袴に着替え髪を高く結い往診道具をもって隊の後方についた。
「番頭はいるか」
「へい、へい。どちらさんで」
山崎の合図を確認した土方は、落ち着いた声で番頭に告げた。
「新選組だ、御用改めである」
男は一瞬眉をヒクつかせたが、すぐに笑みを浮かべ返事をした。椿は隊士一人と共に入口近くの土間、柱を背にして待機を命じられる。柱を背にするのは万が一、背後からの攻撃を避けるためだ。椿は念の為、懐に短刀を潜ませてあった。
土方たちは番頭と共に奥の部屋へ消えた。
暫くすると「引っ立てろ!」という怒鳴り声が響いた。そして、先ほどの番頭らしき男が縄につながれて出てきた。その後ろから数名の隊士たちが、大きな木箱を抱えて現れた。
「待たせたな。今回は怪我人なしだ。帰るぞ」
「はい」
小競合うこともなくあっさりと古高は捕縛され、新選組の屯所に連れ帰ることに成功した。
何事もなく終わり安堵した椿だったが、実は土方たちが出てくるまで怖かった。待っている間の椿は、自分の手の震えを抑えるのに必死だったのだ。拳を強く握り、誤魔化していたものの心臓は早く打ち息が上がりそうだった。椿はこんな極限な状況を味わったことはなかった。今思えば、自分が出るほどの捕物ではなかったと思う。しかし、土方は危険がないと分かった現場に椿を同行させ、現場の空気を教えたのだ。
危険はないとはいえ、土方の態度は正に鬼だった。厳しい表情を決して崩さず、眉間の皺はいつもより深く刻まれていた。副長だというのに、自身が先陣を切り奥へ進んでしまう。椿にはその背に、みなが勇気づけられているように見えた。
「ご苦労だった」
「副長、私はこのあと何をすれば」
「部屋に戻っていい。気を張り詰めていただろう。緩めておけ」
「はい」
椿は古高は取り調べと言う名の拷問を受けるのだと察した。噂に聞いたことのあるその拷問は、一切手を抜く事はないと。
椿が部屋に戻る途中、縄、蝋燭、五寸釘を持って走る隊士を見かけた。
「あ、あれで……」
椿はそれらの使い道を想像し身震いをした。そんなとき、沖田が呑気な調子で声をかけてきた。
「椿さんじゃないですか。何をしているんです」
「あ、沖田さん」
椿は思わず、沖田に駆け寄り先ほど目にしたものについて聞いた。
「ああ、あれはね、土方さんのお得意のやつですよ」
なんとも無いように沖田は答えた、
「やはり、そうやって使うのですね」
「怖いですか」
「それは、まあ……。でも、お仕事ですから仕方がないですよね」
「ははっ。椿さん顔が引きつっていますよ。でも、これまだ優しい方だと思うんですよね」
「えっ」
「藩や幕府の方がもっと手厳しいと聞きます」
ーーもっと手厳しいだなんて……!
「まず、縄で体を縛ります。そのあと、逆さに吊るしたり、水を入れた桶に頭を浸けたり。あとは棍棒で滅多打ちにすることもあるし、蝋燭に火をともして炙ることもあります。五寸釘は……」
椿は生唾を呑んだ。もう恐ろしくて沖田から顔を逸らすこともできない。そんな細かい用途まで聞きたくはなかった。そんな事をされたら人間の体はどう変化するのか。椿には安易に想像できる。椿は無意識に自身の体を庇うように縮こませた。
「沖田さん!」
突然、後ろから叱るような強い口調で沖田を呼ぶ声がした。目を向けるとそこに居たのは山崎だった。古高の調書を取るため、彼もまたその現場に入るのだ。そして山崎の手には縄がある。
「沖田さん。あまり怖がらせるような事は言わないでください」
「でも本当の事でしょうに」
一瞬、山崎は返事に詰まるも、すぐに気を取り戻し椿に優しく大丈夫である旨を伝える。
「椿さんが気に病むことではありませんから」
沖田は山崎の変化が面白くて仕方がなかった。仕事一筋、土方のためなら何でもする男が女に気を遣い声色も変え、表情までも緩めるのだから。悪戯心に火が付いた沖田は椿の耳に口を寄せる。
「山崎くんは縛り上げるのが得意です。きっと椿さんもそのうち……ね」
「しばっ、縛るって」
椿は何を想像したのか、顔を真っ青にし後ずさる。
「椿さん。どうかしましたか」
心配そうに近寄る山崎。
更に一歩下がる椿。
それを見て肩を揺らして笑う沖田。
「山崎さんっ。その、私はっ、無理です」
「どうしたのですか」
「私の事はっ、縛らないでくださいっ。普通に、お願い申し上げます」
「え!」
逃げるように去っていく椿を山崎は唖然と見送った。腹を抱えてけらけらと笑う沖田の声が廊下に響く。
「沖田さん! あなたという人はっ!」
手に持った縄を振り上げ怒りに震える山崎の声も、屯所内に響いたのであった。
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